G.A.光永パンテーラSPL.

1981年11月17日、日本自動車研究所、通称“谷田部”に激震が走った。当時のチューニングカー最高速は250〜260km/h前後が常識とされていたが、高橋国光選手がドライブする「G.A.光永パンテーラSPL.」が307.69km/hを記録。1977年にフェラーリBBが樹立した277.99km/hという国内記録を、一気に約30km/hも塗り替えてみせたのである。

エンジンは7654ccのシボレーLS7をベースに、CAN-AMやNASCAR用パーツを惜しみなく投入。最高出力608psを発揮し、1300kgの軽量ボディと組み合わせることで2.1kg/ps台という驚異的なパワーウエイトレシオを実現していた。
日本のチューニングカーシーンにおける“300km/h時代”は、この1台から始まったと言っても過言ではない。
HKS M300

「国産車で300km/hを超える」。
そんな壮大なテーマを掲げてHKSが製作したのが、セリカXXツインターボをベースとする「M300(Maximum 300km/h)」だ。
1984年、谷田部最高速テストへ投入されたこのマシンは、5M-Gエンジンを2.9L化し、ギャレットT04Bツインターボを組み合わせることで600psオーバーを発揮。国産チューニングカーによる300km/hオーバーを本気で狙ったプロジェクトだった。

アタック当日はスリックタイヤの温度不足によるトラブルにも見舞われたが、市販ラジアルタイヤへ履き替えて再挑戦。ラストチャンスでDai選手が渾身のアタックを見せ、301.25km/hを記録した。
これは国産チューニングカーとして初の300km/hオーバー。M300は、日本チューニング史における新時代の扉を開いた存在として今なお語り継がれている。
JUNオートメカニック ボンネビルZ

1990年代に入ると、日本のチューニングカーは国内記録だけでなく“世界最速”を本気で狙う時代へ突入する。その象徴的存在となったのが、JUNオートメカニックのボンネビルZだ。
ベース車両は空力性能に優れるZ32フェアレディZ。冷却性能を維持しながら空気抵抗を抑えるため、フロント開口部は必要最小限まで絞り込まれていた。

心臓部にはJUNオリジナルパーツを惜しみなく投入したVG30DETT改を搭載。K27ツインターボ仕様によって1000ps/90kgmを発揮し、最大ブースト圧は2.4キロに達した。
標高1282mのボンネビル・ソルトフラッツで約8kmにも及ぶフルブーストアタックを敢行した結果、区間最高421.538km/hを記録。この数字は現在も日本チューニングカーによる世界最高速記録として輝き続けている。
まさに、日本チューニング史が世界へ挑戦した象徴的な1台だ。
BLITZ 753 スープラ

1997年、日本のチューニングシーンは“最高速”だけでなく、“総合性能”で世界へ挑み始める。その代表格となったのが「BLITZ 753 SUPRA」である。
プロジェクトの目標は、R33 GT-Rが樹立したニュルブルクリンク7分59秒を超えること。そして、ノーマルで8分56秒だったスープラを“7分53秒”で走らせることだった。

しかし、753スープラは単なるパワーマシンではない。
コンセプトは「走る、曲がる、止まる」を高次元で成立させながら、快適性まで確保したストリートカー。エアロパーツから足回り、ブレーキ、ホイールに至るまで徹底的に開発が進められ、最終的には600ps/79kgmを発揮するまでに進化した。

そしてニュルブルクリンクでのアタックでは、目標を4秒も上回る7分49秒を記録。さらに当時の“ストリートカー世界最速”だったゲンバラ・ポルシェの7分52秒をも更新してみせた。
それは、日本のチューニングカーが世界基準で通用することを証明した歴史的瞬間だったのである。
Part.2へ続く
