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1994年、オデッセイの登場という大きな衝撃
前回までに触れたように、1983年にクライスラーからダッジ・キャラバンが登場し大ヒット。以前からあったフルサイズの大型バンと形は似ていたが小型だったため「ミニバン」と呼ばれるようになる。以降、北米ではミニバン旋風が起こった。
日本ではどうか? 驚くことにほぼ同時期、日産プレーリーや三菱シャリオという同じコンセプトのクルマが登場したが、あまり人気は得られなかった。多人数乗車可能なクルマと言えば、日本で独自の進歩を遂げたワンボックスカーの人気に凌駕された格好。北米市場向けのマツダのMPVやトヨタ・エスティマ(北米名はプレビア)が国内市場にも投入されたものの、やはり人気は今ひとつ。1990年代前半は日本で「ミニバン」という言葉はまだまだ認知されずにいた。そんな状況を一気に打破するクルマが登場する。
1990年に登場したミッドシップスポーツのNSXに代表されるように、ホンダはスポーティな印象が強かった。1980年代からワンボックスやクロスカントリー4WDなどが人気でRVブームなどと言われたが、ホンダにはそのジャンルはなかった。その代わり、ジープ・チェロキーを自社ディーラーで販売したり、ランドローバー・ディスカバリーのOEM車「クロスロード」や、いすゞ・ビッグホーンのOEM車「ホライゾン」などで糊口をしのいでいた。
そもそもホンダは、シビックやアコードでいち早く北米で人気を得た日本車メーカー。北米でのミニバン人気は無視できなくなっていた。そこで1994年に登場したのがオデッセイだ。
FFのアコードをベースに6/7人乗りの3列シートを備えた、まさしくミニバンだった。当初は全幅1770mmという堂々たる3ナンバーサイズゆえ「日本ではボディが大きすぎるのでは……」と言われたが、それは杞憂だった。オデッセイは発売から瞬く間に大ベストセラーカーとなってしまう。
最大の特徴は目線は高いものの、3列シートを備えながら、乗用車と変わらぬハンドリングを実現していたことだ。それは従来からあるワンボックスでは決して得られぬものだった。
長らく3ナンバーサイズナンバー1の販売台数を維持していたトヨタのクラウンから販売首位を奪取。初代オデッセイは43万台以上販売され、日本にミニバンブームを巻き起こした。
だが肝心の本家の北米ではオデッセイは意外にも苦戦を強いられた。小さくて狭い、と捉えられたのだ。さらにこの頃北米ではミニバン=V6のような認識があり、直列4気筒のオデッセイは非力と見なされた。ゆえに北米版2代目オデッセイは国内向けとはまったく異なり、全長約5.1m、全幅1.9m超の巨大なクルマとなった。ミニバンブームのなか、1999年にホンダはこれを逆輸入してラグレイトの車名で国内販売した。
ミニバン不毛の地、日本でその市場を一変させたオデッセイ、まさに名車と言える。
思わぬ理由で決まった、車高の秘密
日本では空前のヒット作となった初代オデッセイだが、北米では「小さすぎる」という理由で苦戦。だが、初代オデッセイがあのボディサイズとなったのには止むに止まれぬ事情があった。RV系の車種を製造してこなかったホンダだが、埼玉県の狭山工場でアコードと同じ製造ラインでオデッセイが生産されることになった。そのラインで製造できるギリギリの大きさが、初代オデッセイのボディサイズだったのだ。1645mm(4WDは1660mm)というワンボックスと比べると遥かに低い全高となったのもこれが理由。だが低めの全高は、乗用車に比べて遜色ないドライバビリティに寄与していることは間違いなく、オデッセイ最大の美点は製造時の制約が生んだとも言えるのだ。
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[スタイルワゴン・ドレスアップナビ編集部]