日本製鉄の「無方向性電磁鋼板」は何がすごいのか

日鉄君津製鉄所の出荷ヤード
日本製鉄(以下:日鉄)が中国の鉄鋼最大手である宝山鉄鋼とトヨタ自動車を「無方向性電磁鋼板」絡みで提訴した。宝山に対しては特許権の侵害、トヨタに対しては特許権に抵触する電磁鋼板を使った車両を販売したことが提訴の理由だ。方向性電磁鋼板は変圧器や電動モーターなど広い用途で使われているが、「無方向性」という製品は非常に特殊であり、しかも日鉄が製造する高級品は効率を重視する高性能電動車両用モーター以外にはあまり使われていない。いったい、日鉄の無方向性電磁鋼板は何がスゴいのか。
TEXT◎牧野茂雄

電磁鋼板(Electrical Steel Sheet)とは、その名のとおり「電気を流して強い磁力を得るための鋼板」であり、一般的な鋼板とは比較にならない強力な磁力を得られるように成分と製法が工夫された素材だ。BEV(バッテリー・エレクトリック・ビークル)もPHEV(プラグイン・ハイブリッド・エレクトリック・ビークル)も、あるいはトヨタ「プリウス」のようなHEV(ハイブリッド・エレクトリック・ビークル)も、すべて電動モーターをクルマの動力源として使う。ちなみに、これらをまとめてxEVと呼ぶ。

日本の新聞などではバッテリーで走る電気自動車をEVと記述するが、もはやこの表記は世界中で使われなくなった。xEVのxにバッテリーの頭文字である「B」を入れれば外部充電式の電気自動車=BEV、ハイブリッド(混合という意味)の頭文字「H」を入れればICE(内燃機)と電動モーターを使う混合動力車=HEV、という表記が主流である。トヨタの英文論文でもEVだとかHVだとかの表記はもう使っていない。

これらxEVのほとんどが電磁鋼板を使う。電動モーターを大別すると、永久磁石と電磁石の両方を組み合わせて使う同期電動モーターと、電磁石だけを使う誘導電動モーターとがあるが、電磁鋼板はこの両方に必須だ。したがって、クルマの電動化(エレクトリフィケーション)が進めば進むほど、電磁鋼板の需要は高まる。同時に「より高性能」なものが求められる。

【図1】「方向性」と「無方向性」の違い

その電磁鋼板を大別すると2種類になる。「方向性電磁鋼板」と「無方向性電磁鋼板」だ。ここでいう「方向性」とは、磁力(磁気モーメント)の方向である。図1に「方向性」と「無方向性」の違いを示した。ここから先は、筆者が2009年に新日鐵に取材したときの内容と、その後同社が新日鐵住金になって以降の取材、それと同社が発表した論文や資料を元にした。

鉄(原子番号26、Fe)の結晶は「体心立方格子」と呼ばれる立方体形状で、8つのカドと中心にそれぞれ原子が位置する。何もしない状態では、磁気モーメントは立方体のそれぞれの辺、全体から見ると稜線となる部分と平行だ。外部から磁界を与えたとき、この稜線方向にはもっともスムーズに磁気モーメントが発生する。つまり「磁化しやすい」方向が稜線である。

磁化について【図1】に描いた。緑色の矢印と紫色の矢印が稜線方向の磁界に対する磁化しやすさである。この2カ所だけでなく、他の稜線でも同様に磁化しやすい。いっぽう、中心の原子を通過するような「斜め」方向の磁界、赤い矢印の磁界に対しては、鉄は非常に磁化しにくい。同様に同一面上の対角線方向の磁界、黄色い矢印の磁界に対しても、中心を通過するときほどではないが、この方向も磁化しにくい。

これは結晶単位での磁化しやすさであり、結晶が無数に結び付いてできた鋼板ではどうなるのか。

図中の一番左Aが「方向性電磁鋼板」である。ある特定の方向に磁化しやすいように結晶の向きを揃えた状態で作られている。緑の矢印の方向に揃えれば鉄板の上に磁束が向かう。紫色の矢印のように磁化させれば鉄板の表面に沿った磁束を形成できる。

文字で表せば、たったこれだけだが、結晶の方向を揃える「結晶方位制御」の開発は容易ではなかった。新日鉄(当時は戦後の財閥解体で八幡製鐵と富士製鐵などに分割されていた)での方向性電磁鋼板製造は、1953年米・アームコからの技術導入で開始された。おもに変圧器(トランスフォーマー)用途だった。

この当時、アームコの技術では結晶方向の誤差は7度程度あったが、1968年に日本国内で八幡製鐵が独自開発した技術により結晶方向の誤差が3度という方向性電磁鋼板の量産が始まった。これが「オリエントコア・ハイビー」であり、変圧器のうなり騒音は4分の1に、トランスの熱損失は25%低減された。この方向性電磁鋼板技術を応用した製品が、テレビやオーディオ製品などに内蔵される電源トランスに使われるようになり、メイド・イン・ジャパン家電製品の消費電力と発熱が低減した。家電製品の輸出好調を陰で支えた技術のひとつが、新日鐵のオリエントコア・ハイビーだった。

八幡製鐵が方向性電磁鋼板の開発に取り組み、1961年に理論は整い、生産技術面での目途もついていた。しかし、量産開始までには7年を要した。素材産業の製造現場で理論を製品の安定供給へと反映することがいかに大変なことか、この7年の月日は物語る。これは、ここから約35年後に取り組んだHEV用電動モーターに使用する無方向性電磁鋼板の開発でも同じだった。

現在の日鉄の無方向性電磁鋼板は【図1】の一番右、Cだ。筆者の手描きなので少々見にくい点をご容赦願う。ここでは結晶をサイコロに見立ててある。従来の無方向性電磁鋼板Bは、サイコロの「1」の数字の面がバラバラな方向を向いていた。これでも「あらゆる方向に磁化しやすい」のだが、磁束の向きがあまりに異なり、製品として使う「平面」で見ると磁化の効率が悪い。

これに対しCは、サイコロの「1」だけが上を向くように結晶を並べ、しかも磁界方向が変化したら即座にその方向に磁化されるよう、「1」の面を上に向けるとともに、横にくる「2」や「3」の面はランダムに現れ、どの方向にも磁化しやすいという特性を持たせてある。これで平面状のどの方向から磁束が入っても、その方向に磁化しやすく、しかも効率に優れた無方向性電磁鋼板になる。

【図2】モーター構造
【図3】磁石の「反発」と「吸引」

【図2】のモーター構造と【図3】の磁石の「反発」と「吸引」を見ていただきたい。回転している電動モーターは、その回転数に合わせて1秒間に何度も電磁石側(このモーターの場合は外側)の極が変わる。すると、永久磁石を埋め込んである内側のローターは、外側の電磁石との間に起きる「吸引」「反発」を使って回転する。

【図4】同期型電動モーター

ただし、【図4】のような最近の同期型電動モーターは、磁石の「吸引」「反発」で起きるトルクだけでなく、磁力線の位置を工夫することで、エネルギーを必要としない自然回転力的なリラクタンストルクを有効に利用している。これに対応するためには、磁石のトルクに起因する磁束と、その正反対の方向に作用するリラクタンストルクのどちらにも磁化しやすいようなローターを作る必要がある。

そのような同期型電動モーターにとって、【図1】Cのような「平面上のどの方向にも磁化しやすい」無方向性電磁鋼板は、非常に都合がいい。新日鐵は世界初の量産HEVである初代「プリウス」の開発時からトヨタの依頼を受け、高性能な無方向性電磁鋼板の開発に着手していた。「プリウス」のモデルチェンジのたびに電磁鋼板も進化し、だんだんモーターは小型化された。そして、現行モデルの「プリウス」で初めてモーターを横並びに配置することができ、もっとも部品単価が高かった難物のリングギヤを設計変更することができた。同時にワンウェイクラッチ(ここではエンジン逆回転の防止用)の追加だけでPHEVを作れるようになった。

電磁鋼板は薄いほど内部に渦電流(これが回転抵抗になる)が流れにくくなり、性能が良くなる。渦電流や磁気ヒステリシスによって電力が熱になって消費されてしまう「鉄損」が減る。しかし、薄くすると剛性が下がり、回転のブレが生じやすくなる。そのため薄さと剛性のバランスが重要になる。現在のBEVやHEVの電動モーターに使われている無方向性電磁鋼板は0.5〜0.35mmほどの厚さしかない。それでも必要な剛性を確保している。

この点には、新日鐵時代から連綿と続く自動車用薄板の技術が活きている。「硬いけれど成形しやすい」といった二律背反を両立させる鋼板技術はお手の物だ。言い換えれば、日本の自動車産業はそうした素材技術がもたらす恩恵を安価に享受してきた。

このような極薄鋼板を正確に打ち抜き、100枚以上重ね、しかもローターとステーターの間の隙間(ギャップ)をできるだけ狭くする。そのための鋼板打ち抜き技術と、極薄鋼板の両面および端面までまんべんなく2ミクロン厚程度の絶縁コーティングを施す技術、そしてこれを正確に重ね合わせる技術。性能の良いxEVを量産するには、極薄の無方向性電磁鋼板があればいいというわけではない。それに付帯する技術も新日鐵が開発してきたのである。

日鉄大分転炉

新日鐵は何年もかけてこの無方向性電磁鋼板を量産技術に落とし込んだ。厳格に成分を調整した鋼材を熱間圧延によって厚さ2〜3mmまで薄く延ばし、さらに冷間圧延によって1mm以下に薄く延ばし、その状態で約1週間、温度を1200℃の状態に保つことで2次再結晶させる方法を確立した。原子のサイコロの目が「1」を上にしてきれいに並ぶ確率は1億分の1だが、そのレベルを人為的にコントロールできるようにしたのである。さらに「1」の面の下側には、「2」「3」「4」「5」の面がランダムな方向で、しかも偏ることなく並ぶ。これも人為的にコントロールされている。

以上が日鉄の無方向性電磁鋼板であり、その「凄さ」は日本のxEVの性能に現れている。しかし、日鉄はトヨタを提訴した。その背景は次回に。

「中国がパクった」立証は困難 日鉄とトヨタに願う急速冷却的和解

日本製鉄(以下=日鉄)が中国・宝武鋼鉄集団とトヨタを無方向性電磁鋼板がらみで提訴した件は先週お伝えした。この一件の最大のポイントは、宝武鋼鉄集団およびその傘下の宝山鋼鉄が「日鉄の製造方法をパクった」のかどうか、だ。過去に日鉄は、韓国最大手の鉄鋼メーカーであるポスコが技術を盗んだ件で和解金を勝ち取った。今回の宝武鋼鉄集団はどうなのか。以下、過去の事実以外はすべて筆者の「憶測」として記事をまとめた。 TEXT◎牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

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著者プロフィール

牧野 茂雄 近影

牧野 茂雄

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産…