ダイハツ軽ボンネットバン「ミラクオーレ」は、どのようにしてスズキ・アルトとの差別化を図ったのか?【歴史に残るクルマと技術045】

ダイハツ・ミラクオーレ
ダイハツ・ミラクオーレ
1979年に登場したスズキの軽ボンネットバン(ボンネット付商用車)「アルト」に対抗し、翌1980年にダイハツが放った「ミラクオーレ」。2ボックスのアルトに対して、ミラクオーレはボンネットを短くした1.5ボックスにすることで広い室内・荷室空間を確保したのだ。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)

●ダイハツはトラックから乗用車、そして軽自動車事業へ参入

ダイハツの前身は、1907年に大阪で設立された「発動機製造株式会社」で、発電用の発動機などエンジンの製造から始まった。1920年には、本格的にディーゼルエンジンとガソリンエンジンの開発に取り組み、1930年に自社製エンジンを搭載した3輪自動車「HA型」を発売し自動車事業に参入した。
戦中・戦後のトラック需要の高まりを受け急成長し、1960年代に満を持して乗用車の開発に着手。1963年に「コンパーノ・ベルリーナ」、1964年「ベルリーナ800」、1965年「コンパーノ・スパイダー」と立て続けに小型乗用車を発売した。

ダイハツ「フェロー」
1966年に誕生した「フェロー」。ダイハツ初の軽乗用車

そして1966年には、当時スバル「360」の大ヒットで活況を呈していた軽自動車市場に、ダイハツ初の軽自動車「フェロー」を投入。フェローは、日本初の角型ヘッドライトを装備したリアにトランクを持つ3ボックススタイルで人気を獲得。その後も、スポーティな「フェローSS 」などを追加し、1970年には大ヒットした2代目「フェローMAX」へと進化を遂げた。

ダイハツ・フェローMAX
1970年にデビューしたダイハツ・フェローの2代目「フェローMAX」。高性能とFF化が特徴

●スズキのアルトが開拓したボンネットバンが大ヒット

スズキ「アルト」
1979年に47万円の低価格でデビューしたスズキ「アルト」

1978年にスズキの新社長になった鈴木修氏が、次期車「アルト」のコンセプトとして考え出したのが、価格が安くできる商用車でありながら、乗用車スタイルの軽自動車“軽ボンネットバン”だった。
商用車にすることのメリットは、物品税が非課税のため販売価格が下げられること。物品税とは、生活必需品は非課税で贅沢品には課税するというもので、軽乗用車については当時15.5%の物品税が課せられていたが、軽商用車は非課税だったのだ。

1979年にデビューしたアルトは、定員は4人ながら実質2人乗りという荷室が広い商用車。コスト低減のためにワングレードのみの設定で、車両価格は破格の47万円。月販台数は、1.8万台を受注する空前の大ヒットモデルになり、1980年代ボンネットバンブームを作り出した。
ちなみに、当時の大卒初任給は11万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約98万円に相当、当時としても驚異的な低価格だった。

軽ボンネットバンが誕生した背景には、モータリゼーションが一段落し、主婦層が足として利用するセカンドカー重要の増加。また、日常で使用する場合の乗車人数は2名以下であること、女性ドライバーは乗用車か商用車かを意識しないといった市場調査の結果があったのだ。

●ミラのボンネットバンとして登場したミラクオーレ

フェローMAXは軽の新規格に対応し「MAXクオーレ」となり、その後モデルチェンジして1980年に「クオーレ」を名乗った時に、アルトに対抗する形で兄弟車としてボンネットバンの「ミラクオーレ」が誕生した。
スズキの一般的なハッチバックに対して、ミラクオーレはハッチバックながら“FF 1.5ボックス”というレイアウトで、エンジンが収まるフロント部をコンパクトに仕上げた上で全高を高くし、室内空間と荷室空間を広くしたことが特徴。この設計思想で、アルトとの差別化を図ったのだ。

ダイハツ「ミラクォーレ」
1980年にデビューした軽ボンネットバンのダイハツ「ミラクォーレ」

パワートレインは、最高出力29ps/最大トルク4.0kgmを発生する550cc直2 SOHCエンジンと4速MTおよびオートクラッチ4速の組み合わせ。オートクラッチとは、MTをベースに、ミラクオーレの場合はバキューム式(通常は電磁クラッチ)でクラッチを自動断続する2ペダルである。
車両価格は、アルトよりやや高いが49.3万円の低価格。安価な価格と優れた燃費性能、加えて1.5ボッスの実用性の高さから大ヒット。乗用車版のクオーレの販売台数を大きく上回り、アルトに負けない販売を記録しダイハツの大黒柱へと成長したのだ。

●ブームは軽ボンネットバンからハイトワゴンに

アルトとミラクオーレの大ヒットを受け、スバルや三菱自動車からも軽ボンネットバンが相次いで投入され、1980年代は軽ボンバンブームで軽市場は活況を呈した。
ところが、1989年に物品税が廃止され消費税が導入されたため、商用車の割安感が少なくなり、軽ボンネットバンブームは下降線を辿ることに。その後、アルトもミラクオーレ(その後、ミラに変更)は、軽乗用車セダンとなり長くライバル関係が続いた。

スズキ「ワゴンR」
1993年にデビューしたスズキ「ワゴンR」。ハイトワゴンブームを巻き起こした

1990年代を迎えて、軽ボンネットバンの代わりに軽市場を席巻したのは、1993年にスズキから登場した「ワゴンR」が開拓したハイトワゴンブームだった。ダイハツは、1995年にライバルとなる「ムーヴ」を投入し、現在も熾烈な販売競争を繰り広げている。
ハイトワゴンブームはその後、爆発的に拡がり、ハイトワゴンとさらに背の高いスーパーハイトワゴンの市場シェアは、現在の軽乗用車の70%程度を占める軽の主流となった。単なるブームではなく、軽自動車の標準となっているのだ。

ダイハツ「ムーヴ」
スズキ・ワゴンRに対抗し1995年に登場したダイハツ「ムーヴ」

●ダイハツ・ミラクオーレが登場した1980年は、どんな年

マツダの5代目「ファミリア」
1980年にデビューし大ヒットしたマツダの5代目「ファミリア」。”赤いファミリ旋風”で大ヒット

1980年には、ダイハツの「ミラクオーレ」の他にも、マツダの5代目「ファミリア(DE型)」も発売された。また、日本の自動車生産台数が初めて年間1000万台を超え、国別の生産台数で世界1位となった記念すべき年である。
5代目ファミリアは、マツダ初のFF車でスタイリッシュなフォルムと俊敏な走り、“赤いファミリア旋風”を巻き起こして大ヒット。経営が悪化していたマツダの救世主になった。

その他、モスクワオリンピック開催(日本や欧米67ヵ国が不参加)、イラン・イラク戦争勃発、プロ野球の王貞治と歌手の山口百恵さんが引退、元ビートルズのジョン・レノン氏の銃殺事件が発生。大塚製薬「ポカリスエット」、タカラの「チョロQ」が発売された。
また、ガソリン155円/L、ビール大瓶240円、コーヒー一杯250円、ラーメン310円、カレー400円、アンパン80円の時代だった。

ダイハツ・ミラクオーレ
ダイハツ・ミラクオーレ
ダイハツ・ミラクオーレの主要諸元
ダイハツ・ミラクオーレの主要諸元

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スズキ「アルト」のライバルとして、軽ボンネットバンという新しい市場を開拓し大ブームを巻き起こした「ミラクオーレ」。排ガス規制の強化で停滞していた1980年代の軽市場を活性化するという重要な役目を果たした、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…