
ホンダは今でこそミニバンメーカーのような新車ラインナップだが、初期の4輪はとんでもないモデルばかりだった。ホンダ初の4輪車は360ccの軽自動車ながら4気筒DOHCエンジンを搭載する軽トラックのT360だった。ただの軽トラックではなく4気筒DOHCエンジンを採用していたのだから、驚きを通り越して呆れてしまう。ただこれは同じエンジンを搭載する軽自動車のオープン2シーターモデルであるS360を同時に発売しようとしたことに由来する。待望のS360はスポーツカーとしての動力性能を満たしておらず、市販は見送られてしまう。

ただ、1963年8月のT360発売から遅れること2ヶ月後に排気量を500ccにまで拡大して小型車枠となるS500が発売された。ただ、これでも排気量不足は否めず、デリバリーが開始されるのと同じタイミングとなる64年1月には再度排気量を拡大したS600が発売された。その後Sシリーズは800ccにまで発展するが、S600をもってようやくSシリーズの量産が始まったといっていい。

2026年6月7日に埼玉県秩父市で開催された「花見の里で感謝の集いやります!」というイベントでは、旧車の展示も行われた。そこに真紅のS600が展示されていたのだが、なかなかに程度が良く端正なスタイルが際立っていた。この日は午後から雨予報だったためだろう、オープンにせずホロをかぶせた状態だったが、よくよく室内を見ると左ハンドルである。貴重な輸出仕様であることを確認してオーナーにお話を聞くことにした。

輸出仕様S600のオーナーは67歳の川端正人さん。以前は省庁にお勤めだった方で今も市役所勤務をされているから一般のサラリーマンとは少々行動力が異なるのだろう。なんとこのS600はほとんど衝動買いだったというのだ。なんでも友人がセリカLBを買うために出かけるというので付き合うことにされた。その帰り道、ホンダSの専門店であるガレージイワサの前を通りがかることになった。

これが運命の分かれ道。店舗の前を通りかかると色とりどりのホンダSが並んでいる。その端正な佇まいを見てそのまま通り過ぎることができず、クルマを駐車場へ乗り入れ店主から話を聞くことにされた。すると店主も大胆で試乗させてもらえることになったのだ。この時点でお気づきの方も多いことだろう。ホンダSを運転してしまえば、その回転フィールの虜になるのは時間の問題だ。

メーターの写真を見てもらえばわかるのだが、S600のレッドゾーンは95000rpmからという超高回転型。しかもその回転域まで澱みなくエンジンは回り、決してパワフルとは言わないが非常に刺激的なフィーリング。これに一発で参ってしまった川端さん。すぐに契約することとされたのだ。ただ、珍しいアメリカ仕様であることはそれほど大きなポイントではなく、たまたま売り物がそうだったということのようだ。

S600を購入したのが今から20年前の2006年のこと。それまであまり旧車を意識したことはなかったそうだが、S600が納車されてからは人が変わったようにドライブを楽しむことになる。車高も低いが乗車位置が非常に低いので普通のクルマから眺める車窓風景とはまるで異なる。それもまた魅力の一つだそうで、どこまでも運転していってしまうという。その距離なんと、年間1万キロ以上というから恐れ入る。

通勤などに使わず週末のドライブだけで年間1万キロ以上なのだから、どれだけ運転が楽しいかを物語るエピソード。だからだろう購入したガレージイワサからも「日本一距離を走っているSです」と言われるほど。しかもしっかりエンジンを回して山道を楽しんでいるというから本物だ。ただ、それだけ走れば当然ながらトラブルに遭う。実は買ってすぐにエンジンが3気筒になってしまい、シリンダーヘッドを交換することになった。

さすがに買ってすぐだったため無償で修理してもらえたが、その後もガスケットが抜けたり圧縮圧力が下がってしまうなどの有償の修理を施すことになる。今回のイベントの前にもバルブシートがへたってしまったためバルブごと交換してイベントに参加されている。こうしたトラブルは個人売買で手に入れた場合と比べ、専門店で買った強みが発揮される。大抵のトラブルには対応してくれるし、パーツ入手で困ることもない。これが個人だとパーツ探しから苦労することになり、排気量は小さくても4気筒DOHCエンジンなのだから分解整備の手間もかかる。

50歳を目前にしてS600で走ることが趣味になってしまった川端さん。走ることが楽しいのでノーマルを保ったままというところにも好感が持てる。よくできたモデルはカスタムやチューニングなどしなくても楽しいのだと改めて教えてもらったような気がした。