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■パイクスピークでのi-MiEVエボIII のEVクラス優勝を報告
2014(平成26)年7月3日、米国コロラド州パイクスピークで開催された「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム(6月23日~29日開催)」で、「i-MiEVエボIII」がEVクラスで優勝したのを受け、三菱自動車が報告会を開催した。
●米国で高い人気を誇る山岳レースのパイクスピーク
パイクスピークは、米国コロラド州ロッキー山脈に位置する標高4301mの山頂で、毎年アメリカ独立記念日前後に開催される山岳レース(ヒルクライム)である。
初めて開催されたのは1916年で、米国ではインディ500に次ぐ歴史あるレースで、標高2862m地点をスタートし、頂上までの標高差1439mを一気に駆け上がる。走行距離は19.87kmでコーナーの数156、平均勾配は7%、全コース舗装路だが(※2012年以降)、ガードレールがない部分が多く、危険を伴うレースでもある。
スタート地点とゴール地点の標高差が大きいため、自然との闘いのレースとされ、天候(気温や雨風)の変化や気圧、酸素濃度の変化が大きく、マシンとエンジンの特別なチューニングが勝負を分ける。
●i-MiEVをパイクスピーク用にチューンしたi-MiEVエボIII
i-MiEVエボIIIは、パイクスピークヒルクライムに参戦するために開発されたレース用EVマシンである。スチールパイプで組まれたフレームにカーボン製カウルを組み合わせ、駆動モーターを4基搭載した4WDで、最高出力は450kW(フロント112.5kW×2、リア112.5kW×2)を発揮する。
また、三菱が得意とする車両運動統合制御システム「S-AWC(スーパーオールホイール制御)」やAYC(アクティブヨー制御)、ASC(アクティブスタビリティ制御)などを採用し、ハイパワーに加え優れた旋回性能と操縦安定性も実現した。
2012年から参戦したi-MiEVエボは改良を重ね、3年目の2014年6月23日~29日のレースに2台のi-MiEVエボIIIでEVクラス優勝を目指した。結果は、グレッグ・トレーシー選手が9分08秒188のタイムを記録し、念願のEVクラス優勝を達成。増岡浩選手も9分12秒204で同2位となり、1、2フィニッシュを飾った。なお、総合でもトレーシー選手がトップとの差2.387秒で2位、増岡選手が3位だった。
この日の報告会では、増岡選手が“あと500mm、1km長かったら総合優勝できたかもしれない”と語り、嬉しさとともに残念さもうかがわせた。
●パイクスピークで金字塔を打ち立てたモンスター田嶋
パイクスピークで日本人としてその名を残しているのは、レーサーであり、現在は実業家でもある田嶋伸博氏だ。田嶋氏は、1990年代から2000年代にかけ全日本ダートトライアル選手権で9回のチャンピオンに輝くなど、国内外のダートトライアルやラリーで活躍。その果敢な走りから、「モンスター田嶋」と呼ばれている。
モンスター田嶋選手、初めてパイクスピークに参戦したのは1988年のこと。以降は毎年参戦し、1995年にスズキスポーツ「ツインエンジン・エスクード」で初の総合優勝、2006年にも「エスクード・ヒルクライムスペシャル」で2回目の総合優勝を飾った。
そして2007年には、スズキスポーツ「XL7・ヒルクライムスペシャル」を駆けて、当時の世界記録10分04秒06で3回目の総合優勝。ベース車「XL7」は、米国で発売されているスズキのSUVだが、レース用にパイプフレームで構成された軽量なシャシーに、3.6L V6 ツインターボエンジンをミッドシップに搭載した4WDマシンで、最高出力1007psを発揮する、まさしくモンスターマシンだった。
その後も、2011年まで6連覇を果たした田嶋氏は、これらの功績が認められ、2016年に日本人として初めてパイクスピークの殿堂「ホール・オブ・フェイム」入りの栄誉が与えられた。
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2005年にWRCやパリダカから撤退していた三菱だが、当時i-MiEVとアウトランダーPHEVを発売し、他社に先行して電動車両を投入していた。パイクスピーク参戦は、自社の電動化技術と4WD技術をアピールするためであり、EVクラス優勝によってその役目は十分果たしたと言える。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。