いすゞだけじゃない!マツダ・ルーチェのプロトタイプも展示されたジウジアーロ作品を一気に見る!『オートモビルカウンシル2025』

ヘリテージカーを中心にしたモーターショー&展示即売会の『オートモビルカウンシル2025』が、2025年4月11日(金)~13日(日)にかけて開催された。記念すべき10周年を迎えた今回は、イベントの目玉としてイタリアからジョルジェット・ジウジアーロ氏を招いてのトークショー が開催されたほか、それに合わせて「Giorgetto Giugiaro(ジョルジェット・ジウジアーロ)展『世界を変えたマエストロ』も開催。メーカーやプロショップの出展車両も彼の作品が目立ち、まさにジウジアーロ一色のイベントとなった。
REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

巨匠ジウジアーロ、幕張メッセに現わる!

千葉市の幕張メッセを会場に、2025年4月11日(金)~13日(日)にかけて『オートモビルカウンシル2025』開催された。今回で記念すべき10回目を迎えるこのモーターショーで、開催前から話題になっていたのが「マエストロ」ことGiorgetto Giugiaro(ジョルジェット・ジウジアーロ/主催者表記:ジョルジェット・ジュジャーロ)氏をスペシャルゲストに招いてのトークショーだった。

初日の11日(金)に開催されたトークショーのテーマは「 “A Young Talented Designer was Born” 才気あふれる若きデザイナー誕生」で、若き日のジウジアーロ氏がフィアットに入社し、ベルトーネを経てカロッツェリア・ギアに移籍するまでの話題が、株式会社カーグラフィックの代表にして『オートモビルカウンシル』実行委員会共同代表の加藤哲也氏、通訳にカーグラフィック編集長の小野光陽氏を交えて開催された。

11日(金)と12日(土)に開催されたジウジアーロ氏のトークショー。司会は『オートモビルカウンシル』実行委員会共同代表の加藤哲也氏、通訳はカーグラフック編集長の小野光陽氏が務めた。

2日目の12日(土)のテーマは「“From the Birth of the Revolutionary Carrozzeria to the present and the future”(革命的カロッツェリアの誕生から現在、そして未来へ)」で、イタルデザイン設立以降の話を中心に元日産自動車のデザイナーでSNDP代表取締役の中村史郎氏を交えてトークショーが行われた。

トークショーではジウジアーロ氏は身振り手振りを交え、ときにスケッチブックを手に取りイラストを書きながら話をした。本人の口から貴重な話を聞けるチャンスとして大勢の来場者が耳を傾けていた。

ジウジアーロ氏の来日に合わせて開催された主催者テーマ展示

幕張メッセの会場ではジウジアーロ氏の来日を記念して、主催者テーマ展示「Giorgetto Giugiaro(ジョルジェット・ジウジアーロ)展『世界を変えたマエストロ』」が併せて開催された。

1963年に登場したアルファロメオ・ジュリア・スプリントGTA。スプリントGTのボディをアルミニウム製にして軽量化したレース用モデル。
ジュリア・スプリントGTAのリヤビュー。若き日のジウジアーロ氏の出世作で、このクルマによって彼は世界的な名声を得た。

展示車両は、ジウジアーロ氏の出世作となった1963年登場のアルファロメオ・ジュリア・スプリントGT(展示車はボディをアルミニウム製にして軽量化したGTA)、1972年登場のマセラティ・メラクSS、1974年登場のVWゴルフI、1978年登場のBMW M1、1979年発表のいすゞ・アッソ・ディ・フィオーリ(ピアッツァのプロトタイプ)、1979年登場のランチア・デルタ、1980年登場のフィアット・パンダ(展示車は2気筒エンジンを積む初期型のパンダ30)、1984年登場のDMCデロリアン (DMC-12)、1988年登場のイタルデザイン・アズテック、そしてジウジアーロ氏最後の作品となった2020年発表のバンディーニ・ドーラの計10台。いずれもジウジアーロデザインを代表する名車ばかりで、これだけの数が一堂に並ぶ姿はまさに壮観の一言であった。

1979年に発表されたいすゞ・アッソ・ディ・フィオーリ。車名はイタリア語でトランプの「クラブのエース」を意味する。
アッソ・ディ・フィオーリのリヤビュー。ピアッツァのプロトタイプで1981年に市販車が発売された。
1979年に登場したランチア・デルタ。FWDレイアウトのCセグメント5ドアハッチバック。
ランチア・デルタのリヤビュー。のちにWRCグループA参戦のために駆動方式をフルタイム4WD化し、ターボを追加したHF4WD、HFインテグラーレなどのホモロゲーションモデルが登場している。

また、ジウジアーロ氏の来日にあわせたのか、国内メーカーおよびインポーターによる特別展示、全国のプロショップが持ち込んだレストア済みのヘリテージカーの中でも彼の作品が多数出展された。

ジウジアーロ氏の来日を記念してマツダが公開したS8P

1966年にデビューした初代マツダ・ルーチェのプロトタイプとなったマツダS8P。S8Pはマツダ初のFF車で、なおかつロータリーエンジンを搭載する。

その中でもとりわけ展示の機会が少ない超希少車がマツダS8Pだ。このクルマは1963年の『第10回全日本自動車ショー』に出展されたルーチェ1000の拡大発展版として製作されたスタディモデルで、のちに市販化される初代ルーチェのプロトタイプとなった。

『第10回全日本自動車ショー』に出展されたルーチェ1000。(PHOTO:MAZDA)

当初、東洋工業(現・マツダ)は、S8Pをロータリーエンジンを縦置きで搭載したFWDレイアウトの上級ファミリーカーとして企画しており、その開発コンセプトに沿ったデザインをギアに在籍していたジウジアーロ氏へと発注したのだ。東洋工業とジウジアーロ氏の橋渡しをしたのが、オートバイで世界一周旅行をし、イタリアを訪れたときにマリーザ夫人と運命的に出会い、結婚・永住した日本人の宮川秀之氏だった。

S8Pは新機軸を盛り込んだ革新的な乗用車であったが、経験のないFWDレイアウトと実用化間もないロータリーエンジンの組み合わせは時期尚早見られ、市販車にはこれらのメカニズムは採用されなかった。

FWDに経験のない東洋工業は、新機軸を多数盛り込んだ市販車を世に送り出すのは時期尚早と判断し、市販化されたルーチェセダンのメカニズムはコンベンショナルな直列 4気筒SOHCエンジンを積むFRレイアウトに変更を受けたが、ジウジアーロ氏が手掛けた美しいデザインはそのまま残された。なお、東洋工業がS8Pで挑戦しようとしたFWD+ロータリーの組み合わせは、1969年に誕生したルーチェ・ロータリークーペで実現することになる。

S8Pのリヤビュー。初期ジウジアーロ作品の特徴である空気と馴染むような柔らかな面で構成され、トランクがスラントしているところに特徴がある。

スタディモデルとして役目を終えたS8Pは、廃車されることはなかったものの長らく倉庫にしまい込まれて埃を被ることになる。完成から半世紀近くが経過した2011年に広島市交通科学館(現ヌマジ交通ミュージアム)で期間限定で展示されたものの、マツダに返却後は再び長い眠りにつき、今回の『オートモビルカウンシル2025』で14年ぶりに一般公開されたのだ。

S8Pのサイドビュー。セダンとしての実用性を重視してキャビンを大きく取ってはいるが、低く流麗なスタイリングと巧みに馴染ませている。このパッケージングと美しいスタイリングとの融合がジウジアーロ デザインの真骨頂だ。
S8Pのコクピットまわり。1960年代中頃までのトレンドに則り、センターコンソールを備えず、コラムシフトを採用している。
S8Pのインテリア。キャビンは広々としており、居住性は良好。

ジウジアーロ氏はこのクルマを懐かしそうに見つめながら「久々に再会できて大変嬉しかった」との言葉を残したのが印象に残った。

マツダS8Pと並ぶジウジアーロ氏
ジョルジェット・ジウジアーロ
1938年8月、ピエモンテ州クーネオ県ガレッシオ村の芸術一家に生まれる。14歳のときに画家を志してトリノに移り美術高校へと進むが、そのときに描いたトッポリーノの絵がダンテ・ジアコーサの目にとまり、彼の誘いを受けて高校を中退してフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に見習いとして入社。そこで2代目フィアット500のモックアップ制作をアシストする。1959年にイタリアのカロッツェリア・ベルトーネの総帥であったヌッチオ・ベルトーネにスカウトされ、フランコ・スカリオーネの後任となるチーフスタイリストとして迎え入れられた。そこで量産車のデザインとしては初の仕事となるゴードンGTを手がける。その後もプロトタイプを相次いで発表したほか、アルファロメオ・ジュリアスプリントGTなどを手掛け、ベルトーネに黄金期をもたらした。その後、カロッツェリア・ギアのチーフスタイリストに転身し、いすゞ117クーペを皮切りに数多くの傑作を世に送り出す。1968年に日本人実業家の宮川秀之、板金職人のアルド・マントヴァーニと共同で自身の会社であるイタルデザインを設立。1970年代以降は自動車に限らず、オートバイ、電車、トラクター、カメラ、家電、事務機器、食品などジャンルにこだわらず様々な工業デザインを手がける。2010~2015年にかけてイタルデザインを段階的にVWに売却したが、息子のファブリツィオとともに自動車設計分野のプロジェクト開発に特化したデザインスタジオ「GFGスタイル」を起業した。

「Giorgetto Giugiaro展『世界を変えたマエストロ』」の展示内容

1988年に登場したイタルデザイン・アズテック。イタルデザイン創業20周年を記念して製作されたコンセプトカー。
アズテックのリヤビュー。日本で限定販売する計画もあったがバブル崩壊により実現せず。18~25台(諸説あり)が生産され、欧州を中心に販売された。
2020年に登場したバンディーニ・ドーラ。ジウジアーロ氏が最後に手掛けた電動スーパーカー。
バンディーニ・ドーラのリヤビュー。ジュネーブショーでお披露目される予定だったが、コロナ禍によりショーは中止され、オンラインによる発表となった。
1972年に登場したマセラティ・メラクSS
1974年に登場したVWゴルフI
1978年に登場したBMW M1
1980年に登場したフィアット・パンダ
1984年に登場したDMCデロリアン (DMC-12)。
1975年に登場したドウカティ900SS
1986年に登場したブリヂストン・ブルゾン。十字型のフレームと特徴的なハンドルバーが個性的な自転車だ。
ビジネスチェアのオカムラ・コンテッサ、一眼レフカメラのニコンF3、バスケットボールのモルテンGR5などジウジアーロは様々な工業デザインを手掛けている。
スーツケースのプロテコ・マニフィコ、同プレシーディオもジウジアーロの作品のひとつ。

『オートモビルカウンシル2025』会場で見つけたジウジアーロ作品をまとめて紹介!

日本でジウジアーロ氏の名前を日本で有名にしたいすゞ117クーペ・ハンドメイド。1968~1981年の生産期間中、1972年までの初期型はプレス加工の再現が難しく、一部を職人による手作業で製造したことからハンドメイドと呼ばれる。
117クーペハンドメイドのリアビュー。ジウジアーロ氏自らが生産化に向けてリファインし、オリジナルのデザインにもっとも近い。以降、中期型の丸目量産型、後期型の角目型と時代を経るに従ってスタイリングはオリジナルから離れていく。
117クーペハンドメイドのエンジンルーム。エンジンはベレットGT-Rにも積まれるG161W型1.6L直列4気筒DOHCを搭載する。のちにG180型1.8L直列4気筒SOHCを搭載したモデルも生産された。1.8Lモデルにはツインキャブ、シングルキャブ、インジェクションが存在する。
ジウジアーロ氏がオリジナルデザインを手掛けた初代日産マーチ。本来はフィアット・ウーノのような合理的かつ美しいデザインであったが、市販化にあたっては忠実に再現されなかった。
1969年に登場したマセラティ・ギブリ・スパイダー(クーペボディは1966年に誕生)。
1976年に登場したロータス・エスプリS1
日産GT-R50 by Italdesignは2018年6月に日産自動車とイタルデザインが、(スカイライン)GT-Rとイタルデザインそれぞれの50周年を記念して公開されたコンセプトカーの市販バージョン。

キーワードで検索する

著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…