新車からの親子1オーナー! かけがえのない練馬シングルナンバーが光るトヨタ2000GT! 【2022TMSCクラシックカーミーテイング&レビン・トレノ生誕50周年パレード】

近年高騰を続ける国産旧車たちだが、いくらお金を払っても買えない価値がナンバープレートだ。特に「5」だけだったり品川が「品」だった時代の通称シングルナンバーが残る個体には、お金では得られない価値がある。それが日本を代表するスポーツカーだったらいかがだろう。今回はお父さんから受け継いだ親子1オーナー車とも呼べる1台を紹介しよう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1969年式トヨタ2000GT。

トヨタ2000GTが日本を代表するスポーツカーであることに異論はないはずだ。開発が始まる1960年代初頭、日産自動車はダットサンの名前で海外へ積極的に売り込むことに成功。一方で輸出方面で立ち遅れた感のあるトヨタは日産と違いスポーツカーを生産していなかった。そのためパブリカのコンポーネンツを流用したライトウエイトスポーツカーであるトヨタスポーツ800を開発。いわゆる「ヨタハチ」は好評だったものの、800ccしかない排気量ではとても海外で通用するものではない。トヨタを代表するイメージリーダーとして本格的なスポーツカーが必要だった。

「練馬5」という古いナンバープレートに注目いただきたい。

同時期にスポーツカーの開発に乗り出し、一時は日産と共同開発することで合意したヤマハ発動機だが、このプロジェクトが頓挫すると、トヨタが進めていたスポーツカープロジェクトに参画。主にクラウン用直列6気筒であるM型エンジンのDOHC化や、高出力エンジンに見合うシャシー設計を担うことになる。試作段階を経て完成した新型スポーツカーである2000GTだが、すぐに市販することはなく国際記録へ挑戦するスピードトライアルや国内耐久レースで実力をアピールする。また映画『007は二度死ぬ』の劇中車に抜擢され、その存在を世界に知らしめることにも成功した。

リトラクタブルライトはドライビングランプでヘッドライトはフロントグリル脇にある。

トヨタ2000GTが国内で発売されたのは1967年5月。この時期については前年の東京モーターショーに展示され注目されたマツダのコスモスポーツが発売されるとの報を受けて決まったなどの説もある。とはいえ、同時期に国際的に通用する2台の本格スポーツカーが誕生したのは偶然ではないだろう。

ただ、その価格については大いに異なりコスモスポーツが148万円だったところ、トヨタ2000GTは当時のクラウンの倍ほどにもなる238万円。1960年代に2000GTのような存在が生まれたこと自体奇跡のようなものだが、その価格も飛び抜けていた。

新車でトヨタ2000GTが買えたのは、裕福な層に限られた。そのため前期型・後期型含めた生産台数は337台に過ぎない。ところが時を経るにしたがい2000GTの価値は乱高下する。排出ガス規制が強化された時代を経て1980年代になると新たな時代を象徴するソアラやセリカXXが登場して、2000GTの中古車相場は新車価格程度のまま推移していた。この時期に買い替えられた個体も多かったはずで、その後のバブル景気を経て2000GTの価値が見直されるようになるまでの間に所有者が変わったのは数知れず多かったことだろう。ところが新車から長く所有し続けられる幸福な個体も存在する。

2リッター直列6気筒DOHCエンジン

今回紹介するトヨタ2000GTもそんな幸福な1台。オーナーは山本秀哉さんでトヨタ2000GTオーナーズクラブジャパンの会長職を務めている方だ。取材したイベントはTMSC、トヨタモータースポーツクラブの主催によるもの。このクラブに所属しているのがトヨタ2000GTオーナーズクラブジャパンであり、他にはトヨタ1600GTオーナーズクラブ、トヨタスポーツ800オーナーズクラブ、クラブTE27で構成されている。今回のイベントの主役はTE27レビン・トレノだったが、それぞれのクラブから数台ずつが参加もしていたというわけだ。

3連ソレックスキャブレターもエアクリーナーケースも純正のままだ。
シリンダーヘッドに温度計を貼り付けている。

山本さんのトヨタ2000GTは1969年にお父さんが新車で購入したもの。当時山本さんは10歳ほどの時期で気がついたらガレージに置いてあったという感覚だったそうだ。だが、これほどの名車でありスタイル抜群とあれば誰しも運転してみたくなるもの。山本さんも免許を取得するとお父さんに黙ってトヨタ2000GTを運転してみることにされた。

ひどく怒られたそうだが、無事にクルマ好きへと成長した息子に2000GTを譲る気にもなられたことだろう。もちろんその後は山本さんも自らクルマを数台乗り継いできたが、この2000GTだけは譲り受けた後も手放すことなど考えもせずに維持してきた。

ウッドパネルとウッドステアリングが豪華さとスポーティさを両立している。
中央には5連メーターが鎮座する。ラジオや時計は新車当時からの装備。

お気に入りはやはりエンジンとスタイル。何度か2000GTの運転席・助手席ともに経験したことがあるのだが、確かにこの3M型エンジンには独特の魅力がある。同じ直6DOHCで3連キャブを備える日産スカイラインGT-Rと比べて洗練されつつも、高回転へ向けて加速度的に回転上昇速度が高まる。

その時の振動はスカイラインGT-Rより小さく感じられ、総合的なパッケージに優れているのではないかという印象だった。そのエンジンは過去に1度オーバーホールされているそうで、現在11万キロほどを走った山本さんの2000GTは不調など無縁でいるようだ。

独特なシフトパターンの表記。サイドブレーキはステッキ式だ。
リクライニング式のバケットシートは痛みが少なく程度良好。

新車からガレージ保管だったためか、ボディや内装の痛みは最小限にとどまっている。山本さんに言われて見れば、確かに塗装に若干の痛みを見つけられる。けれど、再塗装してしまうより新車当時の姿をとどめていることに意味があるだろう。また注目してほしいのがナンバープレート。「練馬5」という新車時のナンバーがそのまま残っているのだ。

今では練馬なら「500」と三桁台になっている数字が5であることは時代を表すと、同時に一度も別の地域へ出たことがない証拠でもある。旧車の世界では「シングルナンバー」と呼ばれる、地名の後の数字が一桁だったり管轄地の名称さえ入らず単に「5」とだけ記されたものは特に珍重されている。山本さんの2000GTについては新車からの親子1オーナー車とでも表現できるだろうか。このまま山本さんのご子息や縁のある方へと受け継がれることが最も相応わしいことに思えた。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…