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GIRO POLO STORICO
今年2度目の“ベッラ・ヴィスタ”
創業60周年を祝う2つ目のGIROイタリアは“無事に”開催された。無事に、とあえて言うのは、ひとつ目として5月に予定されていたツアーが中止されていたからだ。ルートとなっていたエミリア・ロマーニャ州の洪水被害があまりにひどく、州都を本拠とするブランドとしては道義上の問題もあるとして、直前になってキャンセルされたのだ。
5月に開催される予定だったGIROは最新モデル、それもアヴェンタドールSVJ以上のモデルが主というものだったが、この9月に開催されたGIROはポロストリコによる運営、つまりクラシックモデルによるツアーだ。筆者は幸運にも日本から参加したランボルギーニ・ミウラP400SVでオーナーの富田栄造氏と共に参加することに。スタート地点はスパークリングワインで有名なフランチャコルタのホテルで、この春、ヴィラデステツアーの起点となった場所でもあった。ミウラ、富田氏、そして筆者のトリオにとっては今年2度目の“ベッラ・ヴィスタ”である(美しい景色の意。ホテルの目の前に広がる畑がその名をつけた銘柄ワインで、遠くにイゼオ湖を臨み本当に美しいシーンだった)。
“曰付き”の個体もちらほら
スタート前夜。現存する最古の市販モデルであるシャシー番号2番の350GTからランボルギーニ所有の最後にラインオフしたゴールドのディアブロ6.0SEまで、地下のガレージには30台近くのクラシック・ランボが集まっていた。なかには夏のペブルビーチで注目を集めたカウンタックのモナコペースカーや元ヴァン・ヘイレンのギタリストが愛したモディファイド・ミウラ、ファクトリーで改造されたミウラSVJロードスターに有名なクローン・イオタなど、“曰付き”の個体もちらほら。
日本からはミウラにカウンタックLP400、そして2台のディアブロと合計4台が参加。鮮やかなディノブルーのカウンタックはポロストリコでフルレストレーションを受けたばかりで、なんとペリスコープなしのスティールボディパネルというレア中のレアな個体だ。筆者が同乗するミウラもまたSVとして2番目に生産された個体で、ランボルギーニ主催のコンクールデレガンスでの優勝経験がある。
本社から2トップ、ステファン・ヴィンケルマン社長兼CEOとフェデリコ・フォスキーニCCOも参加した前夜祭がイベントの正式スタートだ。ディナーはなんと葡萄畑のなかで行われた。スペシャルなツアーの幕開けにふさわしい。
官能的なフィールに心が躍る
翌日、ゼッケンの順にホテルを出発。まずは北イタリアの湖水地方を周遊し、ヴェローナの有名なアートホテルを目指す。ランチはガルダ湖畔のリーバだ。オープンスペースに停められた色とりどりの猛牛が観光客の目を楽しませている。
午後、筆者は幸運にもランボルギーニの歴史的モニュメントというべき2台の猛牛を続けてドライブすることになった。まずは前述したブルーのカウンタックだ。筆者も以前、同じLP400を所有していた。けれどもハンドルを託された個体はフルレストアで新車のように仕上がっている。ボディのしっかり感やエンジンのスムーズな吹け上がりなど随分と“わが思い出”とは違うドライブフィールに感銘を受けた。現代のスーパーカーとは違ってダッシュ力こそ“並”だけれども自分の手足腰とダイレクトにつながっているようなライド感こそLP400の魅力だ。
何より縦置きされた4.0リッターV12気筒エンジンの官能的なフィールに心が躍る。腹の底からトルクが、十分に使いこなせる力が湧き出てくる感覚は思い出の通りで、センチメンタルな気分になる。独特な咆哮を響かせながらヒラリヒラリとコーナーをクリアする動きもまた初期型だけの味わいだ。
シャープな回転落ちは同じエンジンとは思えない
続いてグリーンのミウラを駆った。P400SVとLP400はランボルギーニの歴史上、ひと続きのモデルである。今風にいえばフルモデルチェンジの前後だ。けれどもこの2台の間に横たわる溝はモデルチェンジなどという言葉では到底埋め尽くせない。同じエンジンとは思えないほどシャープに回転落ちする。フライホイールが軽いのだ。ドライバーの背後に横置きされているため、エキゾーストノートよりもメカニカルノイズの方が盛大に聞こえる。ドライビングがリズミカルになればなるほどノイズはノートとなり、排気音とともに音楽としてまとまっていく。ドライブフィールもまるで違う。ミウラの方がスリリングで悪く言えば落ち着かない。筆者自身の慣れの問題もあるだろう。どこまでも冷静にドライブできたカウンタックに対して、常に緊張を強いられたが、それがまた心地よい。
ミウラは現代のスーパーカーの元祖だ。けれどもランボルギーニにとって現代のブランドイメージを作った元祖は紛れもなくカウンタック。創立60年という節目の年にイタリアにおいてこの特に価値のある2台を続け様にドライブできた幸せは何物にも代えがたい経験だった。
ウラカン・テクニカをミウラで追走
ツアー2日目、我々のミウラにちょっとしたトラブルが起きた。スタートして早々に電気が止まってしまったのだ。オフィシャルの救援チームがすぐにやってきて、同時に代車のウラカンSTO(何とグリーン!)も用意される。ウラカンに乗ってみるのも一興か、と諦めかけたその時、ミウラが息を吹き返す!
このトラブルで一行からは半時間ほど遅れてしまった。プロドライバーがドライブするウラカン・テクニカの後をミウラで追走する。ワインディングロードに入り、徐々にペースが上がる。否、富田さんがミウラでウラカンを突つくから、前走車のペースが否応なく上がってしまうのだ。とんでもない速さで峠道を駆けていく2台の新旧レイジングブル。すれ違ったバイカーはさぞかし驚いたに違いない。それにしてもミウラをここまで“しばき倒せる”御仁は世界でもそうそういないと思う。無事にモデナに到着し、ディナーは世界一と評判のレストランのオーナーシェフが自分のガレージハウスでスペシャルな料理を振る舞う。
そして3日目、夢のツアーは本社工場にて盛大な出迎えを受けて終了した。
70周年も、そりゃまた来たいよなぁ。
REPORT/西川 淳(Jun NISHIKAWA)
PHOTO/LAMBORGHINI S.p.A.
MAGAZINE/GENROQ 2023年12月号