テックツーワン……バイクに少し興味のある人なら、聞いたことがある言葉かもしれない。50代のおじさんには馴染み深い、平成生まれのヤングなライダーには新鮮な、TECH21伝説を今一度おさらいしよう! PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)

「不屈のヒーロー」の誕生

今年、「ヤマハ・ファクトリー・レーシング・チーム」は、TECH21カラーという、レジェンドカラーをまとって鈴鹿8耐に参戦する。もうすでにさまざまなメディアで薄紫色をまとったYZF-R1が紹介されているが、なぜここまで、いわゆるTECH21カラーと、そのライダーである平忠彦が伝説となったのか。その戦績から紐解いてみよう。 世の中の若者のほとんど、少なくとも自分がバイクに乗っていなくても、友達の友達までたどればほぼ確実にバイクに乗りに当ったという1985年。日本は空前のバイクブームに湧いていた。三重県鈴鹿で行われる8耐は、バイクは好きだがレースに興味のない若者でさえも「いかなければならない」と考えた夏の最大のイベントとなっていた。

85年の8耐は、いままで2ストロークのYZRシリーズが看板だったヤマハが、新型の4気筒750レーサーで参戦することが大きな話題となっていた。5バルブという革新的機構を搭載した市販車FZ750のエンジンを積んだ「FZR750」に、国内で絶大な人気を誇っていたライダー、平忠彦と、当時すでに伝説となっていたあの「キング」ケニー・ロバーツがペアを組んでライドするというのである。誰もがヤマハの優勝を既定路線と考えていた。 しかし、レース残り30分、首位を走りながらも平/ケニー組のFZR750はエンジントラブルによりスローダウン。優勝を逃してしまったのは有名な話だ。そこから90年までの8耐は、もちろんスターライダーが数多く出場しドラマを演じたものの、「平は今年優勝できるのか」がひとつのテーマになったといっていい。

翌86年は平忠彦はC.サロンとペアを組み参戦するものの、リタイア。87年は8耐直前に平は負傷。マーチン・ウィマー/ケビン・マギー組が本命のホンダ、ワイン・ガードナー/ドミニク・サロンを下し、平を差し置きなんと初優勝してしまうのだった。88年には平/M.ドゥーハン組は、残り11分でまたしてもマシントラブルが発生。9位でチェッカーを受ける。89年、予選5番手に付けた平/コシンスキー組は、レース後半に2位につけRVF750を駆るD.サロン/ビエラをバトルを展開するも、またもやマシントラブルでリタイア。 今一歩で優勝を掴むことの出来ない薄紫色のカラーリングは、平のストイックで冷静な雰囲気を相まって悲壮感さえ漂うものとなった。8耐ファン、ひいては全国のバイクファンに、毎年強烈な印象を残していったわけだ。 そして悲願の優勝は90年に訪れた。ホンダ、ガードナー/ドゥーハンと平/ローソンというスターライダーの競演によって幕開けたレースは、両者の激しいバトルの末、102周目のRVF750のガス欠で決着がつき、ついに平は優勝を成し遂げたのだった。

激闘の記憶は当時の若者の共通体験に

この5年にわたるTECH21の激闘のストーリーは各種メディアで毎年必ず取り上げられたため、レースに興味のなかった一般ライダーも、少なくとも1度はこのカラーリングと「平忠彦」の名前を雑誌で目にすることになった。ゆえに、いわゆるバイクブームを過ごしたおじさん世代は、このカラーはまさに青春の象徴といえるカラーリングなのだ。 だが、実際このカラーを初めて見た当時の若者の印象はというと、意外にも「なんだこれ」という感想を持つものが少なくなかった。当時レーサーは赤、青、黄色、白などの原色使いが多く、派手でよく目立つ色が好まれた。また、スポンサーはタバコメーカーやオイルメーカーなどが一般的でもあった。そのため、この特殊ともいえる薄紫色、さらに化粧品メーカーというスポンサードに対し、初見ピンと来なかった若者が多かったのだろう。 しかし、平のストイックな戦いぶり、なによりその速さは、そんな先入観を見事に吹き飛ばしてしまった。いつしかTECH21カラーは、不屈の挑戦を示すカラーになり、実際その挑戦は5年の歳月をかけ、見事に結実したわけだ。

オリジナルのTECH21✕平忠彦は挑戦5年目にして悲願の優勝を獲得した。今年ヤマハは偉業の5連覇に向け、このカラーリングを選択した。昨年同様、JSB1000で活躍する中須賀克行、WSBKライダーのアレックス・ローズ、そしてマイケル・ファン・デル・マークの3人が、不屈の挑戦をもって挑む8耐。果たしてこのカラーリングは、新たな伝説を生むことができるのだろうか。