1962 Porsche 718 W-RS Spyder【ポルシェ図鑑:14】

【ポルシェ図鑑】「ポルシェ718 W-RS スパイダー(1962)」F1エンジンを譲り受けた718。

ポルシェ 718 W-RS スパイダーのフロントスタイル
F1用に開発された空冷水平対向8気筒DOHCエンジンを搭載したポルシェ 718 W-RS スパイダーのフロントスタイル。
2.0リッター以下クラスで無双を演じたポルシェ 550及び718シリーズ。ポルシェは上位クラスへの参戦を企図して、718シリーズへの空冷水平対向8気筒エンジン搭載を決める。こうして生まれたのが、718シリーズの最終進化系といえる718 W-RS スパイダーと718 GTR クーペだ。

1962  Porsche 718 W-RS Spyder

718シリーズの最終進化系

1.5リッタークラスで無敵を誇った550及び718。時に格上の大排気量車を降すなど“ジャイアントキラー”振りを発揮した。その718シリーズにF1譲りの空冷水平対向8気筒DOHCエンジンを搭載したのが718 W-RSだ。

718 W-RSスパイダーは、804 F1用空冷フラット8エンジンを搭載した718シリーズの最終進化系というべきモデルである。

1950年代後半、550から718シリーズへと進化を遂げた一連のポルシェ・ミッドシップ・レーシングスポーツは、各地で開催されるレースの1.5リッター、及び2.0リッター以下クラスで連戦連勝を収めていた。中でも1958年のル・マン24時間レースでは1.6リッター・エンジンを搭載したジャン・ベーラ/ハンス・ヘルマン組がフェラーリ250 TR58、アストンマーティン DB3Sに次ぐ総合3位でゴールしたほか、1.5リッター・エンジンを搭載したエドガー・バルト/ポール・フレール組の718 RSKが4位、カレル・ゴダン・ド・ボーフォール/ヘルベルト・リンゲ組の550A RSスパイダーが5位と、大排気量車を下して上位を独占。その活躍は“ジャイアント・キラー”の名にふさわしいものであった。

目をつけたのは、804用のフラット8

空冷フラット8をミッドに搭載するため、ベースとなった718 RS61のホイールベースを35mm延長。前後トレッドも広げられ、ひとまわり大きくなったシャシーにアルミ製ボディを被せている。

この成功を足がかりに、上位クラスへの進出を企てたポルシェが目をつけたのが、F1マシン・804用に開発を進めていた空冷フラット8 DOHCエンジンだった。

そこで1961年仕様の718 RS61をベースに8気筒エンジンを搭載するためのシャシーの開発が並行して行われることとなる。718は1960年仕様のRS60で2200mm、RS61で2300mmと年々ホイールベースを延長していたが、8気筒仕様ではさらに35mm延長した2335mmとしたほか、トレッドもフロントを10mm、リヤを30mm拡大した1300/1280mmとするなど、ひと回り大型化。そこに被せるボディとして、アルミ製のクーペ・ボディ(シャシーナンバー045、046)と、スパイダー・ボディ(047)の2種類が用意された(当時の車名はいずれも718 RS61のまま)。

レーシングモデルでありながらストリートカー並みに細部まで作り込まれた718 W-RS スパイダーのコクピット。

しかしながら肝心のフラット8の開発が進まず、とりあえず2.0リッターに拡大したフラット4 DOHCを搭載したRS61 スパイダー(047)が1961年4月のタルガ・フローリオでデビュー。ダン・ガーニー/ジョー・ボニエ組がフェラーリ 246SPに次ぐ総合2位でフィニッシュし、シャシーポテンシャルの高さを証明してみせた。その後もル・マンを含む数々のレースに出場するが、結局1961年シーズン中に8気筒は間に合わずに終わっている。

USACのレースでは無敵

1963年のタルガ・フローリオに出場し、見事総合優勝を飾った718 GTRクーペ。地元出身のマリア・カルロ・アバテとジョー・ボニエのコンビがドライブ。ウンベルト・マリオーリとジャンカルロ・バゲッティの718 W-RS スパイダーも総合7位に食い込んでいる。

ポルシェが満を持して8気筒エンジンを搭載した718 W-RS スパイダー(047)&718 GTR クーペ(046)を投入するのは、1962年5月6日に行われた第46回タルガ・フローリオでのことだ。ミッドに搭載された1.5リッターF1用の8気筒DOHCユニットは、ボアを76mmに広げ1981.5ccへと排気量を拡大。車両重量は136kgも重くなったが、最大出力210hpで最高速度は280km/hとそのポテンシャルは大きく向上していた。

残念ながらダン・ガーニー/ジョー・ボニエのコンビで挑んだ718 W-RSスパイダーはブレーキトラブルでリタイアになったものの、地元の英雄ニーノ・ヴァッカレラとジョー・ボニエ組の718 GTR クーペが総合3位、2.0リッター・クラスで優勝。続くニュルブルクリンク1000kmでは、グラハム・ヒル/ハンス・ヘルマン組の718 W-RSスパイダーが総合3位、2.0リッター以下クラスで優勝する。

しかしこの年からマニュファクチャラーズ・チャンピオンがGTクラスに与えられることとなったため、718 W-RSスパイダーはル・マンには出場せずにアメリカに送られ、USACのレースでは2.0リッター以下のクラスで無敵を誇る活躍をみせた。

グランドマザーと呼ばれるように・・・

1963年になるとポルシェは再び718 W-RS スパイダーと718 GTRクーペで挑戦。718 W-RS スパイダーは7位にとどまったが、地元出身のマリア・カルロ・アバテとジョー・ボニエのドライブする718 GTRクーペが見事な総合優勝を飾り、前年の雪辱を果たした。

自転車競技トゥール・ド・フランスでも「魔の山」として有名な南仏プロヴァンスにあるモン・ヴァントゥで1964年に行われたヒルクライムに出場したエドガー・バルトと718 W-RS スパイダー“グランドマザー”。このレースでも2位のロータス 23 BMWを引き離して優勝を飾っている。

その後、ル・マンで総合8位、クラス優勝を飾った718 W-RS スパイダーは、当時興隆をみせていたヨーロッパ・ヒルクライム選手権に活動の場を移し、エドガー・バルトの手でチャンピオンを獲得。909へと続くヒルクライム・マシンの礎となった。また1961年から904が登場する1964年シーズン途中まで第一戦で活躍を続けたことから、“グランドマザー”の愛称で呼ばれるようになった。

【SPECIFICATIONS】
ポルシェ 718 W-RS スパイダー
年式:1962年
エンジン形式:空冷水平対向8気筒DOHC
排気量:1981cc
最高出力:210hp
最高速度:280km/h

TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)

ポルシェ図鑑:01-04

ポルシェのヒストリーを追う! 最初の1台から礎を築いたグミュント時代 【ポルシェ図鑑:リンク集】

スポーツカーのメートル原器とまで称えられる911をはじめ、スーパーSUVの元祖的存在のカイエンやマカン、ミドルスポーツの雄・718ケイマン/ボクスター、スポーツサルーンのパナメーラ、新時代を見通すタイカンまで、自動車メーカーとして確固たる地位を築いたポルシェ。その70年以上に及ぶ歴史を解説する「ポルシェ図鑑」を、今回はポルシェの黎明期・グミュント時代を中心に紹介。

ポルシェ図鑑リンク集【05-08】

ポルシェのヒストリーを追う! ボクスター/ケイマンやカイエンの祖先とは? 【ポルシェ図鑑:リンク集】

常に時代を象徴するスポーツカーをリリースし、世界中に多くのファンを獲得しているポルシェ。代表モデルである911シリーズの「リヤエンジン・リヤ駆動」「水平対向エンジン」は356から連綿と引き継がれているが、718ケイマン/ボクスターのミッドシップレイアウトや、カイエン/マカンというSUVモデルのルーツもすでに1950年代に製造していた。ポルシェの現行モデルにとって礎になったレアモデルたちを解説する。

黎明期のポルシェ、完全解説!「ポルシェ図鑑」09-12リンク集

ポルシェのヒストリーを追う! 熟成極まった356から911への転換 【ポルシェ図鑑:リンク集】

スポーツカーブランド「ポルシェ」の名を不動のものとした356は、モータースポーツシーンでも躍進。世界中のレースでポルシェのハイパフォーマンスを喧伝するとともに、多くのファンを獲得し様々な派生モデルをリリースしながら発展を遂げていく。その一方、さらに高性能なモデルを望むマーケットの要望を叶えるため、新型モデルの開発も進んでいた。356の熟成期と、現代へ続く傑作「911」への萌芽を解説する。

投稿 【ポルシェ図鑑】「ポルシェ718 W-RS スパイダー(1962)」F1エンジンを譲り受けた718。GENROQ Web(ゲンロク ウェブ) に最初に表示されました。

キーワードで検索する

著者プロフィール

藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…