子供の頃から憧れたスカイラインGT-R! 42年間乗り続けるハコスカ! 【第19回まつどクラシックカーフェスティバル2023】

国産旧車の中でダントツの人気を誇るのがハコスカこと3代目スカイライン。人気を牽引するのが直列6気筒DOHCエンジンを搭載するGT-Rだ。すでに中古車価格が高騰しているモデルだが、昭和の時代から乗り続けるオーナーを紹介しよう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1972年式日産スカイラインHT2000GT-R。

前回の記事でハコスカGT-Rに乗るオーナーはお金をかけてしまう傾向が強いと紹介した。レースオプションパーツや社外パーツが豊富に揃うことで愛車のチューニングを進めるオーナーが多いからだ。さらに近年ではフルレストアして新車以上の輝きを手に入れるケースも増えてきた。だが、これらの事象はハコスカGT-Rに限った話ではなく、国産旧車であれば様々な車種に当てはまるとも言える。ところがハコスカGT-Rは昭和の時代からオーナーの深い愛情を受けてきた個体が多い。

リヤスポイラーがない後ろ姿。リヤのナンバープレートが煤で黒ずんているのが迫力満点。

一体何がハコスカGT-Rの魅力なのだろう。それはやはりスタイルとエンジンに尽きる。ケンとメリーのスカイライン、通称ケンメリへモデルチェンジしたのが1972年のこと。ケンメリはスカイライン史上最も販売台数が多い世代として知られる。Tシャツなどのグッズも大いに売れまくり、クルマに興味のない人でも当時は「ケンメリ」という言葉を知っていたほど。ではそれ以前のスカイラインがどう扱われたか。1世代前のモデルを「箱型のスカイライン」と呼び始め、これが略されてハコスカに転じたわけだが、ケンメリが伸びやかで丸みを帯びたスタイルであったことに対し、ハコスカはシャープなラインで構成され骨っぽさや男っぽさを感じさせる。このスタイルに多くの人が魅力を感じていた。

オーバーフェンダーについた傷はあえて直さない。

さらにはエンジン。ハコスカには4気筒エンジンを積む「ショートノーズ」と呼ばれる全長・ホイールベースの短いモデルがベースにあり、さらに6気筒エンジンを積むGT系「ロングノーズ」モデルが存在する。GT系には直列6気筒SOHCのL20型エンジンが搭載され、4気筒モデルより上級グレードとしての位置付け。さらに上のグレードとしてS20型直列6気筒DOHCエンジンを搭載するGT-Rがトップモデルとして君臨した。このS20型エンジンがGT-Rの魅力でもある。

フロントブレーキはAP製に変更している。

S20型エンジンは日産と吸収合併する前のプリンス自動車時代に開発されたプロトタイプレーシングカー、プリンスR380に搭載されたGR8型直列6気筒DOHCエンジンの公道仕様とも呼べるもの。当時はS20型をGR8型の「デチューン版」などと呼んでいたが、実際には設計から見直されている。とはいえ別物と呼ぶには語弊があるほど、S20型エンジンはレース直系と感じられるほど魅力的。エンジンを始動した瞬間からGT系のL型とは全く異なるエンジンサウンドを響かせ、回転が上がるにつれ吹け上がりとパワー感が鋭く変化する。まさにドラマチックと表現したくなるエンジンで、数多くある国産車の歴史の中でもトップクラスの魅力だと感じている。

GT-Rの特徴であるS20型直列6気筒DOHCエンジン。
エアクリーナーはインダクションボックスに変更した。
ワークスカーのようにプラグホールを加工。

今回紹介するハードトップGT-Rのオーナーである鈴木千秋さんは現在65歳。ハコスカGT-Rのことは「子供の頃から好きだった」と語り、運転免許を取得する前から「乗るならハコスカGT-R」と決めていたほど憧れ続けた人だ。だが、最初から憧れを実現したわけではなく、免許取得後初めての愛車に選んだのはケンメリ・スカイライン。L型エンジンのGT系を選びスカイラインを習熟していく。続けて選んだのがハコスカの4ドアセダンGTで、今でも数多くあるGT-R仕様へカスタムして楽しんでいた。

スポーツコーナーのプレートが2枚装着されている。

GT-R仕様とは、GT系をベースにGT-Rのようなルックスにしたものを指す。具体的にはGT系純正の青ガラスからGT-R純正の白ガラスへウインドー類を全交換しつつ、リヤのサーフィンラインをカットしてワイドタイヤを履かせること。これがハードトップならサーフィンラインをカットしつつオーバーフェンダーを装着してよりワイドなタイヤを履かせる。さらにグリルやミラー、エンブレムをGT-R用のものに置き換えテールのガーニッシュを取り外す。ハードトップならリヤスポイラーを装着する例も多かった。

ヌバックのOMPステアリングホイールに変更した。
購入時に装着されていたエアコンの名残。
懐かしいペダルカバーやフットレスト。

GT-R仕様にしたハコスカを70年代中乗り続けた鈴木さんが一念発起するのは1981年のこと。昭和56年だから1981年になって知り合いのショップから念願だったハコスカGT-Rを購入するのだ。当時は9年落ちの中古車で、スカイラインとしては5代目のジャパンから6代目のニューマンスカイラインにモデルチェンジするタイミング。排出ガス規制をターボで乗り切った当時のスカイラインは、81年10月にケンメリGT-R以来のDOHCエンジンである4気筒のFJ20型が登場する。ちょうどハコスカの相場も落ち着いていた時代で、GT-Rが比較的手軽に買える時期でもあった。

長年乗る証である2桁ナンバー。

GT-Rを手に入れた鈴木さんはGT-Rオーナーズクラブに加入して同じクルマを愛好するマニアたちとの親交を深める。その中には前回の記事で紹介した、自らS20エンジンをオーバーホール&チューニングしてしまう森田さんも含まれる。すると鈴木さんも自らエンジンを分解整備してみたくなる。そこでオーバーホールがてらカムシャフト駆動を純正のチェーンからギアトレインに変更するなどモディファイを進めることにした。ノーマルに見えるボディも手が加えられ、よく見ればわかるのだがフロントフェンダーがワイドにされている。

GT-Rらしくオーバーフェンダーはリヤだけとしつつ、フロントにもワイドタイヤを履かせるための処置だ。そのフロントにはAP製のブレーキシステムが組み込まれ、変更されたサスペンションとともにサーキット走行まで楽しめるようになっている。もちろんトランスミッションやデファレンシャルまでオーバーホールされていて、42年間乗り続けて一通りのメンテナンスを済ませた状態。貴重な当時モノのボカシガラスがフロントウインドーに組み込まれており、今なら高値で売れることはもちろん承知しているが、一生手放すことなどない鈴木さんなのだ。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…