「水素王」こと中嶋裕樹CTO。

富士スピードウェイで開催されたスーパー耐久シリーズ第3戦「富士24時間レース」の会場で、トヨタが報道陣向けに水素技術の説明会を開いた。会場には燃料電池バス、水素大型トラック、水素エンジン車、移動式水素ステーションなどが並び、トヨタが進める水素社会の取り組みが一堂に展示されていた。

説明会の冒頭、トヨタ自動車取締役副社長・CTOの中嶋裕樹氏は、開口一番こう語った。

「私はトヨタレーシングの中嶋ではありません。GAZOO Racingの中嶋でもありません。ましてやトヨタ自動車の中嶋でもありません。私は水素王です」

会場は笑いに包まれた。

その横には水素ファクトリー プレジデントの山形光正氏、CVカンパニー プレジデントの木全隆憲氏、CVカンパニー チーフエンジニアの太田博文氏が並ぶ。中嶋氏は彼らを「側近」と呼びながら進行し、終始リラックスした雰囲気で説明会を進めた。

しかし、その語り口とは裏腹に、水素に対する思いは極めて真剣なものだった。

富士24時間から始まった5年間

トヨタが水素エンジン車でスーパー耐久に参戦したのは2021年だ。当時、モリゾウこと豊田章男会長は、水素を「作る」「運ぶ」「使う」という考え方を繰り返し訴えていた。

そのころ中嶋氏はCV(Commercial Vehicle)カンパニーのプレジデントだった。「『運ぶ』と言えばCVカンパニー。これはまずいと思ったんです」

そう振り返る中嶋氏は、水素を運ぶ仕組みづくりに取り組み始めた。

当初は鋼製カードルによる輸送だったが、やがて樹脂製カードルへ進化し、貯蔵モジュールや定置発電設備、船舶利用へと広がっていった。

さらに水素ステーションの小型化、水電解装置による製造、水素建機への供給など、水素を取り巻くインフラそのものの開発へと活動は広がっていった。

一方で「使う」側も進化した。燃料電池バス「SORA」、大型トラック、ゴミ収集車、給食配送車、救急車、タクシー、BRT(バス高速輸送システム)など、水素を活用するモビリティの種類は年々増えている。さらには水素グリル、水素ピザ窯、水素焙煎コーヒー、水素サウナといった生活分野への展開も始まっている。
「これは実証ではありません。世界一のサウナメーカーであるハルビアさんと提携して商品化を進めています」と中嶋氏は説明する。

日本に残された「ラストチャンス」

では、この5年間で何が最も大変だったのか。中嶋氏は率直に語る。
「クルマの値段が高い。水素が高い。そうするとやっぱりためらう。そこが大変だった」

水素ファクトリー プレジデントの山形光正氏

山形氏も同じ認識だ。
「水素は社会を変える取り組みです。自動車会社一社でできることではありません」
「くじけそうになることは山ほどありました」

水素は技術の問題だけではない。
供給インフラ、規制、エネルギー政策、社会受容性など、あらゆる要素が絡む。だからこそ山形氏は、「日本全体でやろうというムーブメントを作ることが一番難しかった」と振り返る。

今回の説明会で印象的だったのは、水素を巡る国際競争への危機感だった。山形氏はこう語る。
「中国、ヨーロッパは日本に先んじて水素社会を作り始めています。日本はもはや後塵を拝している。ラストチャンスだと思っています」

ただし日本には強みもある。液体水素運搬船を手掛ける川崎重工業、そしてトヨタを中心に約50社が30年かけて育ててきた燃料電池技術だ。

「日本の技術の結晶です」と山形氏は胸を張る。

CVカンパニー チーフエンジニアの太田博文氏
CVカンパニー プレジデントの木全隆憲氏

実際、トヨタは今年3月、欧州のセルセントリック(ダイムラートラックとボルボの合弁会社)との協業を発表した。

大型商用車向け燃料電池技術として、日本の技術が世界で評価されている証拠でもある。
太田氏は、
「日本は材料技術、ヨーロッパはレギュレーション、中国は大量導入」と各地域の特徴を分析する。

中国はすでに大量の燃料電池トラックを走らせ、ハイウェイ沿いに水素ステーションを整備している。

その意味で、中国は最大のライバルであると同時に、市場拡大の牽引役でもある。

水素大動脈構想という追い風

そんななか、トヨタが大きな成果として挙げるのが、政府が推進する「水素大動脈構想」だ。

中嶋氏は、「この活動を皆さまにサポートいただき、その声が政府にも届き、水素大動脈構想につながった」と語った。

福島から九州までを結ぶ水素供給網を整備し、水素の利用量を増やすことでコスト低減を図る構想である。「まずは共感から」という言葉を中嶋氏は何度も口にした。

水素を危険なものとして理解してもらうのではなく、当たり前のエネルギーとして受け入れてもらうことが重要だという考えだ。

https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/shoene_shinene/suiso_seisaku/pdf/016_03_00.pdf

「夢は夢として続ける」

報道陣の前には第3世代FCシステムが展示された。出力は300kW相当で、ヘビーデューティトラックを1基で動かせる出力だ、

説明会の最後、中嶋氏は乗用車向けFCVについても言及した。BMWとの共同開発プロジェクトや、トヨタ独自モデルの投入計画を明かした上で、

「我々は乗用車メーカーです」
「商用車でFCシステムを鍛え、水素社会を支えながら、最終的には乗用車にも展開していきたい」
「夢は夢として、それをやっていきたいと思っています」と語った。

富士24時間で始まった水素エンジンの挑戦は、いまやレースの枠を超え、水素社会そのものを目指す取り組みへと広がっている。将来、本当に水素が日本の主要エネルギーのひとつになるのか。その答えはまだ誰にも分からない。

それでも、まだ見ぬ未来のために5年間挑戦を続け、自治体や企業、そして国まで巻き込みながら前進する。その熱量は、今回「水素王」を名乗った中嶋CTOの姿そのものだった。

そして個人的には、その挑戦が「水素大動脈構想」という形で実を結び、日本発の技術が世界を変える日が来ることを期待したい。