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1965年の第12回東京モーターショーでも注目の的だった新機構
対米輸出を意識してリトラクタブルヘッドライトを採用
収納されたヘッドライトがポップアップするリトラクタブルヘッドライトは、空気抵抗低減する低いボンネットのデザインを採用したスポーツカーやスーパーカーに欠かせないアイテムだった。しかし、一部の国や地域で昼間でもヘッドライトの常時点灯が義務付けられたことにより、リトラクタブルヘッドライトは徐々に姿を消した。2002年まで生産されたマツダRX-7(FD3S)を最後に、国産車のリトラクタブルヘッドライト装着車はなくなった。
リトラクタブルヘッドライトの歴史は意外に古く、1930年代のアメリカ車、コード・フロントドライブ・モデル812(1937年)にすでに搭載されていた。ちなみに、このコードはトヨタ博物館に収蔵されているので、実際に見ることができる。その後、1960年代にロータス・エランなどに採用され、本格的に広まっていくことになる。フェラーリやランボルギーニ、ポルシェ924/944というのが代表的車種だ。
国産車のリトラクタブルヘッドライトといえば、1978年発表のマツダの初代RX-7(SA22C)が採用し、80年代の国産車のリトラクタブルヘッドライト・ブームの火付け役となった。ウェッジシェイプ(くさび形)のクーペだけでなく、2ボックスのハッチバックやトランクのある4ドアセダンにまでリトラクタブルヘッドライトは採用された。
TOYOTA 2000GTは、そのブームの10年も前に国産車で初めてリトラクタブルヘッドライトを採用している。採用した理由は簡単。最初から対米輸出を意識していたため、アメリカの法規をクリアする必要があったからだ。極端に低いボンネットのため、フロントグリル脇にヘッドライトを取り付けたのでは、「ヘッドライト地上高610~1370mm」というカリフォルニア州のハイウェイパトロール規格に合致させることができなかった。
後期型では開閉速度が速くなった
リトラクタブルの動力には、エンジンの負圧を利用するもの、エンジン回転を使うもの、手動とさまざまな手段が考えられたが、結局電動モーターによって駆動する方法に落ち着いた。開閉方法も下からせり上がる潜望鏡式、後ヒンジ、前ヒンジなどが検討されたが、後ろヒンジで約60度の回転角で開閉する方法が採用された。
モーターは左右別個に取りけられ、開閉用リンクは初期減速比を大きくし、ライトリフト時に走行中の振動にも耐えられるように4本のリンクを巧みに配置。前期型のモーター特性は、無負荷回転数10rpm、最大トルク60kg/cmとされた。リンクのシャフトベアリング部はナイロンブッシュを使用し、防水防塵のためラバーブーツでカバーされた。
リトラクタブルヘッドライトの機構はボディ先端部に搭載されるが、X型バックれーむはフロントタイヤの車軸付近で終わっているので重量を支えることが出来ない。ヘッドライト、フォグライトの計4個の大型ライトと2個のリトラクタブル機構の重量を支える構造を別個に用意する必要がある。そこで、フロントフェンダーから前をモノコック構造にすることで重量物を支持する方法が採用された。
前期型では、独立したリトラクタブル用スイッチがタコメーター左のパネルに設けられていたが、1969年8月登場の後期型ではヘッドライトの点灯とリトラクタブル動作が連動するように改められた。また、開閉速度も速くなっている。
1965年の第12回東京モーターショーに展示されたTOYOTA 2000GTプロトタイプには、市販型とは形状が異なるもののリトラクタブルヘッドライトが搭載されていた。流麗なボディデザインとともに本邦初公開のリトラクタブルヘッドライトは、文字通りの「出し物」となって、観客の関心を大いに集めたという。