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■アメ車風の硬派なローレルに変貌した2代目

1972(昭和47)年4月4日、日産自動車はハイオーナーカー「ローレル」の初めてのモデルチェンジを行ない、2代目を発売した。初代の欧州車風から、アメリカ車風のダイナミックなスタイリングに変貌し、特にハードトップの大胆なリアのデザインは、親しみを込めて“ブタケツ”と呼ばれた。

ハイオーナーカーを謳った初代ローレル(C30型)
1968年4月、日産は「ブルーバード」のワンランク上で「セドリック」の下に位置するアッパーミドルセダンのローレルを、“ハイオーナーカー”というキャッチコピーを掲げて市場に投入した。

ブルーバードで採用された“スーパーソニックライン”を踏襲した直線基調のスタイリングに、サスペンションはブルーバードと同じフロントがマクファーソン・ストラット、リアがセミトレーリングアームの4輪独立懸架、さらに国産車初のラック・ピニオンのステアリング機構を採用するなど、先進技術満載だった。
パワートレインは、最高出力100ps/最大トルク15.0kgmを発揮する1.8L直4 SOHCのエンジンと、3速/4速MTおよび3速ATの組み合わせ。駆動方式は、FRである。

先進的な技術を備えていた初代ローレルだったが、半年後に登場したセダンとハードトップを用意したトヨタの初代「コロナ・マークII」に人気を奪われ、販売は苦戦した。コロナ・マークIIは、コロナのボディを大型化しメッキパーツを多用して高級感を演出、さらにインテリアの装備も充実していた。

ハードトップの人気を目の当たりにした日産は、1970年にローレルに2ドアハードトップモデルを設定。日産初のピラーレスハードトップを採用することで、コロナ・マークIIに対抗した。
アメリカ車風の硬派に変貌した2代目(C130型)

1972年4月のこの日に登場した2代目ローレルは、4ドアセダンと2ドアハードトップを用意。スタイリングは、初代の欧州車風から、アメ車風の彫りの深いダイナミックなフォルムに変わり、堂々とした風格をアピールした。全長・全幅ともに大きくなったボディの室内空間は、ゆったりできる広さを確保し、インテリアもブロンズ色のコクピットを採用するなど、豪華で格調の高いムードに仕上げられた。

パワートレインは、最高出力105psの1.8L直4 SOHC、仕様違いの110ps/120ps/125psの2.0L直4 SOHC、115ps/125ps/130psの直6 SOHCの多彩なエンジンラインナップに、3速/4速/5速MTおよび3速ATの組み合わせ。駆動方式は、FRである。

車両価格は、標準的な4速MT仕様でハードトップの2.0L標準グレードが84.5万円、トップグレードが103.0万円に設定。当時の大卒初任給は、5.6万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で標準グレード約347万円、トップグレード423万円に相当する。
コロナ・マークIIの後追いでなく、ローレルの個性を発揮し始めた2代目は人気を獲得することに成功したが、それでもコロナ・マークIIの後塵を拝する状況は打破できなかった。
ブタケツの愛称で、走り好きの若者からも愛された2代目
2代目がブタケツと呼ばれたのは、2ドアハードトップに設定された個性的なリアのデザインに起因する。

大きく盛り上がったリヤフェンダーの形状と、テールランプがバンパーに埋め込まれたことによってトランク部のボリューム感が増したリアが“ブタケツ”と呼ばれる由縁である。ブタのお尻には見えないが、大きいお尻がブタのお尻を連想させるのかもしれない。

もう一つ2代目で特徴的なのが、走り好きの若者やヤンチャな暴走族からチューニングしやすい、チューニングするとよりカッコよくなるクルマとして持て囃されたことだ。搭載されていた2.0L 直6エンジンが、当時のセドリックやグロリア、スカイライン、フェアレディZなどに搭載されていたエンジンに改良を加えたもので、他のモデルのエンジン部品を流用しやすかった。さらにホイールアーチが大きくタイヤハウスが深いため、太いタイヤを履かせることができた。これらによって、パワーアップしたり、ドレスアップしたりするのに都合が良かったのだ。

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初代ローレルは、コロナ・マークIIをライバル視して登場したが、後塵を拝することになった。2代目は、軟派なマークIIに対して硬派なローレルへと舵を切ったのだ。その後も、販売台数でマークIIに追いつけなかったが、ローレルは個性的なモデルとして存在感を示し、一定の人気は維持し続けた。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。