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■日産の技術を結集させて大ヒットした3代目ブルーバード
1967(昭和42)年8月15日、日産自動車から3代目「ブルーバード」がデビュー。日本の小型乗用車のパイオニアとして人気を獲得したブルーバード。なかでも特に人気だった3代目は、高速時代に相応しい革新的なモデルであり、その俊敏な走りで多くのファンを魅了した。
小型乗用車のパイオニアとなった初代ブルーバード(310型)
1950年代後半は、1955年に誕生した「トヨペットクラウン」に代表される純国産車が登場し、日本で本格的な自動車づくりが始まった自動車黎明期。トヨタから1957年に初代コロナ「トヨペットコロナ」がデビューし、それに対抗する形で1959年に日産の初代ブルーバード「ダットサン・ブルーバード」が誕生した。
初代ブルーバードは、親しみのある丸みを帯びたフォルムの4ドアセダンで、パワートレインは1.0Lおよび1.2L 直4 SOHCエンジンと3速MTを組み合わせたFRレイアウトを採用。マイカーブームの盛り上がりもあり、初代ブルーバードは1ヶ月で約8000台を受注する大ヒットを記録した。
ライバルのコロナとは、市場を二分する熾烈な販売合戦、いわゆる“BC戦争”が繰り広げられたが、初代の対決はブルーバードが圧倒。連続64ヶ月間にわたり小型乗用車トップに君臨し、小型乗用車のパイオニアとして輝かしいデビューを飾った。
スポーティな走りで人気を獲得した3代目(510型)登場
好調な初代ブルーバードに続いて、1963年に2代目(401型)がデビュー。初代のキープコンセプトで人気を継続したが、ライバルの新型コロナが巻き返してトップの座を奪取。首位奪回にために1967年に登場したのが3代目(510型)である。
3代目ブルーバードは、プラットフォームやエンジンなどを一新。高性能時代にふさわしいスーパーソニックラインと呼ばれるシャープなフォルムに、新開発の1.3L&1.6L直4 SOHCエンジンを搭載し、当時としては先進の4輪独立サスペンションなどを採用した革新モデルだった。
特に1.6L高性能エンジンを搭載したスポーツグレード「ブルーバード1600SSS(スーパースポーツセダン/スリーエス)」は、その俊敏な走りによって多くのファンを魅了。1968年には、さらにスポーティなクーペも追加されて人気は爆発。2代目でコロナに奪われたトップの座を奪回したのだ。
車両価格は、4ドアデラックスが64.0万円、1600SSSが75.5万円。当時の大卒初任給は3万円程度(現在は約23万)なので、単純計算では現在の価値で人気の1600SSSが約579万円に相当する。
そして、卓越した走りを誇ったブルーバード1600SSSは、いよいよその実力を証明するために、最高峰のサファリラリーへ挑戦したのだ。
ブルーバード1600SSSが成し遂げたサファリ完全優勝
サファリラリーは、東アフリカのケニアとウガンダの両国の約5000kmの悪路コースで行われる、当時最も過酷なラリーだ。ここで優勝することは、市販車の実力の高さを実証することになるため、多くのメーカーが果敢にチャレンジした。
満を持して1600SSSが参戦した1970年の第18回サファリラリーは、雨に見舞われた悪条件で開催され、ライバルは、ポルシェ、フォード、プジョー、ボルボなど外国勢だった。レースは、ポルシェとの一騎打ちとなり、1600SSSはポルシェを追走するかたちで展開。1600SSSは、2位と3位でポルシェにプレッシャーをかけ、逃げるポルシェは逃げ切りを図ったが、無理がたたったのかついにエンジンが焼き付きを起こしてしまった。
その結果、1600SSSがトップを奪取。さらに2位と4位、7位も占めて念願の総合優勝、世界制覇を成し遂げたのだ。その後も、日産はサファリラリーで1971年から2連勝と1979年から4連勝を飾るなどして、“ラリーの日産”の名を世界に轟かせた。
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510型ブルーバードが大ヒットした背景には、クルマの出来栄えの他にも、ラリーなどでの国際的な活躍を日産がアピールし、またマスコミが大きく取り上げたこともある。石原裕次郎主演で、510型のサファリラリーに挑戦する様子を描いた映画「栄光への5000キロ」が評判になったことでも、その人気ぶりがよく分かる。後れを取っていた日本車の優秀さを世界にアピールする重要な役割を果たしたのだ。
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