単車(たんしゃ)
昭和のバイク乗りのなかには、バイクのことを「単車」と呼ぶ人もいる。「タイヤが2つなのに、なぜ単車なのか」と若い世代には不思議に思えるかもしれないが、当時はごく一般的に使われていた用語のひとつだ。
では、なぜバイクを単車と呼んだのか。その理由には諸説ある。ひとつは、側車付きバイク、いわゆるサイドカーに対し、側車のないバイクを「単車」と呼んだという説だ。
これは終戦直後の日本で、バイクといえばサイドカー付きが一般的だったことが背景にある。当時は荷物の運搬用として重宝されていたためだ。しかし、時代が進み四輪車が普及すると、サイドカーの需要は急激に減少。バイクは単体で走る乗り物へと変化していった。そこで「側車のない車体=単車」と呼ばれるようになったとされる。

また、「単」は単気筒エンジンを意味するという説もある。かつてのバイクは単気筒エンジンが主流だったため、それが由来とされる見方だ。

さらに、エンジン音が「タンタンタン…」と聞こえることから名付けられたという説もある。これも単気筒エンジンの特徴的な音を表しているのだろう。現代のように気筒数や排気量のバリエーションが豊富な時代では、こうした発想は生まれにくいかもしれない。
いずれにせよ、単車は昭和の時代に生まれた言葉であり、現在では「旧車」や「絶版車」といったニュアンスを込めて使われることもある。おそらく、電子制御システムなどがないため機構はシンプルだけれど、味わい深い昭和のバイクを意味しているのだと考えられる。
ナナハン(ななはん)
「ナナハン」とは、排気量750ccクラスのエンジンを積むバイクのことを意味する。排気量のうち、百の位を「ナナ」、50ccを100ccの半分という意味で「ハン」とし、それらを合わせた造語である。
きっかけは、1969年に登場したホンダ「CB750フォア」だといわれている。今に続くホンダ伝統の並列4気筒エンジンをはじめて搭載したモデルだ。当時の量産車でトップとなる最高出力67PSを発揮し、最高速度は200km/hを達成。まさに高性能な日本車の代表格として世界で大ヒットを記録した。

その後、スズキ「GT750(1971年)」、ヤマハ「TX750(1972年)」、カワサキ「Z750RS(1973年)」など、他メーカーからも続々と750ccモデルが発売。一大「ナナハン」ブームが巻き起こった。
なお、当時、国内で販売するバイクの最大排気量も750ccだった。これは、当時のバイクは、大排気量エンジン搭載による高性能化を図っていたが、それに伴い事故の増加も社会問題化。「大排気量=危険」という風潮もあり、国内ではメーカー各社が自主的に販売車両を750cc以下に制限したためだ。1990年に、1000cc超のリッターバイクが解禁となるまでは、国内仕様車の最大排気量は750ccとなっており、多くのライダーにとって憧れの存在だった。
なお、同様の呼び方として、250ccのモデルは「ニーハン」、50ccバイクは「ゼロハン」と呼ばれていた。250ccは「ニ」と「ハン」の組み合わせ、50ccは百の位がないため「ゼロ」と「ハン」を合わせたものだ。
一方で350ccのバイクは「サンパン」と呼ばれることが多く、「ハン」ではなく「パン」と発音された。これは「サン」に続けて発音する際、「ハン」よりも言いやすかったためと考えられる。
限定解除(げんていかいじょ)
ナナハンと非常に関連の深かった用語が「限定解除」だ。これは、ナナハンを含め、全排気量のバイクを運転できる二輪免許のことで、今の大型二輪免許に相当する。
当時の免許制度は、以下のようになっていた。
・自動二輪免許:全ての排気量のバイクを運転できる免許(今の大型二輪免許)
・中型限定自動二輪免許:400ccまでのバイクを運転できる免許(今の普通二輪免許)
・小型限定自動二輪免許:125ccまでのバイクを運転できる免許(今の小型限定普通二輪免許)
・原付免許:50ccまでのバイクを運転できる免許(今も同様)
現在との大きな違いは、当時の自動二輪免許が教習所では取得できなかった点だ。まず小型限定や中型限定免許を取得し、その後、運転免許試験場でいわゆる“一発試験”に合格して「限定解除」しなければ、401cc以上のバイクには乗れなかった。しかもこの試験は非常に難易度が高く、高度な技術を持つライダーでなければ合格は困難。なかには、十数回トライしても合格できない人もいたほどだ。

だが、難関を乗り越え合格した暁には、どのような大排気量のバイクにも大手を振って乗れる。そうした背景により、「限定解除免許」は多くのライダーにとって憧れの存在となった。
ちなみに、750ccなどの大型バイクに乗るライダーと、400cc以下の中型バイクまでしか乗れないライダーとの間には、一種のヒエラルキーも発生した。限定解除の免許に対し、中型限定自動二輪免許は「中免(ちゅうめん)」と呼ばれ、ちょっと下に見られるような感じだった。

カタナ狩り(かたながり)
戦国時代などに農民や僧侶など、武士以外の身分から刀をはじめとする武具(武器)を取り立てた政策を「刀狩り」といったのはご存じの通り。でも、バイク用語の「カタナ狩り」は、1982年に登場した「GSX750Sカタナ」の違法改造取締りを意味した造語だった。

1980年代に生まれたスズキの名車といえば、やはり「カタナ」が代表格だといえよう。元祖は1981年にデビューした輸出仕様車の「GSX1100Sカタナ」。「日本刀をイメージ」したというシャープで個性的なスタイルは、有名デザイナーのハンス・ムート率いるターゲットデザインがデザインを担当。最高出力111PSを発揮する高性能な1074cc・空冷4気筒エンジンなどとのマッチングにより、世界的に大注目を浴びた。

その国内仕様1号車が、前述の通り、当時のメーカー自主規制により国内最大排気量だった750ccエンジンを搭載したGSX750Sカタナ。ところが、このモデル、最高出力を69PSに抑えたほか、当時の国内法規制に対応するため、ハンドルをかなりのアップタイプに変更。元祖カタナのGSX1100Sカタナが採用した低いセパレートハンドルとはあまりにもかけ離れたスタイルが不評で、「耕耘機ハンドル」と揶揄(やゆ)されたりもした。
また、フロントスクリーンも、GSX1100Sカタナには装備されていたが、こちらも当時の法規対応でGSX750Sカタナには未装着。これら相違により、GSX1100Sカタナに憧れるファンの多くが、GSX750Sカタナのスタイルに納得しなかったようだ。
そのため、750cc版ユーザーのなかには、ハンドルやスクリーンを1100cc用に交換して乗っていた人が続出。それに対し、当時の警察当局は、これらカスタムを違法改造とみなし、取締りを実施。捕まったユーザー間で「カタナ狩り」と呼ばれたことで、当時の隠れた流行語にまで発展したのだ。
当時のカタナ人気のヒートぶりはもちろん、今では当たり前でも、昔は御法度だった装備も多かったことが分かるエピソードのひとつが「カタナ狩り」だといえるのだ。
ミツバチ族(みつばちぞく)
バイクやクルマで公道を暴走する集団を「暴走族(ぼうそうぞく)」と呼ぶが、「ミツバチ族」は、そうした反社会的な集団とは異なる。1980年代のバイクブーム時に急増した、夏の北海道ツーリングを楽しむライダーたちを指す用語だ。
夏の北海道は、今でも多くのライダーが憧れる夏の定番といえるツーリング先。その北海道が、いわゆる「ライダーの聖地」としての地位を確立したが1980年代で、当時は大学生などの若者はもちろん、会社を辞めて地元で働きながら道内をバイクで巡る猛者もいるなど、様々な北海道好きライダーが急増した。
そして、そんなバイクライダーたちのことを指し、地元の人やマスコミなどが呼んでいたのがミツバチ族だ。由来はバイクのエンジン音。「ブーン、ブーン」といった感じで聞こえる音が、まるでミツバチのようだということで、ライダーの呼称に。しかも、当時はかなり大群で北海道へ訪れたことで、ミツバチ族という名称で呼ばれるようになったようだ。

このように、今では使われなくなったバイク用語もたくさん生まれた昭和のバイクブーム期。それだけ多くのライダーがバイクにぞっこんだったことが分かるといえよう。
