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巨匠ジウジアーロ、幕張メッセに現わる!
千葉市の幕張メッセを会場に、2025年4月11日(金)~13日(日)にかけて『オートモビルカウンシル2025』開催された。今回で記念すべき10回目を迎えるこのモーターショーで、開催前から話題になっていたのが「マエストロ」ことGiorgetto Giugiaro(ジョルジェット・ジウジアーロ/主催者表記:ジョルジェット・ジュジャーロ)氏をスペシャルゲストに招いてのトークショーだった。

初日の11日(金)に開催されたトークショーのテーマは「 “A Young Talented Designer was Born” 才気あふれる若きデザイナー誕生」で、若き日のジウジアーロ氏がフィアットに入社し、ベルトーネを経てカロッツェリア・ギアに移籍するまでの話題が、株式会社カーグラフィックの代表にして『オートモビルカウンシル』実行委員会共同代表の加藤哲也氏、通訳にカーグラフィック編集長の小野光陽氏を交えて開催された。

2日目の12日(土)のテーマは「“From the Birth of the Revolutionary Carrozzeria to the present and the future”(革命的カロッツェリアの誕生から現在、そして未来へ)」で、イタルデザイン設立以降の話を中心に元日産自動車のデザイナーでSNDP代表取締役の中村史郎氏を交えてトークショーが行われた。

ジウジアーロ氏の来日に合わせて開催された主催者テーマ展示
幕張メッセの会場ではジウジアーロ氏の来日を記念して、主催者テーマ展示「Giorgetto Giugiaro(ジョルジェット・ジウジアーロ)展『世界を変えたマエストロ』」が併せて開催された。


展示車両は、ジウジアーロ氏の出世作となった1963年登場のアルファロメオ・ジュリア・スプリントGT(展示車はボディをアルミニウム製にして軽量化したGTA)、1972年登場のマセラティ・メラクSS、1974年登場のVWゴルフI、1978年登場のBMW M1、1979年発表のいすゞ・アッソ・ディ・フィオーリ(ピアッツァのプロトタイプ)、1979年登場のランチア・デルタ、1980年登場のフィアット・パンダ(展示車は2気筒エンジンを積む初期型のパンダ30)、1984年登場のDMCデロリアン (DMC-12)、1988年登場のイタルデザイン・アズテック、そしてジウジアーロ氏最後の作品となった2020年発表のバンディーニ・ドーラの計10台。いずれもジウジアーロデザインを代表する名車ばかりで、これだけの数が一堂に並ぶ姿はまさに壮観の一言であった。




また、ジウジアーロ氏の来日にあわせたのか、国内メーカーおよびインポーターによる特別展示、全国のプロショップが持ち込んだレストア済みのヘリテージカーの中でも彼の作品が多数出展された。
ジウジアーロ氏の来日を記念してマツダが公開したS8P

その中でもとりわけ展示の機会が少ない超希少車がマツダS8Pだ。このクルマは1963年の『第10回全日本自動車ショー』に出展されたルーチェ1000の拡大発展版として製作されたスタディモデルで、のちに市販化される初代ルーチェのプロトタイプとなった。

当初、東洋工業(現・マツダ)は、S8Pをロータリーエンジンを縦置きで搭載したFWDレイアウトの上級ファミリーカーとして企画しており、その開発コンセプトに沿ったデザインをギアに在籍していたジウジアーロ氏へと発注したのだ。東洋工業とジウジアーロ氏の橋渡しをしたのが、オートバイで世界一周旅行をし、イタリアを訪れたときにマリーザ夫人と運命的に出会い、結婚・永住した日本人の宮川秀之氏だった。

FWDに経験のない東洋工業は、新機軸を多数盛り込んだ市販車を世に送り出すのは時期尚早と判断し、市販化されたルーチェセダンのメカニズムはコンベンショナルな直列 4気筒SOHCエンジンを積むFRレイアウトに変更を受けたが、ジウジアーロ氏が手掛けた美しいデザインはそのまま残された。なお、東洋工業がS8Pで挑戦しようとしたFWD+ロータリーの組み合わせは、1969年に誕生したルーチェ・ロータリークーペで実現することになる。

スタディモデルとして役目を終えたS8Pは、廃車されることはなかったものの長らく倉庫にしまい込まれて埃を被ることになる。完成から半世紀近くが経過した2011年に広島市交通科学館(現ヌマジ交通ミュージアム)で期間限定で展示されたものの、マツダに返却後は再び長い眠りにつき、今回の『オートモビルカウンシル2025』で14年ぶりに一般公開されたのだ。

ジウジアーロ氏はこのクルマを懐かしそうに見つめながら「久々に再会できて大変嬉しかった」との言葉を残したのが印象に残った。
ジョルジェット・ジウジアーロ
1938年8月、ピエモンテ州クーネオ県ガレッシオ村の芸術一家に生まれる。14歳のときに画家を志してトリノに移り美術高校へと進むが、そのときに描いたトッポリーノの絵がダンテ・ジアコーサの目にとまり、彼の誘いを受けて高校を中退してフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に見習いとして入社。そこで2代目フィアット500のモックアップ制作をアシストする。1959年にイタリアのカロッツェリア・ベルトーネの総帥であったヌッチオ・ベルトーネにスカウトされ、フランコ・スカリオーネの後任となるチーフスタイリストとして迎え入れられた。そこで量産車のデザインとしては初の仕事となるゴードンGTを手がける。その後もプロトタイプを相次いで発表したほか、アルファロメオ・ジュリアスプリントGTなどを手掛け、ベルトーネに黄金期をもたらした。その後、カロッツェリア・ギアのチーフスタイリストに転身し、いすゞ117クーペを皮切りに数多くの傑作を世に送り出す。1968年に日本人実業家の宮川秀之、板金職人のアルド・マントヴァーニと共同で自身の会社であるイタルデザインを設立。1970年代以降は自動車に限らず、オートバイ、電車、トラクター、カメラ、家電、事務機器、食品などジャンルにこだわらず様々な工業デザインを手がける。2010~2015年にかけてイタルデザインを段階的にVWに売却したが、息子のファブリツィオとともに自動車設計分野のプロジェクト開発に特化したデザインスタジオ「GFGスタイル」を起業した。
「Giorgetto Giugiaro展『世界を変えたマエストロ』」の展示内容













『オートモビルカウンシル2025』会場で見つけたジウジアーロ作品をまとめて紹介!






