ネピア・デルティック:対向ピストンをトライアングルで配置(4-2)【矢吹明紀のUnique Engines】

6気筒対向ピストンを3基逆三角形に組み合わせていたネピア・デルティック。ここからは試作機・デルティックD18の構造をさらに詳細に掘り下げて行こう。
TEXT:矢吹明紀(YABUKI Akinori) PHOTO:Wikimedia Commons

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 デルティックはネピアのレシプロピストンエンジン部門の生え抜きエンジニアだったアーネスト・チャタートン、ジョージ・マレー、ベンジャミン・バーロウらによるチームで開発が行われた。チームの当初の責任者はヘンリー・ネルソン。開発は長期に渡ったこともあり、1949年以降はハーバート・サモンズが責任者の座を引き継いだ。彼らが重視したのは可能な限りスペースを節約しつつ、そこから最大限のパワーを引き出すことであり、事実上の6気筒のスペースの中に36気筒を収めるという設計はその最たる物だったと言って良いだろう。スペースの節約と同様に軽量化についても重視していたことからエンジンの外装を構成する素材の多くはアルミ合金だった。

 クランクケースとシリンダーブロックは逆三角形にレイアウトされていたわけだが一番下に来るクランクケースは上部二カ所のクランクケースとは形状が異なっており、下部にはオイルサンプ、ケースの周囲にはエンジンマウントベースとの取り付けポイントが装備されていた。鋳造アルミ合金製のシリンダーブロックには鍛造鋼を切削加工したウエットライナーが圧入されていたが、2つの対向ピストンを収めるためこのライナーの全長は約32インチ(813mm)とかなり長かった。ライナーの内面には1940年代としては先進の処理というべきハードクロームメッキが施されていたのは耐摩耗性を特に重視していたことが理由である。

(FIGURE:Napier)

 これらライナーには全長のそれぞれ1/3と2/3の側面部分に吸気ポートと排気ポートが開けられており、吸気ポートはシリンダーボアの周囲を取り囲む様に12個が、排気ポートはボアのおよそ半周部に9個が設けられていた。12個の吸気ポートはシリンダーブロックを鋳造する際に螺旋形状を描く様に成形されており、いわゆるスワールポートとなっていたのが特徴である。ライナーをシリンダーブロック本体に圧入する際にはポートの位置、特にスワールポートとなっていた吸気側は作動時の応力及び経年劣化に伴ってわずかなズレが生じることを防ぐためにブロックとライナー端部を環状ナットで固定していた。9個の排気ポートは吸気ポートと比較すると比較的シンプルな形状だったが、吸気ポートとの位置関係はスムーズであり効率の良いユニフロー構造を形成していた。

ネピア・デルティックの吸排気フロー。緑が吸気/紫が排気を示す。(FIGURE:Wikimedia Commons)

 シリンダーとクランクケースの装着方法は長い貫通ボルトによるものであり非常に手堅い設計でもあった。クランクシャフトメインベアリンクは7カ所。ベアリングキャップはメインスタッドが4カ所、さらに2カ所の横方向クロスボルトで固定されていた。各シリンダーブロックとクランクケースの位置関係は、エンジンをアウトプットシャフトが無い方から見てクランクシャフトに対して右側のシリンダーブロックは下部に排気ポート、上部に吸気ポートという配置。これは3カ所全てのシリンダーブロック共通だった。この部分だけ見る限り特異な構造ではあったもののパーツ数自体は少なくシンプルだったと言って良いだろう。とはいえこうした特殊な構造を成立させるためにはディテールこそが重要でありそれは他の部分で顕著だった。

 まずはピストンだがその外観で気付くのはピストンピンが見えないことである。これはピストン自体がピストンピンでコンロッドと接続されていたインナーとそれをカバーするアウターの二重構造となっていたのが理由である。インナーの素材は鍛造Y合金を切削加工したもの。対してアウターは鋳造アルミニウム合金。インナーはアウターを加熱した状態で圧入され常温冷却によって固定、さらに下部はサークリップで物理的に固定されており、両者の間には冷却のためのオイルジャーナルが設けられていた。ピストンリングは上部のクラウンにコンプレッションリングが3本、オイルリングは下部のスカートに2本、オイルリングにはピストンの首振り防止の役目も与えられていた。

 ピストンに結合されていたコンロッドは一カ所のビッグエンドジャーナルに2本のコンロッドが接続される関係上、シリンダー側のオフセットが不要なYビーム+Iビームとなっていた。Yビームロッドが接続されていたのは排気ポート側のピストン。Iビーム側は吸気ポート側のピストンである。圧縮比は17.5:1。これは掃気ポンプによる過給が前提な2ストロークサイクルディーゼルとしては高めだった。ピストンの上下によって開閉されるポートタイミングは上死点から燃焼開始と共に上下ピストンが下降し始めるとまず排気ポートが開き高圧の排気ガスが排出し始める。その後クランク角34.5度後に吸気ポートが開き始め、101.5度の段階まで吸気ポートと排気ポートの両方が開放され掃気が行われる。下死点から両方のピストンが上昇し始め、まず排気ポートが閉鎖された後も5.5度だけ吸気ポートは開いており、スーパーチャージャーによって加圧された空気がシリンダーに流れ込み充填効率を高めていた。2ストロークサイクルディーゼルは商業的にはデルティックよりも少し先に開発されたGM(デトロイトディーゼルとエレクトロモーティブ)の製品が後に市場を席巻することとなるが、こちらはポート掃気+排気バルブ付きであり構造的にはやや複雑だった。それに対してデルティックの完全ポート吸排気は遙かにシンプルな設計だった。

 デルティックのピストン一個当りのスペックは、ボア130mm、ストローク184mm。ツインピストンであるからシリンダー一個当りのストロークは×2である。すなわちシリンダー一個の排気量は299立方インチ(4900cc)。18気筒分を合わせた排気量は5384立方インチ(88200cc)となった。気になる最高出力はというと、デルティックは元々魚雷艇用に開発されたエンジンだったことから初期段階で逆転機構付きのギアボックスの装着を前提としていたが、それらを装着しない状態でエンジン単体のみで15分間だけ持続できたフルブースト緊急最大出力が2730hp/2000rpm、この状態での燃料消費率は毎時0.380ポンド/馬力だった。一方、安定して発揮できた巡航時の連続定格出力は2035hp/1700rpm、燃料消費率は毎時0.364ポンド/馬力だった。逆転装置ギアボックスを使用した場合の最高出力は駆動ロスを加味して15分限定フルブースト時が2500hp/2000 rpm、燃料消費率は毎時0.415 ポンド/馬力。同じく巡航定格出力が1875hp /1700 rpm、燃料消費律は毎時0.395 ポンド/馬力だった。最初期型のデルティックD18のサイズは全長105インチ(2.67m)、全幅71.25インチ(1.81m)、全高80インチ(2.03m)。逆転ギアボックスを装備した場合全長は36インチ(0.91m)長くなった。エンジンの乾燥重量は、逆転ギアボックスなしで8860 lb(4018 kg)、ギアボックス付きで10500 lb(4763 kg)だった。

(FIGURE:Wikimedia Commons)

 ところでデルティックの複雑なシリンダーの点火順序だが、それを解説するにはまず各シリンダーの番号を明らかにしなければいけない。デルティックはエンジン全体の片側に出力軸とそのギアトレインが。反対側には遠心式コンプレッサーが装着されていたのだが、ここではコンプレッサー側から見た状態で番号付けが行われていた。まずシリンダーバンクは向かって左がバンクA、上水平がバンクB、右がバンクCである。クランクシャフトは左上がクランクシャフトAB、右上がクランクシャフトBC、下方がクランクシャフトCA。シリンダーの番号は、手前から1から6と連番になっていた。デルティックの点火順序は、バンクCの1番、すなわちC1から始まり、その後A6、B1、C5、A1、B5、C3、A5、B3、C4、A3、B4、C2、A4、B2、C6、A2、B6の順番で点火されていた。これらはクランク角で20度ごとの等間隔であり、点火間隔も短かったこともあり極めてスムーズに作動したと言われている。

4-3へ続く

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著者プロフィール

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矢吹明紀

フリーランス一筋のライター。陸海空を問わず世界中のあらゆる乗物、新旧様々な機械類をこよなく愛する。…