「中国がパクった」立証は困難 日鉄とトヨタに願う急速冷却的和解

圧延前のインゴット(この縦横寸法比はビレットと呼ばれる)
日本製鉄(以下=日鉄)が中国・宝武鋼鉄集団とトヨタを無方向性電磁鋼板がらみで提訴した件は先週お伝えした。この一件の最大のポイントは、宝武鋼鉄集団およびその傘下の宝山鋼鉄が「日鉄の製造方法をパクった」のかどうか、だ。過去に日鉄は、韓国最大手の鉄鋼メーカーであるポスコが技術を盗んだ件で和解金を勝ち取った。今回の宝武鋼鉄集団はどうなのか。以下、過去の事実以外はすべて筆者の「憶測」として記事をまとめた。
TEXT◎牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

日本製鉄の「無方向性電磁鋼板」は何がすごいのか

日本製鉄(以下:日鉄)が中国の鉄鋼最大手である宝山鉄鋼とトヨタ自動車を「無方向性電磁鋼板」絡…

日鉄は過去、中国の鉄鋼メーカーに相当な件数の技術移転を行なってきた。戦後の財閥解体で4分割されていた旧日本製鐵のうち元官営八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日本製鐵が生まれたのは1970年。いっぽう、宝武鋼鉄集団のルーツである上海宝山鋼鉄総廠の設立は1977年である。会社設立は7年しか差がないが、新日鉄には戦前からの技術の蓄積があった。そのため、前回で書いたようにアメリカからライセンス導入した電磁鋼板技術を独自に進化させるなどの研究開発力を発揮していた。

中国国営の上海宝山鋼鉄総廠は、ほぼ完全にゼロスタートだった。新日鐵や川崎製鉄(現JFE)など日本の鉄鋼メーカーからの技術支援により、日中国交正常化の5年後に設立された。日本からの経済協力の一環であり、高炉(鉄鉱石から銑鉄を作るための巨大な溶鉱炉)生産の開始は1985年。設立から高炉稼働まで、日本の鉄鋼産業はそれこそ手取り足取りの技術指導を行ない、現場を育て、鉄の国産化に協力した。それがいまや、宝武鋼鉄集団は粗鋼生産量では世界一だ。

その後も日本からの技術協力は続いた。筆者が「最大の躍進の基礎」だと思っているのは、自動車のボディに使う高張力鋼板(ハイテン=ハイテンシル・スチール)についての日本からの技術供与だ。これは自動車産業界からの要望だった。

21世紀に入り、日系自動車メーカーの中国現地生産は加速した。しかし、中国では引っ張り強度780MPa(メガパスカル)級や980MPa級の超ハイテンは入手できず、日本から輸入していた。中国で調達できればコストを抑えられる。だから鉄鋼メーカー、とくに新日鉄に対しトヨタなどは「中国の鉄鋼メーカーへの技術移転」を要請した。

2012年に新日鐵と住友金属工業が合併し新日鐵住金になったころには、すでに980MPaのハイテンを宝鋼集団は日系自動車メーカーの中国車両工場向けにサンプル出荷を始めていた。780MPa級はすでに「製品納入されている」と、筆者は中国取材で確認した。2016年に宝鋼集団と武漢鋼鉄集団が合併して現在の宝武鋼鉄集団になったころには、引っ張り強度1GPa(ギガパスカル)を超える自動車用薄板についても「製造可能ではないか」と思えるだけの技術を取得していた。

いっぽう、今回の訴訟の対象である無方向性電磁鋼板については、新日鉄住金から宝武鋼鉄への正式な技術供与は行なわれていない。筆者の記憶では、宝武は方向性電磁鋼板の技術供与は受けていたはずだ。しかし、「方向性」と「無方向性」とでは、製造の難易度がまったく違う。

前回掲載した筆者手描きの図をもう一度掲載する。方向性電磁鋼板は、結晶の方向を「同一方向」に揃える技術で作られる。この結晶制御技術については、日鉄が2012年に韓国・ポスコとその元従業員を訴え、その後2015年に和解金300億円で和解している。

日鉄の無方向性電磁鋼板は、いまや厚み0.35〜0.5mmである。薄くすればするほど鉄損失(鉄損)の原因となる「うず電流」が発生しない。たとえば電動モーターの回転部分であるローターの厚みが120mmだとしたら、0.35mmの板厚を342枚重ねることになる。厚み120mmの鉄のカタマリ1個を使えばいいという話ではなく、高効率を得るためには鉄損の原因となるうず電流を徹底排除しなければならない。だから自動車用の駆動モーターに使われる電磁鋼板はどんどん薄くなってきた。

しかし、薄くすると1枚ずつの形状安定性確保が難しくなる。同時に剛性が落ちる。クルマのボディ剛性は、ボディ各部の断面積で決まる。これと同様に電磁鋼板も薄くすれば剛性が落ちる。120mmの鉄ブロックと342枚の薄板積み重ねブロックとでは、やはり剛性は無垢の鉄ブロックに分がある。薄くしたうえで1枚ずつの電磁鋼板の引っ張り強度(降伏点強度)を高くしなければならない。

高速回転する電動モーターでは、電磁鋼板の剛性不足が回転の「ぶれ」につながる。「ぶれ」が極小ならローターとステーターの間の寸法も極小化できる。そのため日鉄は、無方向性電磁鋼板をハイテン化した。しかし、ハイテン化のためにはまず炭素成分の調整がいる。270MPa級軟鋼は炭素成分0.001%台だが、現在の電磁鋼板は引っ張り強度440MPa以上であり、ものによっては780MPa以上に達するため、これを作るには炭素成分を増やしながらクロム、マンガン、ニッケルといった添加物を微調整する技術が要る。

しかもインゴット状の鋼鉄の塊(ビレット)を作ったあと、ローラーに通して薄く引き延ばす圧延工程での温度管理、さらには急冷によって「焼き入れ」状態にして内部の組成に「硬いところ」と「柔らかいところ」を形成するといった細かい技が必要になる。

さらに、添加物の相性という問題がある。通常のボディ用の超ハイテンに入れている添加物は、電磁鋼板としての性質に悪さをするものが多い。ニッケルとコバルトは強磁性体だから添加しても構わないが、磁力の邪魔をする添加物は避けたい。しかし、「毒」とわかっていても強度確保のために入れる添加物もあり、これを入れたら別の成分を「毒消し」として添加する。こういうところの微調整はすべて、トライ・アンド・エラーである。

さらに温度管理だ。方向性電磁鋼板の性能向上は、厚さ1mm以下までローラーで延ばす圧延工程のあと、温度を1200℃に保ったまま素材を1週間放置し、2次再結晶させることで結晶の「並び」の誤差を±3°に抑えた。最新の無方向性電磁鋼板製造は、さらに温度管理が厳しいと聞いた。

鋼鉄は内部温度によって性質が異なる。炭素量0.16%の鋼鉄の場合、白い光を放つような高温状態、1200℃では柔らかい状態であるフェライトに変態しないオーステナイト組織が残る。引っ張り強度の低い方向性電磁鋼板の場合は、この1200℃での1週間放置で方向を揃えた再結晶化が実現した。しかし、無方向性の場合の温度設定と温度管理は単純ではないようだ。

つまり、成分と製法がわかっていても、現場での微調整は必ず必要であり、果たして宝部鋼鉄集団傘下の宝山鋼鉄が日鉄での工程管理手法をそのまま使ったのか、それとも独自に開発したのか、ひとつの争点はここにある。日鉄はトヨタのHEV(ハイブリッド・エレクトリック・ビークル)を普通に販売店で購入し、その電動モーターに使われている無方向性電磁鋼板を調べたはずだ。その結果、自社の特許が侵害されていると判断した。現物があるから、それが証拠になる。おそらくこの手法で特許侵害を特定したのだと想像する。

鉄の結晶は正直である。詳細に調べれば、どのようなプロセスを経て作られたかはほぼ特定できる。100%に近い確証をえて日鉄は訴訟に打って出たのだと思う。おそらく1台や2台の分解ではないだろう。筆者が責任者なら、鉄の仕上がりに微妙な違いが出る夏と冬の製品を市場から選ぶ。2台分の予算しかなければ9月生産と3月生産を選ぶ。車体番号や部品に刻印されている2次元バーコードはトレーサビリティ用であり、その情報はサプライヤー経由で入手できるから、製造月は容易に想像できる。

ではトヨタはどうか。宝山鋼鉄から調達した無方向性電磁鋼板は「契約時に特許侵害がないことを確認している」とコメントした。通常、本調達の前のサンプル出荷の段階で、トヨタはさまざまな検査を行なう。これに合格し、調達先に他社の特許侵害などがないことを確認できなければ納入契約には至らない。トヨタへの素材・部品の納入はハードルが高いと言われる。トヨタが購買を決めた製品はトヨタ・スペック(俗にTスペックと呼ばれる)を満たしていることになり、日本ではほかの自動車メーカーもTスペック品なら安心して採用するほどだ。

こういう時代だからこそ、日本企業の結束が必要だ

訴訟内容の事実はどうあれ、日鉄は振り上げた拳をどう下ろすつもりだろうか。日本を代表する大手企業同士が長期間の裁判を続けることは、日本の産業界全体のイメージを落としかねない。おそらく日鉄とトヨタは現場レベルから経営トップレベルまで、いくつかの段階で何らかの協議を行なうだろう。

あえて私見を述べれば、早期に解決金なしで和解すべきだ。日鉄が無方向性電磁鋼板の技術を開発できたのは、トヨタの発注があったからこそ、である。トヨタのHEVに対する評判の高さは、さまざまなコンポーネンツをそれぞれのサプライヤーが真摯に開発してきたからこそ、である。トヨタだけの技術力ではない。今回、中国が絡むことで、その日本国内の「競争と協調」「切磋琢磨」の良好な関係にヒビが入った。こういうチャイナ・リスクを予測できないほど想像力に欠けているとは思えない。ここは早期に関係修復し、日本の産業界としての連帯感を世界に示すべきである。

日本で無方向性電磁鋼板を量産しているのは日鉄とJFEスチール。韓国ではポスコ、中国では宝武傘下の宝山鋼鉄、台湾は中国鋼鉄、欧州では旧ユジノール、アセラリア、アーベットが合併しアルセロールとなって以降にインドのミッタルに買収されたアルセロール・ミッタル。この程度しかない。日系自動車メーカーが欧州での生産を立ち上げるとき、新日鐵はユジノールに技術供与を行なった。これも自動車産業からの要請だった。欧州では何事も起こらなかった。しかし中国は、ここで筆者のような立場の人間が指摘するまでもなく、日系企業はいろいろな経験をしてきた(現在もしている)はずだ。

素材側の言い分をトヨタは聞くべきだ。世界で日本ほど品質が安定した高級鋼材の単価が安い国はない。日鉄もトヨタの言い分をよく聞くべきだ。消費者相手の商売は難しい。日鉄はB2B、トヨタはB2C。考え方の違いはあるだろうが、いまは争っている場合ではない。提訴自体は、衆目を集めることに役立った。それはそれでいい。

ただし、宝武鋼鉄側は裁判で争う姿勢を見せている。日本で宝武が敗訴しても中国でのビジネスには何の影響もない。逆に「いやがらせ」を食らうリスクがある。そこは日鉄も承知のはずだ。中国でのビジネスは、いやでも中国共産党の意思を受け入れなければならない。ならば、日鉄とトヨタが早期に和解し、トヨタが宝武からの無方向性電磁鋼板購入量を打ち切りではなく半減とすれば、中国への意思表示にはなる。同時に日鉄は、日本での無方向性電磁鋼板生産を倍増以上の体制に持っていくことが必須だ。

もっとも、宝山と日鉄とアスセロール・ミッタルは中国に宝鋼新日鉄汽車鋼板という合弁会社を持っている。末端では技術が入り組んでいるところもあり、完全に分離することは難しい。それに中国は、他国の同業が公平な競争を戦えないくらいに国や地方からの補助金が流れている。この構図は延々と続くだろう。さらに欧州では、バッテリー関連メーカーに多額の補助金をEU政府が注入している。EUはもはや、自由競争もへったくれもない。バッテリーは戦時体制と言っていい。

こういう時代だからこそ、日本企業の結束が必要だと思うのは、当事者も同じと推測する。

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著者プロフィール

牧野 茂雄 近影

牧野 茂雄

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産…