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■乗用車のような上質化を図った4代目ミラ
1994(平成6)年9月12日、ダイハツの4代目「ミラ」がデビューした。丸みを帯びたスタイリングにダイハツ初の4気筒エンジンを追加するなどして、走りや静粛性を向上させ乗用車並みの上質化を図った。一方で先代同様、走りを追求した人気のホットハッチTR-XXシリーズも設定された。
ダイハツ初の軽乗用車フェローの後継車として誕生したミラ
ミラの先代にあたる「フェロー」は、ミゼットなどの商用車で実績を積んだダイハツが、1966年に初めて投入した軽乗用車だ。日本初の角型ヘッドランプを装備した箱型ボディに、360ccの2気筒2ストロークエンジンを縦置きしたFR駆動で人気を集めた。
ところが、1967年に低価格と最高出力31psの高性能を両立させた「ホンダN360」が登場して空前の大ヒット。ダイハツは、対抗するため翌年1968年にフェローのスポーツモデルとして最高出力を32psまで向上させた「フェローSS」を投入した。
N360を凌ぐフェローSSの走りは、当時は珍しかった本格的なスポーツモデルとして走り好きの若者を魅了し、ダイハツは軽自動車メーカーとして着実に歩み始めた。
スズキのアルトに対抗し誕生したミラ
ミラは、フェローの2代目「フェローMAX」の軽規格変更によって登場した「クオーレ」の商用車版「ミラ(当初はミラ・クオーレ)」として1980年にデビュー、これがミラの初代である。
商用車に設定されたのは、1979年にスズキからデビューして大ヒットした軽ボンネットバン「アルト」に対抗するためだった。軽ボンネットバンとは、乗用車のようなスタイルながら物品税のかからない商用車とすることで、車両価格を安くできる大きなメリットがあったのだ。
アルトの一般的なハッチバックに対して、ミラ・クオーレはハッチバックながら“FF1.5ボックス”というレイアウトを採用。エンジンが収まるフロント部をコンパクトに仕上げた上で全高を高くし、室内空間と荷室空間を広くしたことで、アルトとの差別化を図った。
その後、ミラとアルトは、それぞれダイハツとスズキを代表する永遠のライバルとして、軽自動車市場をけん引した。
軽の枠を超えた上質化を目指した4代目ミラ
その後、1985年に登場した2代目ミラは、さまざまなバリエーションを展開、特にスポーツモデル「ミラ・ターボTR」や「TR-XX」が注目された。1990年の3代目は、同年の軽自動車新規格に対応して排気量が660ccに拡大されボディも大きくなり、バブル期1991年には軽自動車の国内最多販売台数28万6975台という大記録を達成した。
そして1994年のこの日に登場したのが4代目ミラである。スタリングはオーソドックスな2ボックスだが、直線基調からエッジ部を曲面仕上げすることで乗用車のような上質な印象を演出。ボディタイプは3ドア/5ドアセダン、先代同様スポーツグレードの3ドアホットハッチ「TR-XXシリーズ」が用意された。
エンジンは、主力の660cc 直3 SOHCのキャブ/EFI/EFIターボに加えて、新たに開発されたダイハツ初の4気筒の660cc直4 DOHCエンジンと直3 DOHCターボを設定。直4 DOHCが最高出力58ps、直3 DOHCターボが64psを発揮した。
ホットハッチTR-XXシリーズは、「TR-XXアバンツァート」、「TR-XXアバンツァートR」、フルタイム4WDとなる「TR-XXアバンツァートR4」の3種類がラインナップされ、相変わらず走り屋から注目された。
車両価格は、最も安価なグレードが99.9万円、最もハイスペックなTR-XXアバンツァートR4が126.8万円に設定された。当時の大卒初任給は19万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約121万~153万円に相当する。
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4代目ミラの販売は伸び悩んだ。翌1995年にデビューした自社の軽ハイトワゴン「ムーヴ」の大ヒットの影に埋もれてしまったためだった。出来栄えの良い上質化された4代目ミラだったが、実用性の高い軽ハイトワゴンブームに飲み込まれた形になったのだ。
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