トヨタ2000GTスピードトライアルカーのレプリカ製作 後編【TOYOTA 2000GT物語 VOL.8】

トヨタ博物館開館に向けて製作されることになったTOYOTA 2000GTスピードトライアルカーのレプリカ。トライアルカーの偉業を後世に伝えるためには、失われた実車をより忠実に再現しなければならない。しかし、そこには試作1号車と生産車のボディ形状が異なる部分があるという難関が待ち受けていた。
REPORT:COOLARTS

レプリカ製作の監修は元チーム・トヨタの細谷四方洋キャプテン

左右で形状が異なるリトラクタブルヘッドライトのカバーや穴の開けられたボンネット、ボンネット上の虫よけスクリーンなどがトライアルカーの特徴。

TOYOTA 2000GTスピードトライアルカーのレプリカ製作は、1989年4月のトヨタ博物館の開館に合わせて、前年の後半から始まった。担当したのは、豊田市にある新明工業の前田工場。再現するために与えられた時間は、およそ半年あまりしかなかった。

トライアルカーの図面が残されていなかったので、資料は当時の写真や岩波映画製作所が撮影した記録映画「サイエンスグラフティ 科学と映像の世界 スピードトライアル トヨタ2000GT」などを参考にした。ただ、カラー写真が少なかったのが難点だったという。さらにレプリカを当時のクルマに近づけるためには、できる限り同じ部品を集める必要がある。しかし、すでに20年以上の月日が流れていたため、部品を揃えることは簡単ではなかった。

レストアを担当した新明工業顧問の石川實が、プロジェクト開始当初について語っていた。

「レプリカ製作に必要な資料と部品は、監修をお願いした元チーム・トヨタのキャプテンである細谷四方洋さんがほとんど一人で集められました。ものすごく難儀していましたが、当時、細谷さんと付き合っていた人たちが、それぞれ部長クラスになっていたので、お願いして回ってくれたんです」

チーム・トヨタのドライバーとして活躍した細谷の人脈が活かされたわけだ。それでも見つからない部品があったという。

「部品を揃えるのに2、3ヵ月掛かりました。マーシャルのドライビングランプやホイヤーのマスタータイムなどは私が集めました。メーター類はデンソーさんが作ってくれたんです。写真か図面があったとかで、同じものが出来ました。レーシングタイヤはグッドイヤーさんにお願いして作っていただきました。

無線のアンテナ1本だってたいへんですよ。そんなもの手近にありませんから。いろいろな無線屋さんに写真を持って行って、『同じようなアンテナはないですか?』と探して回りました。八重洲無線機製の無線機本体は、なかなか当時のものがなくて、無線が趣味の多賀弘明TMSC元会長の伝手で手に入れてもらったんです」と細谷は語っていた。

奥の白い生産車と比較すると、フロントフェンダーの盛り上がり形状が異なることがわかる。試作1号車のドアノブは当時もクラウンから流用していた。

リトラクタブルヘッドライトのカバーの形状が左右で異なる理由

ベース車はボディとフレームが分離され、ボルト1本に至るまでバラバラにされてレストア作業が進められたが、トライアルカーのレプリカを製作するには大きな問題があった。それは、トライアルカーは試作第1号車をベースとして製作されていたので、生産車がベースのシェルビー・レーシングのものとはボディ形状が異なる箇所が数々あるのだ。大きなところでは、フロントマスク、フロントフェンダーの盛り上がり、フロントピラーの位置、ドアノブの形状、そしてホイールアーチの大きさなどだ。

フロントピラーの位置変更は、単に位置を後方にずらすだけではなく、フロントウインドウやルーフ、ドアまで作り直さねばならず、半年という限られた時間では見送らざるを得なかった。フロントマスクの変更やリアのホイールアーチ拡大にも手を付けられなかったが、試作1号車だけの特徴であるフロントフェンダーの盛り上がりとクラウンのそれを流用したドアノブの形状、リトラクタブルヘッドライトを撤去した跡を覆うカバーは再現することになった。

「フェンダーの盛り上がりの造形は3回くらいやり直しました。参考にできる写真はあったのですが、真横からの写真ではないので正確な高さがわかりません。そこで細谷さんに見てもらいながら『これくらいかな』という感じで仕上げていきました。

写真があればかなりの寸法を割り出すことができますし、人間の記憶はけっこう馬鹿になりませんから。リトラクタブルヘッドライトのカバーは、最初は左右対称に作ったのですが、細谷さんに見せたら『これ、違うよ』と言われてしまいました。細谷さんとはパブリカの頃からの付き合いですから、『それなら早く言ってくれ』と(笑)」

リトラクタブルヘッドライトのカバーが左右で異なるのは、それぞれを別の人が作ったからだという。練習の時に左側にインテークの穴を開けたり、いろいろトライしたりしたため、それを埋めた関係で形が変わってしまったのだ。ステッカー類は写真から大きさを割り出して、当時と同じものを作ってもらった。ちなみに、そのステッカーのないトライアルカーの当時の写真や映像は練習時のものだ。

「ボディカラーは何度も色合わせして再現しました。ぱっと離れて見たときの印象が大切です。ただ、このレプリカで惜しまれるのは、試作1号車の大きな特徴である角張ったライト周りのフロントマスクが再現できなかったことです。製作の時間が限られていたので、鈑金して修正することができなかった」と細谷は残念そうに語っていた。

歴史の彼方に消えたトライアルカー。その偉業をレプリカが後世に伝えていく。しかも、このレプリカは“張子の虎”ではなく、タコ足形状のエキゾーストなどエンジンも作り込まれ、ちゃんとサーキットを走れる能力を持っているのだ。(続く)

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