歴史から紐解くブランドの本質【ポルシェ編】

ポルシェはなぜ今でもRRを信奉するのか?【歴史に見るブランドの本質 Vol.4】

熱狂的なファンに支えられ今でも高い価値を誇る「911 カレラ RS 2.7」。いわゆるナナサンカレラだ。
熱狂的なファンに支えられ今でも高い価値を誇る「911 カレラ RS 2.7」。いわゆるナナサンカレラだ。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

Porsche

シリーズハイブリッド車を開発

ポルシェといえば、フェルディナント・ポルシェ博士である。ポルシェは1875年にオーストリアで生まれ、電気技師としてエンジニアとしての人生をスタートさせた。当時馬車メーカーだったウィーンのローナー社が電気自動車を製作するためポルシェを雇い入れた。

このことからポルシェは自動車製作にかかわることになるが、当然の成り行きとして最初に製作したのは電気自動車である。その後ガソリンエンジンを発電機として使用するシリーズハイブリッド車の開発も行っている。

規模の小さかったローナー社に限界を感じたポルシェは当時オーストリア最大の自動車メーカーだったオーストロダイムラー(ダイムラーのオーストリア子会社)に転職する。そこでポルシェの設計したレーシングカーは数々の勝利を収める。結果、親会社のダイムラーの目にとまることとなり、ドイツのダイムラー本社のテクニカルディレクターに就任することとなった。そこでポルシェは名車SSKなどを生みだしさらに名声を上げた。

ポルシェのスポーツカーの基本形

ポルシェの名を初めて冠した「356」。写真はポルシェ・ミュージアム所蔵の356SL。

その後1931年にポルシェは独立し、設計とコンサルティングを行う「フェルディナント・ポルシェ名誉工学博士株式会社」を設立する。今もポルシェの正式社名はこれである。

戦前にポルシェが生み出した車の中で特筆すべきはアウトウニオン(現アウディ)のV16エンジン搭載のミッドシップレーシングカー、Pヴァーゲンとフォルクスワーゲン(ビートル)である。つまりポルシェ博士はBMWを除くドイツ主要ブランドすべてにかかわったエンジニアなのだ。

戦後のポルシェは息子のフェリー・ポルシェに引き継がれる。1949年、フェリーが中心となってポルシェの名を初めて冠したスポーツカーである356を開発し、ポルシェは自動車メーカーとしても歩み始める。

356はビートルをベースに高性能化したスポーツカーだった。それゆえ必然的に水平対向4気筒エンジンをリアにオーバーハングさせて積んだ2+2のクーペという形式となった。この時点でポルシェというスポーツカーの基本形は決定したといえる。

必然的に356を引き継ぐ911も同じ形式を継承、但し性能アップのために6気筒化された。これによってポルシェの個性はさらに強まる形となり、乗りこなしにくい操縦性にもかかわらず熱狂的なファンを増やすことになる。

RRこそポルシェである

1955年型550スパイダー。アメリカのサーマルクラブ・サーキットにて。

一方モータースポーツの世界では1953年という非常に早い時点からミッドシップ化を推進、重心の低い水平対向エンジンも相まって非常に高い戦闘力を発揮し、輝かしい歴史を織りなすことになる。550スパイダーから始まるミッドシップ・レーシング・ポルシェはポルシェのもうひとつの象徴となっていき、1970年代の917、1980年代の956/962は代表的なアイコンである。

ポルシェは1970年代に水冷FR化を推進しようとしたがコアなファンは911に固執し、結局911フォーマットを継続する道を選ばざるを得なかった。

しかし、これが結局ポルシェの個性をさらに強化することにつながり、販売のメインがSUVになった現在でもポルシェといえば911であり、911の存在こそがポルシェブランドの圧倒的な強さの源泉なのである。

1985年モンテカルロラリーでのアウディ スポーツ クワトロ。これがアウディブランドを不動のものにした。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…