国際ラリー発祥の地をBRZで走ったぞ!
群馬県で開催された国際格式ラリーイベントは「第19回スパイク・インターナショナル 日本アルペンラリー」。初開催なのに第19回なのは1959~1976年まで開催されていた伝説のラリー「日本アルペンラリー」の名称を冠したからである。
「第19回スパイク・インターナショナル 日本アルペンラリー」は5月19~20日に開催。各日で競技区間のSS(スペシャルステージ)は12本設定された。今回走ったのは初日のSS5、SS6「Kosame1・2」。4.82kmのステージで、途中にギャラリーエリアが設けられていたので、当時一番有名なステージだったと記憶している。
「Kosame」の舞台は草津町と中之条町を結ぶ林道・小雨線。SSは草津町側から中之条町に向かうコースだったので、草津町側から林道に入った。
2001年当時、僕はオートスポーツの副編集長で、ラリー担当だった僕は、ラリー終了後にスバル インプレッサWRC2001をドライブしていた新井敏弘選手からKosemeのペースノートのコピーをもらい、インプレッサWRX STIの広報車を借りてペースノートの検証取材をしたことがあるので、林道・小雨線はとても思い出深い。
ペースノートにはSSコースのカーブの大きさやストレートの距離、路面状況など詳細な情報を書き込んであり、目視運転では到底不可能なスピードでコースを走ることができることを実感したのを覚えている。
もちろん今回はあくまでものんびりドライブ。ペースノートも持ってきてないし、そもそもスタート・ゴール地点も覚えていない。そんなスタート地点は草津町の小雨グラウンド付近だったような気がする。
スタート地点(だと思う)から数百メートル進んだ場所にある右ヘアピンコーナーがギャラリーエリア。「Kosame」のハイライトポイントだったので、ここにたどり着いたら22年前の想い出がいろいろ蘇ってきた。ギャラリーエリアはカーブの外側、コースを見下ろす場所にあった。当時と場所の雰囲気は変わっていなかったが、それにしてもここにギャラリーエリアがあったというのは、今だと信じがたいかもしれない。
しばらく走っているとクレスト(地形が変化する場所)の場所に来た。新井選手のペースノートにはここに不思議な記号が入っていて、ここから新井選手に電話で「この記号は何?」って聞いたのを思い出した。新井選手によればその記号は「全開クレスト」とのこと。クレストは先が見えないので普通は減速するところなのだが、ここは全開で走っても問題が無いという意味なのだそうだ。
そんな事を思い出しながらWRカーやグループAラリーカーが初めて走った場所に思いを馳せてみた。2001年当時は国際格式ラリーで走るラリーカーが日本では法的に走ることが不可能と言われていた。しかし車検制度の規制緩和や、関係者の努力により、2001年5月19~20日に、日本初の国際格式ラリーイベント「第19回スパイク・インターナショナル 日本アルペンラリー」が開催された。同年9月には「インターナショナルラリーイン北海道」を開催。このラリーは2002年にAPRCラリ-北海道に昇格。2年後の2004年にはWRCラリー・ジャパン(当時)に昇格した。一方国際格式ラリーの草分けだった日本アルペンラリーは、2002年の開催を最後に開催されていないが、国際格式ラリーの草分けとして果たした実績は大きいと思う。