アメリカンモーターカルチャーの真髄!
『38th MOONEYES Street Car Nationals』のSTREET ROD

東京都江東区の臨海副都心にある青海駐車場にて、5月24日(日)に国内最大規模のアメリカン・カスタムカルチャーの祭典である『38th MOONEYES Street Car Nationals®』(以下、SCN)が開催された。今回のSCNには、過去最高の1300台のエントリー、来場者1万2000人以上、数多くのスワップミート、ピンストライパー、ケータリング業者が出店し、大盛況のうちに幕を閉じた。

SCNは国内最大規模のアメリカン・カスタムのイベントということもあり、エントリーしたマシンの顔ぶれは、HOTROD(ホットロッド)、LOW RIDER(ローライダー)、TRUCKIN’(トラッキン)、STREET VAN(ストリートバン)、空冷VWベースのCAL LOOK(キャルルック)、欧州車ベースのEURO CUSTOM(ユーロカスタム)、日本車をベースにしたDOMESTIC CUSTOM(ドメスティックカスタム)と、存在しないジャンルがないほど多岐にわたる。そのようなSCNの会場にあって、独特の存在感を放つのがSTREET ROD(ストリートロッド)だ。

STREET RODとは1949年までに製造されたアメリカ車をベースに、公道走行を前提に製作したHOTRODのことで、モデルAやモデルB、モデルTなどのアーリーフォードがベース車として人気がある。それ以外にもシボレー・マスターやデソート・エアフロー、アメリカン・バンタム、クロスレーなどの戦前車がベースとして用いられることもある。

STREET RODは禁酒法時代のアメリカが誕生の嚆矢となり
第二次世界大戦後に若者によるモーターカルチャーとして花開く
STREET ROD誕生の嚆矢となったのは、1920年代にアメリカで施行された禁酒法下で暗躍した人里離れた場所にある醸造所から繁華街の秘密酒場まで密造酒を運ぶのにスピード自慢の運び屋たちだった。道中で官憲の追跡を振り切るために彼らは愛車を改造し、パトカーよりも速いマシンを作ったことが始まりであった。

そして、1932年に彼らが待ち望んでいた強力なV型8気筒(以下、V8)エンジンを搭載した大衆車フォード・モデルB(正確には直列4気筒(以下、直4)搭載車をモデルB、V8搭載車はモデル18の名称が与えられているが、今日では一般的に両車をひとまとめにしてモデルBと呼称することが多い)が登場。運び屋たちはこのクルマをこぞって入手し、チューンナップを施した。

そんな彼らの関心ごとといえば、「運び屋の中で誰がいちばん速いのか?」ということであった。彼らは仕事のないときに仲間内で集まり、公道を舞台にした危険なストリートレースにあけくれた。のちにこれをモータースポーツとして組織化し、ルールを定めて競技として開催したのがNASCAR(ナスカー)やNHRA(全米ホットロッド協会)である。すなわち、非合法なストリートレースがアメリカのモータースポーツの礎となったのである。

第二次世界大戦後、戦場から復員したアメリカの若者は、平和な時代に退屈を紛らすかのようにスピードへの情熱を燃やすことになる。郊外のスクラップヤードや片田舎に放置されていたボロボロの戦前車を格安で入手しては、ガレージや納屋でDIYで修理し、エンジンをチューンナップし、軽量化と空力性能向上のためにボディを切り刻んで最新型のクルマに性能面で負けないマシンを作り上げた。これがアメリカの核心というべきHOTRODの原点となった。

彼らは手製のHOTRODをウィークデーには仕事や日常の足に使い、週末になるとモータースポーツに使用したが、1950年代に入るとレースカーの高性能化に伴い、多くのアマチュアレーサーは公道走行ができない競技車両を製作するようになる。

しかし、速く、COOLなマシンで公道を走りたいという需要はいささかも衰えを見せることはなく、ここで競技車両から枝分かれして、ショーカーとして見せることも重視したSTREET RODが誕生するのだ。

日本におけるSTREET RODの伝道師・笠井俊一氏の
「DEUCE FACTORY JAPAN」40周年という節目にモデルBが大集結!

世界的に見るとSTREET RODの人気は本場であるアメリカに集中しているが、ここ日本にも少なくない数の愛好家がいる。そのようなわが国におけるSTREET RODの伝道師とも言える人物が、DEUCE FACTORY JAPANの笠井俊一氏だ。

毎年12月に開催される『YOKOHAMA HOT ROD CUSTOM SHOW』(以下、HCS)では、毎年異なるテーマで「Car Show Spotlight Featured Car」という企画が組まれるが、昨年の33rd HCSでは、彼が営むショップの創業40周年を記念して「40Years of Hot Rodding in Japan」がテーマとして選ばれた。

そうしたことから今回のSCNでは、HCSのアワード受賞車とともにDEUCE(デュース)ことフォード・モデルBがフューチャーされ、それに合わせて本部テント前の一等地に受賞車を中心にモデルBが並べられた。

また、一般のエントリー車の中にも、モデルBをはじめ、モデルA、モデルT、プリムス・ビジネスクーペをベースにしたSTREET RODの姿があった。

イベント当日の朝はどんよりとした曇り空だったが、昼が近づくに連れて雲間から太陽が顔を出し、気温も上昇して汗ばむほどの陽気となった。インドアショーのHCSで見るのも悪くはないが、カリフォルニアスカイを思わせる青空の下で目にするSTREET RODはまた格別なものがある。

筆者が笠井氏と面識を得たのは、今から20年ほど前の『Cal Magazine』で記事を執筆していたときのことだが、彼は長年日本のHOTROD文化に貢献するとともに、素晴らしいマシンの数々を製作したほか、本場アメリカから数多くのマシンを輸入してSTREET RODの普及に努めてきた功労者だ。

そのような笠井氏が功績が認められ、スポットを浴びたことに彼を敬愛する筆者としては大変うれしく思う。
フォトギャラリー:
『38th MOONEYES Street Car Nationals』のSTREET ROD

ここまでの画像や、本文にはない画像はページトップの「この記事の画像をもっと見る(31枚)」で見ることができる。どんなSTREET RODマシンがエントリーしていたのか、当日の雰囲気と合わせてたっぷりの画像で楽しんで欲しい。

