FWDレイアウトや四輪独立懸架などの先進的なメカニズムを武器に
1920~1960年代に一世を風靡したイギリスの名門アルヴィス
アルヴィスと聞いてすぐにブランドがイメージできる人は、おそらくベテランの英国車ファンだろう。自動車黎明期の1920年代初頭からローバー傘下となって乗用車製造から撤退する1967年まで、同社はFWD・四輪独立懸架・世界初のシンクロメッシュ・トランスミッションなどの先進的なメカニズムを早い時期から採用し、ロールス・ロイスやベントレー、ディムラーと並ぶ英国を代表する高級車メーカーとして世界的に人気を博した。

日本でも多くの好事家に愛され、オーナーも中には『カーグラフィック』を創刊した故・小林彰太郎氏もいた。氏が1970年代に購入して愛用していたのは、1938年型アルヴィス・クレステッドイーグルだった。

アルヴィスは自動車誌に燦然と輝く素晴らしいブランドであるのだが、世界の田舎である、ここ極東の島国では残念ながらその知名度はイマイチだ。とくに乗用車製造から撤退してからはなおさらで、FV601サラディン装甲車やFV101スコーピオン偵察装甲車などの軍用車製造でミリタリーマニアの知名度が高いほどである。
しかし、日本市場では1933年創業の明治産業が1950年代に日本総代理店を務めており、2020年からはコンティニュエーションシリーズ(後述)でアルヴィスの取り扱いを再開している。
『オートモビル・カウンシル2026』の目玉として展示された
1928年型アルヴィス12/50 2シーター「ル・マン」

2026年4月10日(金)~12日(日)にかけて幕張メッセで開催された『オートモビルカウンシル2026』に、明治産業は例年通りブースを構えた。今回、同社が展示した車両は全部で5台。そのいずれもが日本初上陸車両だ。その中の目玉はヘリテージモデルの1928年型アルヴィス12/50 2シーター「ル・マン」となる。

ベースとなった12/50は、1923年にディムラーから移籍し、アルヴィスで主任技術者兼工場長の地位を得てFWD開発に尽力したG・T・スミス=クラークの設計によるもので、同社が生産したクルマとしては3番目のモデルとなる。総生産台数は143台と少ないが、小規模メーカーのアルヴィスにとっては商業的にまずまずの成功を収めたモデルとなった。

12/50 2シーター「ル・マン」は、その名の通り1928年のル・マン24時間耐久レースに参戦したFA12/50のロードゴーイングモデルである。

同車は12/50から流用したFRレイアウト(クラークの設計によるFWDはメリットが大きかったmのの、当時の技術では実用化には時期早々で1920年代後半からFR化して行った)を用いた低重心設計を生かしたスポーツカーで、心臓部は一体型クランクシャフトを3ベアリングで支持する堅牢な設計の1496cc直列4気筒OHVエンジンを搭載。1928年のル・マン24時間耐久レース参戦のために12/75と同様にルーツ式スーパーチャージャーを追加した。燃料供給はソレックス製シングルキャブレター、組み合わされるトランスミッションは4速MTとなる。
1928年のル・マン24時間耐久レースにてワン・ツーフィニッシュを飾る
アルヴィスは1928年のル・マンに27号車と28号車の2台のFA12/50を送った。ドライバーは27号車がモーリス・ハーヴェイとハロルド・パーディ、28号車がサミー・デーヴィスとビル・アークハート=ダイクスのコンビだった。

練習走行ではフロントのフリクションダンパー(シリンダーダンパーとは異なり、液体の代わりに金属の固定摩擦を利用して衝撃や振動を吸収・減衰する)のセッティングに苦労し、あわやクラッシュという危険な場面もあったが、チームはドラッグリンクのナットがスプリングの下に挟まり、ステアリングがフルロック状態になることがトラブルの原因であることを発見。フロントスプリングにリーフスプリングを追加することでこの問題を解決した。

本戦では27号車・28号車ともにたびたびパンクに悩まされた。アルヴィスチームのピットワークは練習不足からか、他チームに比べて遅く、ドライバーを大いに苛立たせた。

また、当時の規定ではドライバー自身が10L缶を使ってガソリンを給油することになっていたが、FA50/12の鞍型のタンクは左右の燃料タンク底に1ガロン(3.8L)ほどのガソリンが残ってしまい、効率的な燃料補充が行えなかった上、ベントレーなどの他のチームよりも小さな漏斗を使っていたことが仇となって、給油作業ではタイムロスを余儀なくされた。

しかし、マシン自体は快調そのもので、低重心とFWDの恩恵でコーナリングスピードはライバル車よりも圧倒的に速く、最終的にハーヴェイ/パーディ組の27号車が総合6位、1101~1500ccクラスで優勝を飾り、デーヴィス/ダイクスの28号車が総合9位、クラス2位という輝かしい記録を残したのである。

27号車は平均速度59.195mph(95.265km/h)、28号車は平均速度58.202mph(93.776km/h)を記録し、両車とも前年に樹立された1101~1500ccクラスのル・マン記録である49.585mph(79.799km/h)を大きく上回り、この記録は1932年まで破られることはなかった。

FA50/12のロードゴーイングモデルである12/50 2シーター「ル・マン」は41台が製造されたが、現存するのはわずか7台のみという希少車である。

なお、ル・マン参戦車のうち現存するのは28号車のみで、現在はアメリカ人コレクターのもとで大切に保管されている。27号車はアルヴィスが顧客に販売したあとで行方不明となっており、解体されたとも、いずこかに現存するとも伝えられているが定かではない。

歴史的な名車が新車で手に入る?
新生アルヴィスのコンティニュエーションシリーズ
アルヴィスブースに展示された12/50 2シーター「ル・マン」以外の車両は、2020年生産の4.3リッター・ヴァンデン・プラ・ツアラー、2022年生産の3リッター・グラバー・スーパー・クーペ 、2024年生産の3リッター・グラバー・スーパー・カブリオレ 、2025年生産の4.3リッター・ランスフィールド・コンシールド・フードの4台で、すべてコンティニュエーションシリーズで日本初上陸の車両ばかりだ。いずれも往年のアルヴィスを代表する名車であるが、1937~1967年までに生産された車両である。

じつはこれらのクルマは、2012年に復活した新生アルヴィスで製造された。と言ってもレプリカではない。じつはアルヴィス4.3リッターは150台の製造認証を受けていたが、第二次世界大戦の影響で1940年までにラインオフした車両は73台に留まった。残りの77台に関してはシャシーナンバーが割り振られたまま生産されずに宙に浮いていたわけである。

そこで当時の図面を基に伝統的なデザインと品質、特徴を忠実を継承しつつ、残りのシャシーナンバーをあらためて製造しようというのが、新生アルヴィスのコンティニュエーションシリーズなのだ。それはアルヴィス3.0リッターについても同様で、車両に割り振られているシャシーナンバーとエンジンナンバーは過去に製造されていた最後のモデルから引き継がれている。それ故に英語で「継続」や「連続」を意味するシリーズ名称が付けられたのだ。

そうなると気になるのが、現在の厳しい法規対応に合致しない古い設計のモデルが公道を走れるのか、走れたとしても余計な安全装備が付くことでオリジナルの美しさが損なわれてしまわないか、という点だ。

しかし、イギリスの法律では生産が年間300台を超えないメーカーに関しては、現代の安全装備や排気ガス規制をクリアさせる必要がなく、ナンバー取得が可能となっている。また、日本でも割り振られた車体番号を根拠に、当時作られた年式での登録が可能になるため、エアバッグや衝突被害軽減ブレーキ、シートベルトなどの装備を取り付けなくともナンバー取得が可能となるのだ。例えば、展示車両の4.3リッター・ヴァンデン・プラ・ツアラーの製造年は2020年になるが、登録上は1937年製造となる。

コンティニュエーションシリーズは熟練した職人の手で1台ずつ丁寧に製造されるため、価格は6600~9200万円(税込)と絶対的には高価だ。しかし、近年世界的に高騰著しい旧車相場を考えれば、アルヴィスの誇る歴史的な名車が、事実上の新車として購入できるのだから相対的には安いとさえ言えるだろう。

出場資格が厳格な海外のコンクール・デレガンスはともかくとして、登録上はクラシックモデルとなることから国内各地で開催される厩舎イベントへの参加も可能となるはずだ。財力に余裕のあるエンスージアストの方は是非コンティニュエーションシリーズのクルマを購入し、これらのイベントに積極的にエントリーして来場者の目を楽しませていただきたい。

我が国の自動車文化への貢献ということを考えれば、フェラーリやランボルギーニ、ポルシェあたりの“量産型”の新車に大金を支払うよりもよほど意義があることであるし、とても”粋”だ。それら高級輸入車を乗り回すのと違って、世間から「成金」と侮蔑の目で見られることもなく、「趣味人」や「文化人」として尊敬を得られるのだから。



