オプション創刊45周年記念アーカイブ!
OPTION 280Zターボ(通称:DaiZ)
連載期間:1981年9月~1982年9月

自然吸気のL28Eを搭載し、ノーマル時の最高速189.7km/h、ゼロヨン16秒7という、思いのほか鈍足だったフェアレディZ(S130型)。新登場したソアラ2800GTの206.0km/h&15秒8という記録に惨敗したことで、チューニング熱は一気に加速していく。

そこでHKS協力のもと、ロトマスターT04タービンを用いた「バイパス・ストリート・ターボ」を装着。ポン付け可能なステージⅠ(ブースト圧0.4キロ)ではなく、DaiZが選択したのはステージⅡだった。1.6mm厚ヘッドガスケットによって圧縮比を8.3から8.0へと下げ、ブースト圧を0.6キロまでアップ。この状態でゼロヨン14秒9をマークした。
その後は高回転域でのパンチ力を狙い、68度カムやインタークーラーを投入。ブースト圧は0.8キロへ上昇し、最高速247.42km/h、ゼロヨン13秒9という好記録を達成する。
さらに次の仕様では、特製ピストンによって圧縮比を7.3まで下げ、ブースト圧は1.0キロ仕様へ。ゼロヨンタイムは13秒56まで短縮された。
最終仕様では、HKS製88.5φ鍛造ピストンを組み込み、排気量は2914ccへ拡大。タービンはエアリサーチ製TO4Bへ変更され、263.73km/h&12秒79という、現代でも通用するパフォーマンスを発揮するチューニングカーへと進化を遂げた。
シティ・ミッド・ターボ
連載期間:1983年3月~1984年2月

1983年当時、世界のスポーツカーシーンでは、ランボルギーニ・カウンタック400S/500Sやフェラーリ512BBを筆頭に、フィアットX1/9やルノー5ターボなど、ミッドシップ車が大きな存在感を放っていた。
しかし、日本には市販ミッドシップ車が存在していなかった。そこで立ち上がったのが、「シティターボをベースにミッドシップ車を作る」という企画だった。
手法は大胆そのもの。エンジンを丸ごとリヤへ移設するという前代未聞のチャレンジである。もちろん編集部だけで実現できる内容ではなく、レースカー製作で知られるノバ・エンジニアリングの協力を得てプロジェクトは進行。車両後部にはフレームやメンバーを追加し、さらに9点式サイドバー入りロールケージによって剛性を確保した。

迎えたシェイクダウンで、Daiは「オーバーステアが強く、フロントが巻き込んでスピンしやすい」とコメント。課題を洗い出しながらトライ&エラーを重ね、筑波サーキットでタイムアタック(ドライバー:清水和夫氏)を実施した。
アクセル系統にトラブルを抱えながらも1分19秒21を記録。清水氏からは「ピーキーだがしっかり走る。全開にできれば16秒台は確実」という評価を受けている。
最終的にはHKS製ターボキットを装着し、最高出力は100psから145psへ向上。リヤミッドシップレイアウトによる優れたトラクション性能を武器に、ゼロヨン14秒99(ノーマル:17秒52)、最高速177.12km/h(ノーマル:152.72km/h)を記録するなど、ベース車から大幅な性能向上を果たした。
OPTシティ・ツインエンジン4WD
連載期間:1986年10月~1987年3月

編集部駐車場で2年以上放置されていたシティ・ミッド・ターボ。そんなマシンを見ながら、「フロントにもうひとつエンジンを積んで、ツインエンジン4WDを作ろう」という発想から、突如プロジェクトがスタートした。
「スイッチひとつでFFにもMRにも、さらにはフルタイム4WDにもなる。ダートでもストリートでも最強じゃないか」というノリも、いかにも当時のOPTIONらしい。
ベースとなったシティ・ミッドは、もともとプロの手によって仕上げられた完成度の高い1台。しかし今回は、その車両をあえて編集部スタッフだけで改造するという、無謀とも言えるチャレンジが選ばれた。
追加されるのはエンジンだけではない。ミッション、クラッチ、アクセルまで、すべてが2系統となる。リンケージなどを駆使して何とか走行可能な状態には持ち込んだものの、机上計算で掲げた最高速230km/hには遠く及ばなかった。

「これはクルマじゃない。出来が悪すぎる。エンジンを掛けるにもキーが2つ必要で、同時に始動しないと片方がカブっちゃう(笑)。それでも低速コーナーでは、“4つのタイヤで前に進もうとする独特の感覚”があって、普通の4WDとは世界が違う感じだな」
そんなDaiの総括によって、この企画は締めくくられた。
OPTION 300ZX
連載期間:1983年11月~1986年5月

今から40年前、1980年代のチューニングシーンは勢いに満ち、“イケイケ”な空気に包まれていたOPTION編集部。そこで立ち上がったのが、富士スピードウェイで開催されていたグループC主体の耐久レースへ参戦するという、いかにもOPTIONらしい無謀な企画だった。
東名自動車(現・東名パワード)とHKSの協力を得てマシン製作がスタート。ただしコンセプトは、あくまで“ストリートチューンの延長線上”。チューニングカー雑誌としてのスタンスを貫いた仕様で挑むこととなる。

初戦は1985年5月開催の「全日本富士1000kmレース」。LD1クラスのポールタイムはADVAN ALPHA962(ポルシェ962C)の1分19秒870。一方、ゲインズ・オプション300ZX(HZ31)は1分51秒670と、1周で30秒以上遅れる“動くシケイン”的存在だった。

それでも161ラップを走破して完走を果たし、LD3クラス4位を獲得。ちなみに、このデビュー戦のドライバーには、23歳のターザン山田、後に全日本GT選手権やS耐で活躍する小宮延雄、そして当時OPT編集部員だった“コボちゃん”こと桂伸一が起用された。
続く同年7月の第2戦「全日本富士500Mileレース」では、VG30ETを3.4L化し、レスポンス重視の300ps仕様で参戦。しかし終盤、1コーナーでリヤホイールが脱落してクラッシュ。116周でリタイヤとなった。

そして11月の最終戦「全日本富士500kmレース」では、熟成が進んだマシンで予選1分43秒930を記録。勝負を狙える位置まで近づいたが、フォーメーションラップ中にまさかのクラッシュ。無念のリタイヤを喫し、この挑戦は幕を閉じた。
OPTION・180SX
連載期間:1988年10月(臨時増刊号)~1989年12月

アメリカ・ユタ州ソルトレイクシティで開催される「ボンネビル・スピードウィーク」。1986年8月、現地取材を行ったOPTIONスタッフが目の当たりにしたのは、Racing Beat製RX-7(FC3S)が記録した383.724km/hという驚異的な最高速だった。
これをきっかけに、OPTION編集部内でボンネビル参戦計画が始動。HKS(パーツ&セットアップ)、アビィロード(車両製作)、コルス(サスペンションセットアップ)などの協力を得てマシンを製作し、1988年、ついに挑戦が実現する。

エントリーしたのは、Dスピード松原氏がドライブする「OPTION 180SX」と、Daiが操る「TBO 130Zターボ」の2台。本戦出場には、規定速度をクリアしながら段階的にライセンスを取得する必要があった。
しかし、TBO&Daiの130Zターボは、塩の路面特有の低グリップに苦戦。最高速311.655km/hを記録するもライセンス取得には至らず、本戦出走は叶わなかった。

一方の「OPTION 180SX」は順調にライセンスをクリアし、予選も突破。本戦では300.778km/hを記録してワールドレコードを樹立し、その名を歴史に刻むこととなった。
Part.2へ続く
