歴史から紐解くブランドの本質【フィアット編】

フィアットのイメージを固めた重要な2モデルとは?【歴史に見るブランドの本質 Vol.5】

1957年に発売されたヌオーヴァ・チンクェチェント。今日本でオリジナルのチンクェチェントとして認識されているのはこのモデルである。
1957年に発売されたヌオーヴァ・チンクェチェント。今日本でオリジナルのチンクェチェントとして認識されているのはこのモデルである。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

Fiat

トリノ名士が作った会社

自動車ブランドは人名を冠したものが多く、創設者の情熱により車作りが始まり、その創設者の個性がブランドの個性となっているものが多い。それらのブランドと対極に位置するのが、フィアットといって良いだろう。1899年、トリノの名士が集まって大規模な自動車会社を設立しようとしたのがフィアットである。従ってFIATはFabbrica Italiana Automobili Torino、トリノイタリア自動車製造所の略である。

その中心人物がその後長きにわたってフィアットを支配することになるアニエッリ家のジョバンニ・アニエッリである。自動車会社を設立したものの、当初は技術も工場もなかったので、トリノで自動車の製作を始めていた小さな会社を買収することから始まった。しかし、最初から大規模の自動車生産を目指していたので、トリノ市内に大規模工場の建設も進められ、優秀なエンジニアも多数集められた。

フィアットはその製品の優秀性を示すためモータースポーツにも積極的に参加し、優秀な成績を収め、その名を広めることに成功した。この名声を背景に、1908年から低価格小型車の大量生産を開始する。その後の第一次世界大戦での軍需によりフィアットはさらに大きく成長することになる。

500という名作の誕生

フィアットは小型車から大型車まで生産するフルラインアップメーカーとなっていたが、徐々に安価な小型車中心にシフトしていく。その象徴的なモデルが1932年発売のティーポ508バリッラ、そして1936年に発売された500(チンクェチェント、愛称トッポリーノ)である。

この500を設計したのが、その後のフィアットの名車を数多く作り上げることになるダンテ・ジアコーサである。ジアコーサはその後エンジンとトランスミッションを横置きに並べた前輪駆動方式を開発し、その後の自動車界に決定的な影響を与えた(今のFF車は一部の例外を除きすべてジアコーサ式のレイアウトを採っている)。

500はフィアットを代表するヒット作となった。しかし現在のフィアットのブランドイメージに通じるフィアット史上最大のヒット作は、この500の後継車、1957年に発売されたヌオーヴァ・チンクェチェントである。このモデルも設計したのはダンテ・ジアコーサだった。今日本でオリジナルのチンクェチェントとして認識されているのはこのモデルである。

世界的に見ても、フィアットのブランドイメージの中核を形成しているのはこのヌオーヴァ・チンクェチェントなのではないだろうか。このモデルは1977年まで製造され、総生産台数は400万台に達する。

ローコストでミニマムなパンダ

ヌオーヴァ・チンクェチェントが生産中止となってから3年後の1980年に、もうひとつのフィアットのブランドイメージを象徴することになるモデルが誕生する。ジョルジェット・ジウジアーロデザインのパンダである。パンダは徹底したローコスト設計のミニマムな車であったが、それが強烈な個性ともなり大ヒット作となり、モデルチェンジを繰り返しつつ現在でも生産されている。

2007年にはヌオーヴァ・チンクェチェントをモチーフとした新しい500が誕生、今でも生産が続いている。フィアットは500とパンダというAセグメント2モデルでブランドイメージを形成しているといって過言ではないだろう。

熱狂的なファンに支えられ今でも高い価値を誇る「911 カレラ RS 2.7」。いわゆるナナサンカレラだ。

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自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…