一世風靡!カローラとサニーを抑え販売No.1となったマツダ5代目「ファミリア」はなぜみんなに愛されたのか?【歴史に残るクルマと技術088】

5代目ファミリア
5代目ファミリアは、なんといってもサンルーフ仕様が人気だった
ロータリー車のモデル展開を進めていたマツダは、1970年代のオイルショックと排ガス規制の強化で大打撃を受けた。1980年6月にデビューした5代目「ファミリア」は、スタイリッシュなフォルムと軽快な走りで“赤いファミリア旋風”を巻き起こして大ヒット、マツダの救世主になったのだ。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・軽自動車のすべて、マツダ新型ファミリアのすべて、昭和版軽自動車のすべて、歴代軽自動車のすべて

トラックと軽自動車で成功したマツダが乗用車市場に参入

CMTB-71の3輪トラック
マツダのルーツ、CMTB-71の3輪トラック
K360
1959年、ダイハツ・ミゼットのライバル、K360がデビュー。空冷V型2気筒OHVエンジンを搭載する
B360
1960年には、軽商用バンのB360が発売された。4サイクルOHVの強制空冷V型2気筒を搭載

1955年に政府が提唱した「国民車構想」に刺激され、自動車メーカーから新型の小型乗用車が続々と登場し、日本のモータリゼーションが幕開けた。トラック事業で成功し、総合自動車メーカーを目指していたマツダは、1960年に乗用車市場への進出を図るトップバッター「R360クーペ」、第2弾として1962年に軽乗用車「キャロル」を発売した。

R360クーペ
マツダ初の乗用車は2+2のR360クーペだ

さらに政府は、国民車構想に続いて1961年に「乗用車メーカー再編成構想」を発表。これは、国産乗用車の競争力を強化するため、乗用車メーカーを“量産車グループ”と“スポーツカー/高級車グループ”、“軽乗用車グループ”の3つのグループに分けるというもの。

R360クーペ
マツダ初の乗用車は2+2のR360クーペだ
R360クーペ
R360クーペ、フロントにラゲッジスペース、リヤにエンジンルームというRR

この乗用車再編成が実施されれば、まだ軽自動車しか作っていなかったマツダは軽乗用車グループに分けられ、目指す総合自動車メーカーの夢が絶たれる可能性があることから、マツダは小型乗用車の開発を急いだのだ。

マツダ・キャロル
1962年登場のマツダ・キャロル
マツダ・キャロル
1962年登場のマツダ・キャロル

ただし、実際には国民車構想も乗用車メーカー再編成構想も、独立独歩を希望する乗用車メーカーの大反対によって実現することはなかった。

国民車構想と再編成構想に呼応して誕生した小型車ファミリア

初代ファミリアバン デラックス
ファミリアはこのクルマから始まった! 初代ファミリアバン デラックス
初代ファミリア
1963年10月に発売された初代ファミリア

「国民車構想」と「乗用車メーカー再編成構想」に呼応する形で、マツダが始めて生産した小型乗用が、1963年にデビューした「ファミリアバン」と1964年の「ファミリアセダン」だった。

ファミリア800 セダン
1964年にデビューした「ファミリア800 セダン」

ファミリアセダンは、最高出力45psのアルミ合金製782cc水冷4気筒エンジンを搭載、最高速度は115km/hと世界レベルの動力性能を誇った。小型大衆車の先陣を切ったトヨタ「パブリカ」や三菱「コルト」よりも商品力で上回り、ファミリアシリーズの月販台数は1965年には月販1万台を超える大ヒットを記録した。

ファミリア・ロータリークーペ
2代目ファミリアを有名にしたファミリア・ロータリークーペ
ファミリア・ロータリークーペのコクピット
ファミリア・ロータリークーペのコクピット
ポーター
1968年にボンネットトラックとしてデビューしたポーター。B360の後継モデルだ
シャンテ
キャロルの後継として1972年に登場したシャンテ

その後、2代目では量産初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」に続く、第2弾の「ファミリア・ロータリークーペ」も設定され、3代目はボディサイズがひと回り大きくなり、ロータリー車は廃止。そして、4代目はそれまでの3ボックス型セダン/クーペからキュートな親しみやすい2ボックス型のハッチバックに変貌し、若者や主婦層から人気を獲得した。

プレスト1300シリーズ
1970年3月に登場したレシプロ版のプレスト1300シリーズに続き、1000cc OHCエンジンを搭載したプレスト1000シリーズもデビュー
3代目ファミリアAP
3代目ファミリアAPは1977年1月にデビュー
4代目「ファミリア」
1977年に登場した4代目「ファミリア」。キュートなフォルムで人気となった

マツダ初のFFコンパクトカーの5代目は、歴史的な大ヒットに

マツダ5代目ファミリア
マツダ5代目ファミリア

1960年代後半から1970年代にかけてロータリー車の展開を図っていたマツダだが、1970年代のマツダはオイルショックと排ガス規制の強化によって大きな打撃を受け、経営状況が逼迫。そのため、1980年に投入された5代目ファミリアには、社運を賭けた大きな期待がかけられたのだ。

5代目ファミリア
1983年にはターボ仕様も追加された5代目ファミリア
5代目ファミリア
1983年にはターボ仕様も追加された5代目ファミリア

5代目ファミリアの最大の特徴は、従来のFRからマツダ初のエンジン横置きのFFに変更されたこと。また、駆動方式だけでなく、プラットフォームやパワートレインなどすべてが一新され、直線基調のエッジの効いたシャープなフォルムの3ドア/5ドアハッチバックを設定。パワートレインは、1.3L/1.5L直4 SOHCエンジンと、4速/5速MTおよび3ATの組み合わせ、3年後にはターボモデルも追加された。

ファミリア4ドアセダン
ハッチバックの3ヵ月遅れで登場したファミリア4ドアセダン

5代目ファミリアは、スタイリッシュなヨーロピアン風のスタリングとFF化によって実現された広い室内空間、そして俊敏な走りが高く評価され、空前の大ヒットを記録。ファミリアの月間発売台数は、トヨタ「カローラ」と日産「サニー」を抑えて首位に立ち、発売27ヶ月で100万台を達成。苦しむマツダの救世主となったのだ。

陸(オカ)サーファーという新語を作った赤いファミリア旋風

5代目ファミリア
5代目ファミリアは、なんといってもサンルーフ仕様が人気だった

人気のファミリアの中でも、赤いボディで電動サンルーフが標準装備の車両価格103.8万円のファミリアXGは、「赤いファミリア」と呼ばれて若者の間で爆発的なヒットとなった。ちなみに当時の大卒初任給は11.5万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算で現在の価値では207万円程度に相当する。一方で、1.3Lの3ドアXCなら78万円、同時代の軽自動車が75万円なので安価なファミリカーとしての側面も持ち合わせていた。

マツダ5代目ファミリア
1980年にデビューして大ヒットした5代目「ファミリア」。特に赤いファミリアは、若者から圧倒的に支持された

赤いファミリアがけん引した、鮮やかなボディカラーのルーフに、サーフボードを載せた“陸(オカ)サーファー”と呼ばれたスタイルが大流行して、若者文化を象徴する社会現象になった。陸サーファーとは、“サーフボードをクルマに載せてサーファーのような恰好をしているが、実際にはサーフィンをほとんどしない若者”を指す。当時は、洒落たクルマとサーファーの組み合わせが、女性にモテる大きな武器だったのだ。

マツダの5代目ファミリアが登場した1980年は、どんな年

1980年には、マツダの5代目「ファミリア」の他にも、ダイハツの「ミラクオーレ」も発売され、日本の自動車生産台数が初めて年間1000万台を超え、国別の生産台数で世界1位となった記念すべき年である。

ミラクォーレ
1980年にデビューした軽ボンネットバンのダイハツ「ミラクォーレ」

ミラクオーレは、当時大人気となった“軽ボンネットバン”のスズキ「アルト」に対抗してダイハツから発売。アルトとは異なる1.5ボックススタイルで居住性を高めてアルトに負けない人気を獲得した。

その他、モスクワオリンピック開催(日本や欧米67ヶ国が不参加)、イラン・イラク戦争勃発、プロ野球の王貞治および歌手の山口百恵さんが引退、元ビートルズのジョン・レノン氏の銃殺事件が発生。大塚製薬「ポカリスエット」、タカラの「チョロQ」が発売された。
また、ガソリン154.8円/L、ビール大瓶240円、コーヒー一杯250円、ラーメン310円、カレー400円、アンパン80円の時代だった。

5代目ファミリアの主要諸元
5代目ファミリアの主要諸元

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ヨーロピアン風のスタリングとスポーティな走りが高く評価されて大ヒットした5代目「ファミリア」。特に、若者から爆発的な人気を獲得して一大ブームを巻き起こした赤いファミリア、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…