ネピア・ノマドⅠ/Ⅱ:ディーゼルターボコンパウンドで狙った高出力機(4-3)【矢吹明紀のUnique Engines】

ターボコンパウンドという構造から、ネピア・ノマドの構造は複雑さを極めた。本稿では本機の特徴でもあるガスタービンを主体に、どのようにガス交換がなされていったのかを解説する。
TEXT:矢吹明紀(YABUKI Akinori) FUGURE:Wikimedia Commons

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ガスタービンの構造は、まず前からプロペラシャフトへのギアトレイン、10段(11段と記載されている資料もあり)の軸流コンプレッサータービン、軸流1段セカンダリーパワータービン、軸流1段プライマリーパワータービン、排気ノズルというもの。コンプレッサーパワータービンとセカンダリーパワータービンの間にはクランクシャフト駆動の遠心コンプレッサーがあり、タービンシャフトはこの機械駆動コンプレッサーの中央部を貫通していた。ここで気付くのはタービンにはコンベンショナルなものと異なって燃焼室が見当たらないことだが、実際のところ燃焼室はディーゼルエンジン側の排気ポート直後の集合部に再燃焼室として設けられていた。文字にしただけでもこれだけ複雑なエンジンだったのだが、実機は吸排気システムだけを取り上げて見ても配管周辺の複雑さは文字表現以上であり設計は困難を極めた。おそらく文章を読んでいる側もこのエンジンの動作構造についてやや混乱が生じているかもしれない。ここで一度動作の様子を整理しておこう。

まずディーゼルエンジンへの吸気はガスタービンの軸流コンプレッサーで過給された後、一旦ガスタービンの本体から別のラインへと導かれクランクシャフト駆動の遠心コンプレッサーによる機械式過給機で再度過給される。すなわち二段過給されるシステムだった。軸流コンプレッサーと遠心コンプレッサーの間には水冷アフタークーラーがセットされるというのが当初の設計であり現存している構造図にも残っているが、実機では必要性が認められないとして省かれた。

二段過給された吸気はディーゼルエンジンのシリンダー内に導かれ燃料が噴射され燃焼した後にエンジンを駆動した。駆動後の排気ガスは、高温高圧を維持したままマニホールド後部の再燃焼室を経て再びガスタービン側へと戻され軸流コンプレッサータービンの延長上にあったプライマリーパワータービンを駆動した後に後部のノズルから大気に排出される。再燃焼室を使うのは離陸時及び緊急出力を必要とする場合に限られ、高温の排気ガス中に燃料を吹き込み燃焼させることで温度と圧力を増した燃焼ガスは、プライマリーパワータービンに加えてセカンダリーパワータービンも駆動させることで軸出力を増し、さらに排気ノズルからの燃焼ガスで多少の推力も発揮させることができた。

ここまででわかるのは、再燃焼室を使用しない状態でのガスタービンは事実上やや複雑な構造のターボチャージャーであり、吸気システム自体は軸流ターボコンプレッサー+遠心メカニカルコンプレッサーの二段二速過給だった。ポイントは高過給された2ストロークサイクルディーゼルの高い排気エネルギー+再燃焼装置にあり、それらをフル使用した場合に限りガスタービンとしての機能を付加することができたということである。

一方、出力側の構造はというと航空エンジンとしての軸出力は当然のごとくプロペラを通じて推力として発揮された。組み合わされたプロペラは二重反転型であり、前方のプロペラはガスタービン、後方のプロペラはエンジンによって駆動された。一般に従来の二重反転プロペラの場合前後のプロペラは減速ギアボックスで結合され回転同期が取られていたのだが、ノマドⅠの場合は機械的な同期システムは無く、回転数やプロペラピッチなどはスロットルに連動した出力及び回転同期装置で取られる構造となっていた。これは非常に精密な装置であり、エンジンとプロペラのコントロールは事実上一本のレバーのみで正確にコントロールすることができたと言われている。

アヴロ・リンカーンに搭載されたノマドI(PHOTO:Napier)

ネピア・ノマドⅠは1948年中にガスタービン側がまず完成しテストが実施された。ディーゼルエンジン側が完成したのは翌1949年のことであり、同年10月に初の試運転を行った。引き続きベンチ上で860時間の入念なランニングインを行った後に、予定されていた二重反転プロペラを装着しさらに270時間を掛けて動作確認が行われた。残るは実機に装着しての試験飛行のみだったが、これは1950年に入ってからイギリス航空省からネピアに貸し出されていた4発のアヴロ・リンカーン爆撃機を使って行われた。機首を大改造しそこにノマドⅠを搭載したリンカーンはノマドⅠの動力のみで無事初飛行を終え、翌1951年にはファーンバラで一般に公開された。リンカーンによる総飛行時間は約120時間だったと言われている。これらの各種試験で記録されたスペックは、まず離昇出力が海面高度で3080ehp/2050rpm、これは3000shp/2050rpmに相当した。この数値は当初の計画通りである。最高過給圧は6.58bar(95.5psi)とかなり高かった。3000shpの内訳はディーゼルエンジンが1450shp、ガスタービンが1550shpである。ガスタービンの最高回転数は15600rpmだった。高高度での巡航出力は高度30250フィート(9220m)でディーゼルエンジンが725shp/1650rpm、ガスタービンが750shp/17000rpmの合計1475shpというもの。高高度での巡航時はディーゼルエンジンの回転数が抑えられ、逆にガスタービンの回転数が増していたことからもタービン側の役割が増していたことがわかるデータである。また時間当りの燃料消費率は巡航時で毎時0.36ポンド/1馬力だった。エンジンの全長は126.5インチ(3.21m)、全幅は58.25インチ(1.48m)、全高は49.25インチ(1.25m)、乾燥重量は4200 lb(1905kg)だった。

ネピア・ノマドⅠは無事初飛行を終え、相応の結果を残した一方、時代は既にレシプロピストンエンジンからガスタービン、もしくはターボプロップへと大きく動き始めていた。何よりもレシプロピストンエンジンの効率を上げるためのディーゼル化とガスタービンとのコンパウンド化はイニシャルコスト及びランニングコスト共に負担が大きく、最終的には商品化の見込みなしとして1952年8月を以て試作のみで終了することとなる。製作されたノマドⅠは2基と言われている。(4-4へ続く)

矢吹明紀(やぶき・あきのり)
フリーランス一筋のライター。陸海空を問わず世界中のあらゆる乗物、新旧様々な機械類をこよなく愛する。変わったメカニズムのものは特に大好物。過去に執筆した雑誌、ムック類は多数。単行本は単著、共著併せて10冊ほど。

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