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CR-X「デルソル」とは?
CR-Xは1983年6月に誕生したFFライトウェイトスポーツ。テールを切り落としたようなスタイルとショートホイールベースによる軽快なハンドリングが好評を博した。さらに1.6L直列4気筒DOHC16バルブのZCエンジン搭載モデルが追加され、そのパワーと相まって走り好きのユーザーを魅了した。
1987年9月にシビックと合わせてフルモデルチェンジ。ボディサイズは拡大され、独特なフォルムは踏襲しつつもデザインはよりシャープでスタイリッシュに進化。その鋭い走りはさらに磨きがかかり、先代以上に多くのファンを集めた。その背景には、1989年9月にホンダが誇る「VTEC」エンジン・B16Aを搭載したグレード「SiR」が追加されたことも大きかった。
FFとは思えない鋭いハンドリングとDOHC16バルブエンジンのパワーは走り好きのユーザーを魅了したが、逆に最も簡単にスピンする諸刃の剣だった。そのため事故も少なくなく、アメリカでは保険料が高騰する事態に至り、CR-Xのあり方自体が問われることになった。
そのような流れから、3代目CR-Xは走りを追求するのではなく、よりライトな方向に転換することになった。その一環としてオープンとクーペを1台で楽しめるタルガトップが標準となり、上位モデルではルーフを電動で格納する「トランストップ」を設定。オープンエアの気持ちよさを前面に押し出し「デルソル(delsol)=太陽」を車名に戴き、1992年2月に発売された。
しかし、走り好きのユーザーはこれを退化と捉えた。折しも1991年5月にホンダは軽ミッドシップオープンの「ビート」を発売しており、CR-Xデルソルがそのスタイルからビートの拡大版ミッドシップスポーツになるのではないかという(根拠のない)期待感もその失望に拍車を掛けたようだ。
また、北米市場を志向した異形4灯のデザインも日本市場ではユーザーの支持を得られなかった。事実、1995年のマイナーチェンジ時には内側のアクセサリーランプを無くした2灯フェイスに改められている。これは3代目インテグラも同様で、こちらは横長ヘッドライトに改めた(北米モデルは4灯デザインを継続)。
とはいえ、5代目シビック(1991年にデビューしたEG型)譲りの四輪ダブルウィッシュボーンサスペンションと170psを発揮する1.6L VTECエンジン(B16A型)を搭載した走りは十分にスポーティなものだったが、オープンボディの補強やルーフの開閉機構による重量増(グレードにより+100kg前後)は、従来のスポーツ志向のユーザーにはネガティな要素になったようだ。
また、前二世代はお世辞にも快適とはいえないまでも一応リヤシートのある4名乗車だったのに対し、完全に2名乗車の2シーターになったことによる使い勝手や、何より高めの価格設定がマイナスに働いた。
CR-Xデルソルの特徴である電動でルーフを開閉する「トランストップ」に魅力を感じるユーザーも少なくなかったのだが、なにせトランストップ仕様車は188万円と、同じ1.6L VTECエンジン搭載車のシビックSiR-II(162万円)よりも20万円以上高かったのだ。
SiRの手動ルーフ車でも171万円とシビックSiR-IIより10万円近く高いうえ、手動ルーフ車はその脱着の手間はもちろん、トランストップ以上にルーフ格納時のトランクスペースが制限されてしまうこともCR-Xデルソルの逆風になったようだ。
最終的に1998年に生産終了。1999年には在庫販売も終了してCR-Xの名跡はここに途絶えた。新車登録台数は1万5000台あまりとされ、当時の感覚で言えば”不人気車”という扱いになってしまったのは惜しまれる。なお、その復活は2007年のコンセプトカーと2010年の市販モデル「CR-Z」まで待つことになる。
CR-Xデルソルをこよなく愛する勇士と28台の愛車
そんなCR-Xデルソルが年に一度モビリティリゾートもてぎ(ツインリンクもてぎ)に集まるのが「デルソルもてぎミーティング」で、今年で25回目を迎える。集まったCR-Xデルソルは前期後期、グレード、ボディカラーもさまざまな28台。ノーマルからカスタム車まで実に多彩なラインナップとなった。
ミーティングは参加台数や普段からインターネットで交流していることもあり、とてもアットホームな雰囲気。年配のオーナーから若いオーナーまで、和気藹々と交流を楽しんでいた。
話を聞くをやはりオープンとクーペの両方が楽しめる点や独特のスタイルを気に入っているようで、走り志向のオーナーが少なかったのは、CR-Xデルソルのコンセプト通りといったところか。
トランストップについては、やはりCR-Xデルソルの魅力として挙げるオーナー多い一方で、トラブルによる開閉不能リスクを考えると手動で良かったというオーナーも少なくなく、それぞれに考え方の違いがあるようだ。
オーナーによると、トランストップはルーフを前後に移動する機構にトラブルが出やすく、もっと大掛かりに見えるルーフを格納するトランクリッドの上下動にトラブルは出にくいそうだ。
登場時に欲しかったものの新車価格が高く手が出なかったが、不人気ゆえの中古車の値下がり率が大きく、新車ではないものの状態の良い中古車を買って長く乗っているという声もあり、やはり価格の高さはネックになっていたことを伺わせる。
アットホームなミーティングではあるが、年に一度のイベントということで参加者の投票によるエントリー車コンテストを実施したり、開発責任者とZCエンジンの開発者を招いてのトークショーを実施するなど、CR-Xデルソルオーナーには嬉しいコンテンツも用意された。
開発責任者のトークショーやじゃんけん大会で盛り上がる
また、コレクションホールの会場ではCR-Xデルソルの開発責任者である繁浩太郎氏と元本田技術研究所主任研究員エンジン設計部署所属の川田恵一氏をゲストに迎え、オープンカーとCR-Xデルソルをテーマにトークショーが行われた。
クルマの誕生からオープンカーの存在や意義にまで遡るアカデミックな内容を見せつつ、なぜCR-Xデルソルが前二世代と異なるオープンカーになったかなどが語られた。
ちなみに、なぜオープンカーに路線変更したかについては、前二世代のCR-Xがあまりにスポーティに過ぎたため事故が多く、アメリカで保険料が高騰してしまい、緩やかな方向へ舵を切る必要があったからと説明された他、手動ルーフについてはアメリカ市場のために急遽開発されたもので当初は予定がなかったなどの裏話も開陳された。
トークショーの他にもコンテストの結果発表が行われ、繁氏の手により記念品が手渡された。他にもじゃんけん大会で特別製のルーフなど色々なアイテムがプレゼントされるなど、大いに盛り上がった。
最後はコレクションホールの中庭でコンテスト入賞車を前に参加者&関係者で記念撮影を行い、ミーティングの屋内での催しは終了した。
コレクションホール企画展「ホンダオープンカーの変遷」
コレクションホールでは企画展としてS2000誕生25周年企画として「ホンダオープンカーの変遷」を開催しており、ホンダのオープンカーが企画展エリアにまとめられていた。展示車両はS600からS660まで、ホンダのオープンモデルがずらりと並ぶ。
その中でもCR-Xデルソルは中央付近のタイトルバック前というなかなかのポジションを占めていた。
ミーティング参加者も館内を回り、もちろんこの企画展をチェックしていた。
ホンダコレクションホール
Garage Collection S2000誕生25周年記念展示
『ホンダ オープンカーの変遷』
開催期間:2024年10月19日(土)〜2025年3月9日(日)
展示車両:S600(1964年)、バモス・ホンダ(1971年)、シティ カブリオレ(1984年)、ビート(1991年)、CR-X デルソル(1992年)、NSX-T(1995年)、S2000(1999年)、S660(2015年)
トランストップ駆動ギアをその場の交換!
CR-Xデルソルの最大の特徴であるトランストップは電動駆動機構に弱点があり、オーナーはその対策に苦慮してきた。特に要となる前後スライドの駆動機構はギヤトレインで構成されているのだが、設計かあるいは製造精度の問題かギアの軸位置が良くないらしく、中央の3つの樹脂製ギアに負荷がかかるという。
駆動時と構造上の負荷、走行などによる振動、経年劣化でこの3つの樹脂が破損することがままあり、そうなるとトランストップを動かすことはできない。閉じている時ならまだしも、開けている状態ではオープン固定になってしまうし、まして開閉途中では走行すらできなくなってしまう。そこで、オーナー間では有志が製作したという金属製対策部品に置換しているケースもあるという。
そして、ミーティングのコンテンツのひとつしてこの駆動ギアの交換実演が行われた。その工程はCR-Xデルソルのトランストップ仕様オーナーとしてはぜひ見ておきたい。もちろん経験済み&対策済みのオーナーはいるにせよ、いつ起きるともわからないトラブルだけに、その視線は真剣そのものだった。
また、じゃんけん大会で贈られた特別なルーフをその場で装着したり、ルーフが開かないオーナーのクルマをみんなで協力して修理するなど、オーナー同士の知見と強い団結力を感じさせた。
また来年!愛車の無事と再会を誓い解散
トークショーやコンテストの結果発表、記念撮影といった催しが終われば基本的に自由行動なミーティングで終了時刻も曖昧。オーナー同士つのる話も多く、三々五々にそれぞれ会場を後にする。最後は日が暮れるまで語り合い、ようやく名残を惜しみつつ解散と相なった。
これから個体数が増えることのないCR-Xデルソル。オーナーたちは来年のミーティングでまた再び集まれるよう愛車の無事を約束して会場を後にし、ミーティングは幕を閉じた。