歴史から紐解くブランドの本質【BMW アルピナ編】

BMW Mとは異なる味わいこそアルピナの魅力【歴史に見るブランドの本質 Vol.11】

アルピナチューンが施されたBMW2002。アイコニックな存在だ。
アルピナチューンが施されたBMW2002。アイコニックな存在だ。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

チューンナップキットから

アルピナは1952年にタイプライターなどを製造する事務機器メーカーとして設立された。創業者の息子で自動車愛好家だったブルカルト・ボーフェンジーペンが1961年に発売されたBMW1500を購入、自らキャブレターのチューンアップを行った。これが新たな商売につながると考えた彼はチューンナップキットを発売することを思い立つ。当初は駐車場でBMW1500を探してはワイパーにチラシを挟み込んだという。

このキットは評判を呼び、その品質の高さからBMWの公認チューニングキットとなった。その後1968年からモータースポーツに進出し、BMW 2002ベースのツーリングカーで大活躍する。

1969年3月にモンツァで開催されたヨーロッパツーリングカー選手権では、BMW 2002ベースのマシンでポルシェ911やアルファロメオGTA、BMWのワークスカーを抑えて優勝を飾る。そして翌1970年にはBMW 2800CSをベースとしたマシンでヨーロッパツーリングカー選手権のチャンピオンとなる。

ポルシェに匹敵する加速と

その技術力の高さはBMWからも認められ、1971年にはBMWのモータースポーツ史上の金字塔である3.0CSLの開発を任されるまでに至った。1977年にヨーロッパツーリングカー選手権のチャンピオンになるも、1978年からはBMWベースのコンプリートカーの生産に集中するためモータースポーツから撤退する。1983年には独立した自動車メーカーとして公式に認められることとなった。

日本でアルピナの名が知れ渡るきっかけとなったのは1969年にカーグラフィック誌に掲載されたポール・フレール氏によるアルピナチューンのBMW2002の試乗記だろう。驚くべきことに、このクルマの加速データは当時2.2リッターに拡大されたばかりのポルシェ911Sすら上回るものだった。

次にアルピナの存在を決定的にしたのが、1978年に登場したB7ターボであろう。4ドアセダンであるE12型5シリーズベースでありながら当時のポルシェ930ターボに匹敵する加速性能を持ち、930ターボをはるかに凌ぐ柔軟性も備えていた。トップギアでの60km/hから120km/hの加速データは930ターボより3.3秒も速かったという。また優れた快適性と操縦性も併せ持っていた。

BMWをスーパーカーに変える

アルピナは当初はモータースポーツでの実績と直結したレーシングカー並のハイチューンエンジンが売りだったが、この頃から上質な乗り味も併せ持つ洗練されたコニサー向けの車作りを指向するようになっていたのである。

このBMWをベースにしつつスーパーカー並みのパフォーマンスを持ちながら快適性も全く犠牲にしないという車作りはベースとなるBMW車やBMW Mモデルとは異なる味わいと満足感をユーザーに提供し、極めて少数な生産規模ながらも高性能車市場において独自のポジションを形成することとなった。

ブルカルト・ボーフェンジーペンはワイン愛好家でもあり、アルピナは高級ワイン商としての側面もある。ブッフローエのアルピナ敷地内にあるワインセラーには、数十万本に及ぶワインが貯蔵されているという。微妙な味の差にこだわり、一部の好事家のために製品を提供する、という意味では両者には共通性があるといえよう。

ウォルフスブルク工場の前に佇むビートルの第1号。

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自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…