当時の面影を色濃く残す貴重なポルシェ912高速パトカー
ポルシェ912といえば356用に作られた余剰エンジンを911に載せて発売された廉価版というイメージが強い。だが発売された1965年当時、90psを発生する水平対向4気筒エンジンは日本国内において高性能であることに変わりはなく、名神高速や東名高速での取り締まりには適役だったことだろう。そこで京都、愛知、静岡、神奈川の各県府警に1台ずつ、912が高速パトカーとして導入された。
一定の年数を経過するとパトカーは代替えとなり、既存の車両は廃棄処分になる。ゆえに912高速パトカーの多くもスクラップされてしまうのだが、神奈川県警に導入された車両は県警の学校ロビーに長らく展示されることになる。これが運命の別れ目で、警察学校に展示された後では廃棄処分される予算が確保できなくなってしまう。そのため、民間の解体業者へわたり処分されることになるのだ。
解体業者のヤードに積んである912高速パトカーを目ざとく発見してブログに掲載している人もあるくらいで、一部マニアの間では有名な存在だったようだ。今回の車両オーナーである倉林高宏さんもその一人で、およそ20年ほど前に現車を見つけるや業者へ譲ってくれるよう頼んでみたそうだ。
だが業者も廃棄処分にするよう頼まれた特殊車両であるため、譲渡してくれるはずもない。だが倉林さんは何度も通い詰め、業者が根負けするのを待った。こうして手に入れたのが現車というわけだ。
だが、ここからが大変だった。エンジンは再始動したもののシフトリンケージなどブッシュ関係はことごとく粉砕しているため、まともに動かせない。トラブルを一つずつ解消して走れるようになったのが数年前というから、まさに情熱の賜物だ。
廃棄処分される予定だったため、当然のように登録書類は残っていなかったが、長時間かけて再登録できる書類を用意した。それが今から2年前のこと。実に18年もの時間を経て、路上復帰に成功したのだ。
走行に不安ない状態としたが、ボディや装備品はあえてそのままにしている。というのも、現役当時のボディ塗装には神奈川県警察という文字がそのまま残り、オールペイントしてしまっては貴重な存在である証を消してしまうことになる。すでにひび割れてしまっているが、塗装はあえてそのままにしている。だが走行する際には警察という文字を隠し、赤色灯にもカバーを被せて警察車両ではないとアピールするようにしている。
このポルシェ912高速パトカーは東名警察を6年間走り続けた結果、走行距離は15万kmを超えて引退している。その間、エンジン修理のため当時の西ドイツへ送り返されるなどの経緯もあり、維持するための困難さを物語っている。
現役当時のナンバープレートは「横浜8つ・858」だったが、警察学校の展示時には「88さ10-90」に付け替えられた。管轄する都道府県名がないのは同時期の高速パトカーである日産フェアレディ240ZGについていた数字を使って展示用に作られたナンバープレートであるためだ。倉林さんはこの展示用プレートも所有されている。
室内も当時のままをよく保っている。高速パトカーならではの装備品であるダッシュボード上のスピード計測器やナショナル製マイク用アンプなど、貴重な品々が確認できる。リヤに置かれたヘルメットは展示用のものだが、室内にも当時の雰囲気がプンプンと漂っているのだ。
入手時には大型の発電機が追加されていたエンジンは、点火プラグを交換して直接ガソリンを送り込むと再始動することに成功した。だが結果的にエンジン本体をオーバーホールすることになった。また燃料タンクが崩壊していたため、燃料系にサビが回っているのは確実。そこで純正の負圧式ポンプは使わず電磁ポンプに置き換えホース類なども刷新している。
高速パトカーらしくフロントフードに付いていたポルシェのエンブレムは外され、旭日章に変更されている。だがホイールキャップなどにはポルシェのエンブレムが残っている。タイヤは165/80R15と小さく細いもので時代を感じる部分。だが、カスタムしてはいけない車両ゆえ、あえて当時のままで路上復帰させたオーナーに拍手を送りたい。