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ユニークな企画はデザイナーが縁結び
グランツーリスモ上であれば、現実に存在しないクルマも走らせることができる。そこに世界中の多くのメーカーが賛同し、これまで数々のバーチャルカーがデザインされてきた。
ゲーム用に作るのは3次元CGソフトによるデジタルモデルだが、同時に原寸大モックアップを制作・公開するのが通例。今回のブルガリも同様で、バルセロナで開催されたグランツーリスモの「ワールドファイナル2023」の場で、モックアップを披露している。
しかし、なぜブルガリがグランツーリスモなのか? 「実際のところ、このプロジェクトのきっかけを作ったのは私だった」とデザイナーのファビオが語る。「ブルガリのファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニに電話して、ヴィジョングランツーリスモをやらないかと提案した」
ファビオはイタリアと日本のカーデザイン会社、VWグループ、ルノーを経て、2011年から6年間、ピニンファリーナでデザインディレクターを務めた。その後は自身のデザイン会社を設立し、東京を拠点に活動している。ちなみに筆者とは、彼が日本で働いていた1990年前後から旧知の仲。親しい間柄なので、本稿ではファビオとファーストネームで書かせていただく。
電話を受けたスティリアーニ氏も、元はカーデザイナーだ。98年にフィアットに入社。フィアットやアルファロメオのデザインに携わった後、2001年にブルガリに転職し、07年から腕時計のデザイン責任者を務めている。カーデザイナーたちの世界は狭い。同じイタリアとなればなおさらだ。ファビオはスティリアーニ氏と以前から面識があった。
ファビオは次に、ポリフォニー・デジタル(グランツーリスモの開発元)の山内一典代表にコンタクトしたという。彼はピニンファリーナ時代にフィッティパルディEF7をデザインしている。F1とインディ500をそれぞれ2度制覇したレジェンドのエマーソン・フィッティパルディが、生産化を目指して開発したスーパーカーがEF7。まずビジョングランツーリスモのバーチャルカーとしてデビューし、2017年のジュネーブショーで実車が発表された。
残念ながらEF7のプロジェクトは休止になったが、それを通じてファビオはポリフォニーの山内代表とも深く交流していた。こうしてファビオはブルガリとグランツーリスモを結び付けることに成功したのである。
「そこからだ。お互いに多くの共通点があり、補完し合える関係だと両社が気付いた。ブルガリとグランツーリスモが共同のブランドで限定モデルの腕時計を作り、そのデザインにインスパイアされたバーチャルカーをグランツーリスモで走らせたら、それはきっとユニークで驚くべきことになる、とね」
腕時計にインスパイアされたデザイン
ファビオは今回のプロジェクトを「今のカーデザインの主流とは違うオリジナリティの高いデザインを創造するユニークな機会だった」と振り返る。なにしろ腕時計から発想してクルマをデザインするというのは、世にも希なことだ。1998年に発売され、今も高い人気を誇る”ブルガリ・アルミニウム”が、すべての出発点になった
「幾何学的なシェイプを持つ”ブルガリ・アルミニウム”のデザインはとてもピュアであり、アルミとチタン、ラバーという素材の組み合わせも革新的だ」とファビオ。しかもハイエンドの商品ではなく、「若々しくファンなデザインで、高級を民主化する存在でもある。ブルガリのような高級ブランドがそれをやるとは、誰も予想していなかった」
「そこで我々は”ブルガリ・アルミニウム”と同じデザイン言語で、シンプルかつ幾何学的なフォルムを持つライトウェイトスポーツをデザインしようと考えた」。あえてスーパーカーを狙わなかったのは、”ブルガリ・アルミニウム”の位置付けを考えてのことだろう。
デザイン言語としてファビオが挙げるのは、幾何学的な立体が互いに噛み合ったピュアでクリーンなシェイプ、奇を衒わない典型的なプロポーション、素材や色の使い方など。「ボディのメインはアルミで、バンパーなどのテクニカルな部位はラバー。これはブルガリの腕時計のケース本体とベゼルの関係と同じだ」
インテリアも同様だ。コクピットの前方奥、窓下のラインは真上から見ると円弧を描き、腕時計の“円”を想起させる。ダッシュボードはアルミ色とブラックを組み合わせた幾何学的な円柱形状で、そこに円形のメーターやベントグリルが並ぶ。
ブルガリのデザインセンターではスティリアーニ氏が、グランツーリスモ限定モデルの腕時計のデザインを進めていた。彼がキーカラーとしたのはイエローとアンスラサイト(チャコールグレー)。結果的にアンスラサイトの文字盤にイエローの文字/目盛り、イエローの文字盤にブラックの文字/目盛りという2つのバージョンの腕時計が誕生したわけだが、バーチャルカーではその両方を大小3つのメーターに活かした。「メーターはまさに腕時計と同じイメージでデザインした」とファビオは告げている。
イメージの源泉は70年代のイタリア
クルマと腕時計には、オーナーが愛情を注ぐ対象という共通点がある。とはいえ、腕時計からクルマのデザインを考えるというのは、簡単なことではなかったはず。ファビオはこの難題にどう取り組んだのだろうか
「そこが最もエキサイティングであり、難しいところでもあった。たんなる『車輪の上の腕時計』になることなく、腕時計のデザインに迫りたい。スティリアーニとスケッチをやりとりしながら、腕時計からのインスピレーションと本物のバルケッタ(イタリア語で小舟。転じてライトウェイトスポーツカーを意味する)の正しいバランスを探った」とファビオは振り返る。
では、本物のバルケッタとは何か? 「実際のところ、スティリアーニと私は70年代初期のイタリアン・デザインについて多くの議論を交わした。アルファロメオのP33ロードスターや33スパイダー・クネオ、ベルトーネのアウトビアンキ・ランナバウト、ランチア・ストラトス、フィアットX1/9などだ」とファビオ。イタリアン・デザインの本質を辿る議論だった。
その成果である今回のブルガリのビジョングランツーリスモが、レトロでないことは言うまでもない。余計なものを削ぎ落としたシンプルでピュアなデザインは、トレンドに左右されないタイムレスな魅力を漂わせる。「カーデザイナーとしてのプロフェッショナリズムを発揮できたと思う」とファビオはインタビューを締め括った。
ブルガリの見果てぬ夢?
ここからは筆者が長らく温めてきた秘話。ブルガリがクルマに関わるのは、実は今回が初めてではない。1980年代後半、イタリアのトリノで日米欧のカーデザイン関係者たちが集まるパーティーがあり、そこにブルガリ創業家の兄弟二人も参加していた。友人に紹介してもらって言葉を交わすと、自動車事業に興味があると笑顔で語る。正直、本気だとは思わなかったが・・。
それから数年後、筆者は渋谷の日本料理店で、あるイタリア人デザイナーと会食した。久しぶりの再会で旧交を温めたのだが、食事が終わると彼は私に日本での活動の代理人になるよう求め、未発表のものも含めた作品集を見せてくれた。そのなかにブルガリのためにデザインしたプロトタイプの写真があったのだ。
代理人の話は断らざるを得なかったが、その後、彼は他に代理人となる会社を見つけて日本でも活躍。それを嬉しく見つめ、機会があれば記事にしてきた。残念ながら、彼はもう故人だ。実名はあえて伏せるけれど、彼の多くの業績のなかにブルガリの秘密のプロジェクトがあったことを、そろそろ明らかにしてもよい頃だと考えた次第である。
ブルガリは30年以上も前に自動車業界への進出を企図し、プロトタイプまで作っていた。そのことと今回のブルガリ・アルミニウム・ビジョングランツーリスモを直接的に結び付けるのは、適切ではないだろう。今回はあくまでグランツーリスモのなかで楽しむ夢のスポーツカーだ。しかし”ブルガリ・カー”がいつの日にか実現してほしいという夢も膨らむ。それを読者の皆さんと共有したいと思う。