話は2018年の春に遡ります。ボクはビンテージ・スーパーカー・コレクターとして知られる赤間保さんから、ご自身が所有されている多くのスーパーカーの水彩画の製作を依頼されました。その際の、氏のガレージでのミーティングでのことです。
カウンタックやBB、ストラトスやパンテーラ、930ターボなどが並ぶ美しいガレージで、他愛もない話で盛り上がっていたときです。友人が「僕の知り合いで、面白い人がいるんですよ。アルミのシートから一台、型がなくてもクルマを叩いちゃう人がいるんです。この前作ったのが自分が持っていたディーノを型紙で部分ごとに写し取ってアルミを叩いて、一台まるごとつくっちゃったんです。なんでも依頼できそうですよ」と。その場で彼に見せてもらったスマホの画像、アルミ地肌のディーノを見て、ボクたちはすっかり驚いてしまいました。
赤間さんはさっそく「何がいいかなぁ……。ミウラとかだとレプリカになっちゃうし、今はないクルマ。カウンタックの最初のプロトタイプLP500か、イオタかなぁ……」と思いを巡らせています。カウンタックLP500は、ガンディーニのオリジナルデザインの1号車で、まだ各部の冷却穴が開いていないプレーンなデザインが特徴的。開発過程でモディファイされ、最後にはクラッシュテストでなくなってしまった幻のカウンタックです。そしてイオタは、もちろんたった2年で消失してしまった幻のプロトタイプ、イオタJです。
「イオタJは、イギリスにミウラから作られたクローンがあるので参考にできるかもしれませんよ」と話をすると、赤間さんは「クルマじゃなくて、アルミの実物大オブジェとして作るというのはどうかな? ちょうど来年がイオタ生誕50周年だし、どこかで展示できれば面白いよね」と意気投合。さっそくその場で、くだんのアルミを叩く“達人”、茨城の綿引雄司さんへ電話してみることに。すぐ連絡が取れ、なんと次のミーティングで綿引さんとお会いできることになりました。
ボクたちはさっそくイオタJの特徴について話し合いました。
「ミウラの均整の取れた美しさとは違うんですよね。ツギハギでリベットだらけで口は尖って上を向いているし、お尻は角張って張り出してピンと上を向いている。なにかバランスを壊した凄みがある」とボクが絵に描いて説明している際、「どこかアヒルみたいな口で」とのボクの言葉に、赤間さんが「絵本はどうかな? 子どもたちに知ってもらうには、クルマだけじゃ伝わらないんですよ」と。
そこで、その場でスケッチしたのが、アヒルの形をしていて目がイオタのライト、くちばしは尖ってピンと立ったしっぽの、イオタJの特徴を入れた、『アヒルのジェイ』というキャラクターでした。その場で目がミウラの形をしたアヒルやカウンタックの特徴を入れた白鳥も思いつき、赤間氏がストーリーを考えることに。
さっそく仲間を募ります。イオタが大好きな自動車デザイナーやミニカー好き、さらに鎌倉在住のイタリア人デザイナー、元・イタルデザインでジウジアーロに教えを受けた友人のサンティッロ・フランチェスコさんも紹介、イタリアとのコネクションは友人のマセラティクラブジャパンの越湖信一氏が動いてくれることになりました。越湖氏を除いて他のメンバーはほとんど年が近いスーパーカー世代。
あれよあれよと言う間に『プロジェクトJ』は動き出し、Web上で話し合いながら幻のイオタのボディラインについてのミーティングが重ねられていきます。実車が現存しないので、残された数少ない画像を皆で探し出し、現在、イギリスにあるイオタJのクローンのボディも参考にしながら、ミウラとの違い、ハイライトの入り具合など、デザイナーならではの見方で、綿引さんを交えて話が盛り上がっていきました。
程なく知り合いのつてでミウラを型紙で採寸できることになり、各部のパターン(洋服の型紙のように立体を平面に写し取ります)やボディ断面を紙でコピーし、そこに綿引さんが解釈を加えてイオタJの特異なラインを探していくのです。
綿引さんは、1.5ミリ厚のアルミのシートをハサミで切り取り、型を使わずに手の感覚で木槌を使って膨らみを付けていきます。試行錯誤を繰り返しながらアルミを叩き、センターカウル、フロントカウル、リヤカウルと形作っていくさまは、まるで魔法を見ているかのような興奮を覚えました。
その過程で『アヒルのジェイ』の絵本も描き進んでいきました。ジェイがエスブイと兄弟として生まれ、生まれた直後に母親が亡くなり、二人はミウラおばさんに育てられます。元気なジェイはかけっこが好きでしたが、2歳のときに交通事故にあってしまい、生まれつき心臓の弱かったエスブイに心臓移植をすることになります。
これは、壊れたイオタJのエンジンがミウラSVに移植され、今なお生き続けているという実話を参考にしたストーリーなのです。やがて秋田犬のジージー(赤間さんをキャラクター化)やニホンザルのユウジ(同じく綿引さん)、協力するデザイナーのキジのフランチェスコも登場し、賑やかに話が進んでいくという、今回の実際のプロジェクトを交えた話になるところで、現在進行形の第一巻は完成しました。
この絵本と並行して、ジウジアーロに学んだイタリアンスタイルの、グレーの紙にペンシルとパステルなどを使ったエレベーションスケッチ(横、前後、俯瞰からの形を描いたドローイング)を、イオタの形を探りながらフランチェスコさんに描いていただけました。
ボクたちは2018年の10月に、この絵本の第1巻(のイタリア語版)とスケッチを持ってモデナに渡り、越湖氏のはからいにより、エンツォ フェラーリ ミュージアムでの『アヒルのジェイ』とアルミの『イオタJ』のプレゼンテーションを皆さんの前で開くことができました。
さらにその時にお会いした、ランボルギーニの創始者であるフェルッチオ氏の秘書を務められていたというエリザベッタさんやクリスティーナさんを通して、翌2019年のサンタアガタでの『アヒルのジェイ』とアルミの『イオタJ』のお披露目が約束されたのでした。
そんな2019年に盛大に挙行されたイオタ50周年イベントの模様は、次回にお話しすることにしましょう。