街でヤリスクロスを多く見かけるようになってきた。非常にクラスレスのでデザインであり充実の装備に、これ以上の車が必要あるだろうかと思ってしまうほど。だが、1点だけ気になる点が…。それはヘッドライト周りだ。

車のフロントデザインは顔に例えられることも多いが、その目に当たるのがヘッドライト。目はきりりとしていて欲しいのだが、日中のヤリスクロスって、目が黒い、あるいは暗く感じてしまうこともある。 デザインには正しいも正しくないもないもなく、極めて理にかなった潔いデザインなのがヤリスクロスのヘッドライトのデザインだ。しかし違和感をいだいてしまうのはなぜだろう? こう思うのは自分だけかもしれないのだが、そんなことをちょっと考えてみた。 逆にこれまでの多くの車のヘッドライトデザインは、従来の印象にひきづられてしまっているとも言える。 それは、はるか昔のこと。 ヘッドライトがフィラメントと反射板でできていた時代からのことだ。ヘッドライトが丸く大きかったのは、光を反射板に当てて拡散し通過するガラスのカバーが角度を調整して配光を決めていた。 その際に、丸かったり四角かったりといったヘッドライトの形が、車のフロントの印象を大きく左右していたのだ。その後、異型ヘッドランプが登場し形に自由度が生まれ、反射板で配光特性を決めるマルチリフレクター式などが現れたが、ある一定の面積の反射板が必要だった時代が長く続いた。 そのことによって、ヘッドライトは車にとって非常に重要なデザイン要素になっていた。

ところが、ヘッドライトには大きな革命が起こった。それが小さな丸いレンズを通して配光を決められるプロジェクター式の登場だ。 レクサスのイケメン顔のところでも少し触れたが、このプロジェクター式ヘッドライトの登場によって、本当はヘッドライトはこの丸レンズ一つでよくなった。しかし、その裏側にはフィラメントが入ったり、ディスチャージ式の光源となると、裏側ではある程度の長さや大きさも必要となったりした。 ならばと、ウインカーやポジショニングランプを一体化し、まとめてしまえばデザインも面白い、そして合理的、コストダウンにもなる。ということでそれらを一体化したコンビランプが生まれるが、その時にランプ全体をメッキとすることで、今ままでのような異型ヘッドランプ的なヘッドライトらしい形を維持したのだ。 なので、現在まで続くヘッドライトは光を反射する機能がなくても、メッキの大きなパーツがヘッドライトらしきものとしてデザインされ、存在していた。

そんな中で並行して登場したのが、超コンパクトにもできるLEDライト、そしてデイライトの考え方だ。これがデザインにも転機をもたらした。 日中でも発光させることによって、車の存在を示し安全性を高める狙い。これまでは一部の国で日中でもヘッドライトを点灯させることが義務づけられていた。スウェーデンなど北欧はその例で、ボルボなどはライトON状態でキーオフにするとライトも消灯する機能は古くから装備していた。つまりライトONを忘れない設計となっていたのだ。 また日本でも二輪車の常時ヘッドライトONは、以前より義務付けられている。 その延長線上として、世界的にデイライトの使用が拡大し、日本でもヘッドライトとは別にデイライトを点灯させることが認可された。現在では消費電力の少ないLEDの進化によって、かなり一般化している。

そこでヘッドライトのデザインも俄然自由に、そして理にかなったものになってきた。これまでのヘッドライトらしき形から、デイライトをと併せることによって、意味のある形としてデザインされるようになってきたのだ。 現在では、かつてのように単に全てをメッキ化するのではなく、第3の光をどう光らせるべきかも含めてヘッドライトが生まれてきている。 もはやヘッドライトありきの顔作りではなく、むしろフロントの造形の中にいかにライト類を取り込むか、という考え方に進んできているとも言える。

そこでヤリスクロスなのだが、ウインカー、デイライトをバンパーサイドの縦型として装備。ヘッドライトは横長のクリアランスランプとの一体型となっている。 そして興味深いのが、ヘッドライト内部にも巧妙な造形が作られているのだが、レンズカバー越しにはあまり目立たないものとなってしまっている。 ヘッドライトONの特には、クリアランスランプとともに、その形を感じることはできるのだが、OFFのとき、つまり日中にはこの部分はほとんどブラックアウトの状態になってしまっている。 もちろん前述したように、意味のないデザインをしていない潔さが痛快ではあるのだが、内部のアクセントがもう少し目立ってもよかったのかな。と思ったりするのはやはり古い発想なのだろうか。 まさにアップルウォッチの、おやすみ状態のようなブラックアウトが、ちょっとだけ気になる。