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■ダットサンブランドの復活第1号「GO」を発表
2013(平成25)年7月15日、日産自動車は新興国向けに28年ぶりに「ダットサン」ブランドを復活、その第1号車としてコンパクトハッチバック「GO」を発表した。2014年から、インドとインドネシア、ロシア、南アフリカなど新興国で販売を開始した。
●ダットサンは日産自動車のルーツ
日産の歴史を辿ると、1911年に創立され、小型乗用車「DAT自動車(ダット<脱兎>号)」を生産した快進社まで遡る。DATは、資金支援者の田(D)と青山(A)、竹内(T)の3氏のイニシャルを取ったもの。
その後、ダット自動車商会と社名を変え、大阪の実用自動車製造と合併してダット自動車製造となり、「DATSON(後にDATSUN)」という車名の乗用車を開発。そして、このダット自動車製造を鮎川義介氏が設立した戸畑鋳物が1933年に吸収合併して自動車製造株式会社に、その翌1934年に社名を変更して日産自動車が誕生したのだ。
日産自動車ができる前に、すでにDATSUNというクルマが存在し、ダットサンはブランドと同時にトレードマーク(商標)でもあり、車名の冠としても長く使われた。初期の日産のクルマには、「ダットサン・サニー」や「ダットサン・ブルーバード」のように車名の前にダットサンというブランド名が付いていたのは、このためである。
その後も日本国内外で日産のブランド名として使用していたが、特に米国ではDATSUNの方がNISSANよりも認知度が高かったが、1986年にダットサンブランドを廃止した。
●ダットサンの復活はゴーン氏の肝いりだった
ダットサン復活が発表されたのは、2012年に開催された6ヵ年の中期経営計画「日産パワー88」だった。当時、日産の会長だったカルロス・ゴーン氏は、6%に満たなかった世界シェアを8%に高める拡大路線を打ち出した。実現に向けて17年3月期末までに、世界での生産能力を800万台以上に引き上げる計画を掲げ、販売増を支えるためのブランド戦略を策定した。
ブランド戦略のなかで注目されたのが、新興国開拓の目玉と位置付けられたダットサンブランドの復活であり、ダットサンブランドを充実させてインド、インドネシア、ロシア、南アフリカなどの新興国成長市場に展開することだった。
そして2013年のこの日、生産国インドで新型車ダットサン「GO」の発表会が盛大に行われた。
●新興国市場の拡大を狙った新型車「GO」
ダットサンブランドの復活第1号モデルとなる「GO」のデザインは、日本の日産のグローバルデザインセンターが担当し、開発は現地の市場要件を熟知しているインドで実施。生産は、ルノー・日産アライアンスの最も新しい工場にひとつであるチェンナイ近郊のオラガダムにある工場で行った。
「GO」は、4代目「日産マーチ」よりもひと回り小さく、エッジを効かせたヘッドライトなどで全体的にシャープなスタイリングの5ドアハッチバックで、コンパクトでありながら乗員5人が快適に過ごせる車内空間を実現。パワートレインは1.2L直3 DOHCエンジン(HR12DE型)と5速MTの組み合わせ、駆動方式はFFである。
車両価格は、40万ルピー(約66.8万円、1ルピー=1.67円で換算)以下という低価格だった。
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新興国開拓を狙った日産の戦略だったが、インドはスズキ、インドネシアはトヨタの牙城を崩すことができず、販売は伸びず、思惑通りにダットサンブランドを育てることはできなかった。結局、2023年6月にダットサンブランドは終焉を迎え、100年以上にわたった歴史に幕の下ろしたのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。