中古車相場も上がっていない。80年代車入門には狙い目!
1989年は国産車の当たり年としても知られ、日産Z32フェアレディZや日産R32スカイライン、ユーノス・ロードスターなどスポーツカーだけでなく日産インフィニティQ45やトヨタ・セルシオといった高級セダンなども発売されている。この年に生まれた名車の中で、メーカー自身の運命まで変えてしまうほどの影響力があったのは、スバル・レガシィといっていいだろう。
当時の世界速度記録を打ち立て、従来からのイメージを刷新して高性能車という新たな価値観を生み出した初代レガシィ。前身であるレオーネ時代からの伝統としてセダンのほかにツーリングワゴンをラインナップしたことで、当時のワゴンブームに火をつけた存在でもあった。高性能かつ積載性に優れるスタイリッシュなワゴン。売れない要素がどこにもないほどで、事実大ヒットした勢いが代々続くことになる。
今回取材したのはGTだが、よりパワフルなエンジンを備えるRSが、初代レガシィ発売前に10万キロ耐久テスト時に平均速度223.345km/hの速度記録を打ち立て、高性能セダンであることを強くアピールした。そのRSより20ps低くなるが2リッターターボで200psを発生するGTも大いに話題になったものだ。
ところが今や、すでにレア車扱いされている状況で、初代レガシィを見る機会はめっきりと減ったように思う。同じ世代ながらR32スカイラインなどは残存数が多く中古車価格が高騰しているが、初代レガシィでそのような話は聞いたことがない。それでも初代レガシィに憧れ続け、2021年に入手したオーナーがいる。
実はこのレガシィを所有しているのは前回の記事で紹介したスバル・ドミンゴのオーナーでもある押野智也さん。現在21歳という若さながら、高校生の時にドミンゴを譲り受けてしまった強者だ。ドミンゴを手放さず乗り続けているほどのスバル好きだから、初代レガシィに乗っていても自然なことのように受け止められる。
でもなぜ初代だったのか聞いてみると「3代目レガシィに乗っていたことがあって、その時から一度は初代に乗ってみたいと思っていました」とのこと。原点回帰ではないが、初代モデルには特別な魅力を感じるものなのだろう。
ドミンゴも純正のまま維持している押野さんだから、レガシィも極力純正を維持するようにしている。しかも80年代車らしく二桁ナンバーを継承しているから、なおさら当時の姿を維持していたいと考えているそうだ。ただ、困ったことに純正マフラーがすでに手に入らず、穴が空いてしまったため社外品にするしかなかった。
またエンジンは好調なのだが4速ATが壊れてしまった。この時代のクルマでトラブルになる筆頭がエアコン・パワステ・AT、というくらい故障する頻度が高い。ただ走行距離はまだ10万kmに届いてないので壊れるには早いと感じたのだが、「これくらいの距離で壊れる方は多いようです」とのこと。リビルトミッションに載せ換える手段もあったが、押野さんは元のミッションを修理することを選んだ。それも新車時の姿を大切にする気持ちからだろう。
ノーマルであることが大きいかもしれないが、改めて初代レガシィに接してみると、その魅力を再発見できた。当時は「3ナンバーならデザインの自由度が上がるけれど5ナンバーは制約が多い」、なんてお話を聞くことが多かった。けれどレガシィは初代から3代目まで、5ナンバーサイズにこだわりデザインされている。現時点で見ても初代に古さはそれほど感じないし、実にセダンらしいスタイルが魅力的に感じる。走らせても200ps+4WDの実力は色褪せていない。しかも今なら人気が低い(失礼!)状況だから中古車相場も上がっていない。80年代車入門には狙い目の車種だといえそうだ。