1969 Porsche 914 【ポルシェ図鑑:20】

【ポルシェ図鑑】「ポルシェ 914(1969)」生まれるのが早すぎたミッドシップ。

ポルシェ 914のフロントスタイル
ポルシェのボトムレンジ、912の後継モデルとして生まれた914。ミッドシップレイアウトにオープントップという、現代のボクスター/ケイマンの祖ともいえるモデルだ。
911シリーズの廉価版だった912の跡を継ぐモデルとして、ポルシェとフォルクスワーゲンが共同開発したミッドシップ2シーターモデルが914だ。ポルシェ初のコイルスプリングを用いたリヤサスペンションや、911のパワートレインを前後逆に搭載するなどメカニズム的に見るべきものは多く、現代にも通用する革新性を備えていたものの、パートナーであるフォルクスワーゲンとの確執がその生涯に影響した不遇の名車と言える。

1969 Porsche 914

912の後継車として誕生

1969年にデビューした「914」。フォルクスワーゲン譲りの1.7リッターフラット4を搭載するスタンダードの「914」(写真)と、911 Tの2.0リッターフラット6を搭載する「914/6」の2モデルが用意された。

ポルシェ 914は、911の廉価版として用意された912の後を継ぐべく、フォルクスワーゲンと共同開発した2シーターミッドシップ・スポーツである。

話は第二次大戦後に遡る。1948年にハインリヒ・ノルトホフを社長に迎えた新生フォルクスワーゲンは、ポルシェとの間に以下のような提携を結ぶ。

1)フォルクスワーゲンはビートルを1台生産するごとにロイヤリティをポルシェに支払う。
2)ポルシェはフォルクスワーゲンと競合する車種を他のメーカーのために設計しない。
3)フォルクスワーゲンはポルシェの特許技術を自由に使用できる。
4)ポルシェは、フォルクスワーゲンのパーツを自由に利用してスポーツカーを製作できる。
5)フォルクスワーゲンのサービス網をポルシェが利用可能。

ブランド毎に搭載エンジンを異にする計画で進行

「914/6」のリヤビュー。価格は911 Tとあまり変わらないのに、見た目がほとんど914 1.7と変わらなかったのも914/6販売低迷の要因といえた。

この提携により356の生産基盤とポルシェの経営基盤は安定。ビートルの後継を模索する試作車を開発するなど、良好な関係が続いていく。

そして1966年、フォルクスワーゲンとポルシェはドイツ・ルドヴィスブルクにVW-ポルシェAGを設立する。これは当時販売が下降しつつあったフォルクスワーゲン カルマンギアと、911の廉価版として登場した912に代わる小型スポーツカーを共同で開発、製造するための合弁会社で、設計・製造をポルシェが、そのためのコンポーネンツをフォルクスワーゲンが提供し、それぞれのブランドで販売することになっていた。

フォルクスワーゲンとの関係にヒビが入り始める

914/6の透視図。フロント・ストラット、ポルシェ初のコイルスプリングを採用したリヤ・トレーリングアームのサスペンション、そして911のエンジン&ギヤボックスを前後逆に搭載したパワートレインなど、そのパッケージがよくわかる。また、可能な限りタイヤを4隅に配置したワイドトレッド&ロングホイールベースのシャシーは、現代でも十分に評価できる高いハンドリングとスタビリティをもたらした。

このプロジェクトを任されたフェルディナント・ピエヒの元で設計を担当したヘルムート・ボットは、スチールモノコック・シャシーのコンパクトな2シーターミッドシップ「914」を開発。当初はフラット4エンジンを搭載するものをフォルクスワーゲンブランドで、フラット6エンジンを搭載するものをポルシェ・ブランドで販売する予定だったという。また、デタッチャブル式のトップをリヤラゲッジに収納できるなど合理性を追求したデザインは、アレクサンダー“ブッツィ”ポルシェが担当した。

しかしながら1968年にプロトタイプが完成した直後にプロジェクトの旗振り役のひとりだったノルトホフが急死。代わりにフォルクスワーゲン会長に就任したクルト・ロッツはそれまでの約束を反故とし、一切の権利と販売権がフォルクスワーゲンに帰属すると主張。最終的にはVW-ポルシェ販売会社を通じて”VW-ポルシェ”として販売されることで落ち着くが、ポルシェの開発費負担が増えたことでコストが上がるなど、両社の関係にヒビが入り始める。

好調なセールスでスタートするも・・・

PRを兼ねてデビュー直後からモンテカルロ・ラリーやル・マン24時間などモータースポーツに積極的に参戦した、914。写真は、1970年のル・マンで総合6位、2.0リッタークラス優勝、熱効率指数2位という好成績を残した「914/6 GT」。

このような紆余曲折がありながらも1969年のフランクフルト・ショーで、79hpのフューエルインジェクション付きフォルクスワーゲン製1.7リッターフラット4を積むスタンダードモデルの914と、911 T譲りの110hpを発揮する2.0リッターフラット6を積む「914/6」が発表された。

初年度の生産台数は1万629台を記録。翌1971年には2万1440台と北米を中心に好調なセールスを記録するが、同年にフォルクスワーゲン会長に就任したルドルフ・ライディングがVW-ポルシェ販売会社の解消、さらに開発中の小型車EA266の中止(これがゴルフ誕生のきっかけとなる)を決断する。こうしてポルシェの財政が厳しくなる中、北米におけるマスキー法の制定による排ガス規制の強化や1973年の第4次中東戦争を起因とする石油ショック、さらには独特のスタイルやVW-ポルシェというブランドイメージなど様々な要因が重なり、後継となる924の登場を待たずに914の生産は1976年で終了することとなる。

50年を過ぎた今こそ評価されるべき

1973年に登場した「914 2.0」。フォルクスワーゲン・タイプ4用の空冷フラット4をハンス・メッツガー率いる開発陣が、2.0リッター200hpまでチューンナップを施した。バンパーがメッキから黒い樹脂製となるのは1973年モデルから。

これをもって914を「失敗作」とみる向きもあるが、6年間で合計11万5597台という販売台数は小型2シーターミッドシップとしては十分に成功(例えば、フィアット X1/9は17年間で約16万台)といえるもので、高いユーティリティとハンドリングは未だ評価が高い。

また、914/6に代わる形で1973年に登場した914 2.0に搭載していた100hpの2.0リッターフラット4ユニットについて、当時このエンジンを手がけたハンス・メッツガーは「当時、誰もがフォルクスワーゲンの4気筒を2.0リッター化できないと言っていたが、我々はそれを実現し、911 Tの6気筒と変わらないパワーを出すことに成功した。その上、燃費も良かったからね。私の作品の中ではマクラーレン MP4/2に搭載した1.5リッターV6ターボと並ぶ、傑作エンジンだと思っているよ」と語っているなど、誕生から50年が過ぎた今、改めて評価されるべき1台といえる。

意外にも豊富なバリエーションを生み出した914

【SPECIFICATIONS】
ポルシェ 914
年式:1969年
エンジン形式:空冷水平対向4気筒OHV
排気量:1679cc
最高出力:79hp
最高速度:187km/h

TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)

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