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当初は通行者が信号機の意味を理解せず、従わなかった
1930(昭和5)年のこの日、日本初の自動信号機が日比谷交差点に、米国製の現在と同じ赤・黄・青の3色信号が設置された。信号機を交差点の中央に置く縦型の「中央柱式」と呼ばれるタイプだが、3色灯の意味を理解せずに多くの歩行者は従わなかったらしい。
最初から赤・黄・青の3色灯だった
世界で最初の信号機は、1868年に英国ロンドン市内の馬車の交通整理のために設置されたガス灯式の信号機だが、単に進めと止まれを指示するものだった。現在の信号機の原型となる電気式の信号機は、1918年に米国ニューヨーク5番街に設置されたのが世界初とされている。このとき、すでに赤・黄・青の3色が使われていた。
日本最初の信号機が、1930年のこの日に東京の日比谷交差点に設置された米国製の縦型信号機だ。信号機を交差点の中央に置く中央柱式だが、当初は赤・黄・青の色の理解が浸透せず、歩行者はなかなか従わなかったという。それまでは、信号の代わりに交差点中央のボックスに立った警察官が、笛と手振りで交通整理したり、「止まれ」と「進め」の文字が書かれた標板を警察官が手動で回す方式もあった。
信号機の色は、海外でも日本と同じ赤・黄・青の3色が使われている。これは、CIE(国際照明委員会)で規定されており、ほぼすべての国で「止まれ」に赤、「進んでも良い」に青が使われている。
緑なのに青信号と呼ぶのはなぜか
実際は緑色の信号なのに、なぜ日本では「緑」信号を「青」信号と呼んでいるのか。
免許の更新時に配布される交通教本にも「青色の灯火は進むことができる」と記載されており、一般的に青色灯で通用している。そもそも、第二次世界大戦後の1947年に制定された“道路交通取締法第3条”で青色と表現され、現在の“道路交通法施行令第3条”でも青色と記している。
緑を青と呼ぶ理由は、もともと日本語の「青」という表現が広く曖昧であり、青菜、青竹、青葉など緑色のものを青と呼ぶ場合が多かったことに関係しているという説が有力。その他にも、赤の対極にある色が緑ではなく青だからという説、色の三原色である赤・黄・青が影響しているというような説がある。真意は定かでないが、こういったことから緑信号を青信号と表現するようになったようだ。
黄色信号は、注意して進めではなく、止まれが原則
信号機の色は、“青色は進め、黄色は注意、赤色は止まれ”と、理解している人が多いのではないだろうか。この小さい頃から何となく言われて身についている理解は大きな間違いで、3色灯の正しい指示は次の通りである。
・青色→進むことができる。
・黄色→止まれ。ただし、停止線を越えていたり、停止線で安全に止まれないなど危険がともなう場合は、進むことができる。
・赤色→止まれ。
黄色点灯はあくまで止まれが原則で“注意して進め”とか“急いで進め”ではない。黄色で進むことができるのは、クルマを停止させることが危険な場合。たとえば、止まるために急ブレーキとなり、追突、スリップの恐れがあるような場合だ。これを勘違い、あるいは拡大解釈して、信号機の手前で黄色に変わると、止まるどころか逆に加速して素早く交差点を通り抜けようとする人が多いが、これは非常に危険だ。
また青色点灯は、無条件に進めということではなく、歩行者や他のクルマなどの周辺状況に問題なければ“進んでよい”という意味なので、例え青色点灯でも周囲の状況に気を配らなければいけない。自分がルールを守っても、他人が守るとは限らないからだ。
1910年頃から、数は少ないが輸入車が徐々に増え始め、それによって交通事故も起こるようになった。1920年には、現在の道路交通法の原型である“道路取締令”が制定され、交通ルールが定められた。信号機もその一環で設置が急がれたのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。