スバリスト自動車ライターの第一人者、マリオ高野が太田市選挙に見事当選! BRZの選挙カーで、市議会選挙をかく戦えり

2023年4月23日に全国的に実施された「統一地方選挙2023」は記憶に新しい。全国の都道府県市区町村で議会及び首長選挙が実施され、各地で悲喜交々の結果となった。そんな統一地方選の中で、群馬県太田市の市議会選挙に立候補したモータージャーナリストがいた。業界屈指の“スバリスト”として知られるマリオ高野氏である。マリオ高野氏がどのような目的で市議選に参戦し、戦い、当選を果たしたのか……スバリストの盟友である“いもっち”こと井元貴幸氏が直撃した!

MotorFan.jpでもおなじみの自動車ライター・マリオ高野さんは、自他ともに認めるSUBARU好き。先日公開された【マリオ高野がゆく”スバルの聖地”太田紀行 vol.1】でも執筆しているように、2022年8月にスバルの城下町である群馬県太田市へと引っ越した。

戦前日本最大の航空機メーカー「中島飛行機」創設者・中島知久平の私邸にスバルのルーツを見た!【マリオ高野がゆく”スバルの聖地”太田紀行 vol.1】

モータージャーナリスト随一の「スバルオタク」として知られるマリオ高野さんは、なんとスバル愛が高じてスバルのお膝元である群馬県太田市に引っ越し! スバル×群馬ライフを満喫している。そんなマリオ高野さんが太田市&群馬県のスバルの聖地を巡る! その始まりは、やはりスバルの始まりにまつわる「旧中島家住宅」だ。 PHOTO/REPORT:マリオ高野(MARIO Takano)

マリオさんと同じように、スバルを愛する筆者からすれば、それはもう羨望の生活であり、街を行き交うクルマがほとんどスバル車という太田市は、ただ生活するだけでも私のようなスバルオタクには夢のような街である。
実際に取材などで太田へ足を運ぶことも多いのだが、レアなモデルが普通に走り回っている光景を目にするだけで、とにかくテンションが上がるまさにスバリストにとっては”聖地”といえる街なのだ。

突然の市議選立候補の報……しかし、その人柄から勝利を確信

そんな街に引っ越したマリオさんは、傍から見ても実に生き生きと、今まで以上の充実した生活を送っているように見えた。
そして、2023年4月には、なんと太田市議会選挙に立候補したのだ。その話をご本人から耳にしたときは驚きしかなかったのだが、同時になぜかその話を聞いた時点で「当選する」と思っていた。前回の太田市議会選の投票率は44.08%と50%を割っているそうだが、若いスバリストからも人気の高いマリオさんなら、これまで選挙に足を運ぶことのなかった人の票も多く得られそうだと感じたからだ。

掲示板に貼られたマリオ高野氏の選挙ポスター。

それは、筆者がマリオさんと知り合って10年が経過するが、何よりその温厚な人柄、腰の低い謙虚な姿勢がスバルファンから圧倒的に支持されているからだ。筆者は自動車メディア業界に入り、まだ12年と業界内ではまだまだ”ひよっこ”のレベルだが、初対面の時から業界の大先輩にあたるマリオさんは区別も差別もすることなく腰が低かった。

筆者とはスバルが好きすぎる自動車ライターというキャラクターが被っており、お会いするまで「この2番煎じが!」と恫喝されるかと思っていた。しかし、いい意味で期待を裏切る予想外の対応で、むしろスバル好きということで仲間意識を持っていただき、今でも仕事を紹介していただいたり、あちこちで筆者の宣伝をしてくれたりと、とにかく裏表のない思いやりの塊のような存在。人の立場に立って「施されたら施し返す」という姿勢は変わらず、まさに市議会議員として相応しい人だと忖度なしに思える人だ。

お祝いに駆けつけた筆者。スバリスト同士の結束は熱い、もとい厚い。

今でもスバル関連の記事の執筆やYouTubeの動画出演、イベントMCなど活躍を続けるマリオさんだが、筆者が初めて知ったのは2008年に出版されたSUBARU50周年記念 MOOK本「アイ・ラブ・スバル」という本だ。
当時は書店にスバル専門誌が数多く並んでいる時代だったが、スバルファンとして手に取ったその本の内容は実に充実しており、スバルオーナー、スバルファンだからこその目線で構成されており、まさにタイトル通りの愛あふれる内容だった。
誌面にもマリオさんの写真は多く掲載され、純粋にスバルマニアを自負する自分でも知りえない情報や、共感できる内容に「このひとスゴイ!」と純粋に感じた。この1冊で、スバルファンの心をつかむ人柄に魅了されたのはいうまでもない。

スバリストを支持基盤に見事当選!

選挙カーは自身の愛車スバルBRZ。ボディに選挙ポスターを貼り市中を回る。選挙カーになったBRZは日本広しといえどこれ1台だろう。
自らステアリングを握り、ハンズフリーのスピーカーで政策や公約をアピール。選挙といえばやはり白手袋。

今回の市議選立候補の選挙活動でも、支持基盤となったのは太田市のスバリストだったそうだ。「元々地元でもなく親戚や旧友などもいなかった太田市で、支えとなったのは地元のスバリストだった」とマリオさんは語る。

見事当選を果たし、証書を手にするマリオさん。1479票は36立候補車中27位だった。

4月23日の投開票日には太田市民以外のスバリストも注目していたが、1479票を獲得し見事当選!晴れてマリオ高野議員となった当選後も、ご本人は「スバリストを支持基盤とした初の議員!」というほどだ。

筆者も出席した身内の集まりでのマリオさんの様子。とても盛り上がった。

市議会議員に立候補した理由とは?

そんなマリオさんが、太田市議に立候補し、掲げたのは……

・スバル車が売れると太田の市民生活が豊かになる!
・eスポーツ人気をリアルの自動車産業活性化につなげる
・太田市を中心とした群馬県のモータースポーツ興業の発展
・太田市の産業、名産の魅力と価値をアピールし太田ブランドを高める
・災害対策の充実による安心して暮らせる街へ
・子育て支援を重視しつつ単身者の暮らしの充実

といった内容だ。
太田はいわずもがなSUBARU城下町であり、なんと太田市の法人市民税収の7割がスバルで占める年もあるほど。コロナ禍の2021年度はスバルの生産調整の影響もあり、前年度の39%減に落ち込んだが、それでも19億3300万円という巨額の税収だ。それだけにスバル車の人気をさらに高めることが市民の生活を豊かにするというのは至極納得のできる話だ。

太田駅前ロータリーで鎌倉幕府を打倒した新田義貞とその弟・脇屋義助の像に見守られながら選挙演説を行うマリオさん。後方にはスバル群馬製作所の建物が見える。新田義貞兄弟もスバルも太田市を代表する存在と言えるだろう。

そこで、市議会議員になることで、市の財源を自動車産業のために使い盛り上げることで、スバルのクルマの売り上げがアップすれば、結果的に更なる税収アップが見込めるというわけだ。スバルに勤務する人も多く住む太田市なら、市民にとってもスバルの売り上げアップはいいことづくめと言えるだろう。

太田市街をゆくマリオさんの選挙カー。自身が運転しただけでなく、応援に駆けつけた群馬出身のラリードライバー・新井大輝さんがドライバーを買って出たこともあったという。スバルが繋ぐ絆と、マリオさんの人柄を窺わせるエピソードだ。

また、太田市にはミシュランタイヤの研究拠点「太田サイト」があるが、日本ミシュランタイヤは2023年8月までに、東京都新宿区から太田市へ本社も移転することを発表している。スバル関連企業だけでなく、自動車産業の発展はこうした企業にもいい影響を与えることとなる。

太田ブランドの振興とアピールに尽力

他にも注目したいのは「太田市の産業、名産の魅力と価値をアピールして太田ブランドを高める」という点。太田市はヤマトイモや小玉スイカ、ブリックスナインと呼ばれるトマトなど名産品も豊富だ。特にヤマトイモはマリオさんが太田へ転居してすぐに差し入れとしていただいたのだが、調理法も幅広く様々な料理に使える便利な食材。そんなヤマトイモの栽培面積が太田市は日本一なのだ。

ほかにも樹木の栽培から一貫して太田市内で生産される100%太田産のオリーブオイルも存在する。このオリーブオイルは、2015年の国際オリーブオイルコンテストで金賞を受賞するほどの逸品。こうした名産品を広く知ってもらうことでMADE IN 太田の価値を上げられるのだ。

新田義貞生誕推定地のひとつである新田荘遺跡(反町館跡)と照明寺(反町薬師)の堀端を行くマリオさんの選挙カー。

もう一つ気になるのは「子育て支援を重視しつつ単身者の暮らしの充実」だ。子育て支援を重視しつつという前提で、単身者にも優しい生活はあまり目にすることがない。子育て支援の充実は全国的に重視しているが、意外と単身者への支援は数少ない印象だ。

単身者の生活が充実することで余裕の出た若い人がクルマへの興味を持ってくれれば、国内の自動車産業の盛り上げにも貢献できるのではとも考えられる。意外とないがしろにされがちな単身者へ手を差し伸べる考えは、隠れた市場の掘り起こしといった期待も高まる。

国指定史跡生品神社の前を行く選挙カー。生品神社は鎌倉幕府打倒を決意した新田義貞が旗揚げした地として知られている。太田市はこの新田義貞の故地として市内に多数の史跡がある。この写真はつまり、新田義貞に倣い太田市議から中央政権を目指すマリオさんの決意表明だろうか?

マリオさんの尽力によって、スバル界隈だけでなく、太田市から自動車業界が変わっていき、ますます盛り上がっていくことが楽しみだ。スバルファンのみならず多くの車好きが「太田市に住みたい!」と思うほど魅力的な市政に期待しつつ、これまで以上に応援していきたい。

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著者プロフィール

井元 貴幸 近影

井元 貴幸

母親いわくママと発した次の言葉はパパではなくブーブだったという生まれながらのクルマ好き。中学生の時…