これが元祖パイクカー「日産Be-1」だ! 35年経った今もオリジナルの姿を保つ極上車

日産Be-1
日産Be-1のフロントスタイル。
1980年代後半から90年代初頭にかけて、日産から発売された一連のパイクカー。クラシカルなスタイルと予約制などの販売方法を取り入れて大ヒットすると、その後の小型車に大きな影響を与えた。30年以上を経て振り返るとその価値は大きく、今でも魅力がまったく色褪せていないことに気が付く。今回は新車時のコンディションを維持し続けている日産Be-1を紹介しよう。

PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)

抽選に2回外れても執念で手に入れた日産Be-1【ニューイヤークラシックカーミーティング】

1985年の東京モーターショーに参考出品されると大きな反響を呼び、87年から1万台の台数限定、かつ事前予約制を取り入れて発売された日産Be-1。当時は最新技術や走行性能の向上ばかりがクローズアップされがちだった時代。既存のマーチにレトロなスタイルをまとっただけのBe-1は、そんな風潮に対するアンチテーゼとも言えた。売れるのかどうか疑問視する向きも多かったものだが、フタを開けると大好評。誰もが技術や性能だけを望んでいるのではないと改めて思い知らせてくれた1台だった。

日産Be-1
日産Be-1のフロントスタイル。

Be-1は88年で生産を終了するが、その後もパオやフィガロ、そしてラシーンやエスカルゴなどでパイクカーは続いていく。後発のラシーンは台数や販売期間を限定することのないレギュラーモデルになり、もはやパイクカーというより、レトロなスタイルで普通にラインナップされた新型車だった。

前後して日産以外の自動車メーカーもレトロなスタイルを取り入れた新型車を相次いで発売する。それだけに元祖と呼べるBe-1の存在意義は大きいが、近年はその姿を見かけることがめっきり減っていた。

日産Be-1
日産Be-1のリヤスタイル。

ところが2022年1月9日に埼玉県羽生市で開催された「ニューイヤークラシックカーミーティング」の会場に、新車そのままといった風情のBe-1が展示されているではないか!

オーナーの愛情たっぷり。屋根下で保管して雨の日は乗らない

1988年式Be-1のオーナーは群馬県にお住まいの橋本公雄さん。現在59歳なのでBe-1が新車だった当時は20代。発売されることを知るや、すぐさま日産ディーラーへ出向いて新車の抽選に応募する。ところが当選することはかなわず、再度の募集に応募するも、これまた抽選に外れてしまう。

このように当時、悔しい思いをした人は大勢いたことだろう。だがパイクカーはその後も発売されたので、いずれかのタイミングで入手した人だって多かった。ところが橋本さんは違う。どうしてもBe-1が欲しくて、その後に発売されたパイクカーでは納得いかなかった。

日産Be-1
ボンネットのエンブレム。

2回抽選に外れてしまったものの、その後も程度の良い中古車が出てくるのを気長に待ち続けた。その甲斐あってか2004年にインターネットのオークションサイトを見ていたところ、新車から車庫保管だったと思われる現車を見つける。珍しくトランスミッションが5速MTだったこともあり「これだ!」と思ったそうだ。

ちょうど当時はBe-1の人気が落ち着いていた頃だったので、オークションのスタート価格は手頃なもの。多少競り合うことになったが、橋本さんにとっては納得のいく金額で落札することができた。

日産Be-1
純正のホイール。
日産Be-1
破れたことがないキャンバストップ。
日産Be-1
専用デザインのアンテナ。

譲り受けてからは先代オーナーから続く屋根下での保管に留意している。というのも貴重な新車時塗装を痛めたくないし、念の為にインターネットを駆使して純正部品をスペアとして購入しているが、紫外線で専用内装の樹脂類を劣化させないことが一番だからだ。当然雨の日は乗らないなどBe-1に対する愛情をひしひしと感じる。

実際、塗装の状態やインテリアを拝見するとお話が紛れもない事実だとわかる。走行距離は13万kmを超えているのだが、そんなに走っているとは到底思えないコンディションなのだ。

日産Be-1
オリジナルを保つインテリア。
日産Be-1
走行距離は13万km。
日産Be-1
エアコンも実働状態を保つ。

走っていればどうしても運転席の表皮が破れたりクッションが劣化する。ステアリングやドアヒンジなど手で直接触る部分も同様なのだが、このBe-1には劣化という言葉がどこにも見当たらない。ここまでの状態を維持するには大変な配慮と労力を要することだろう。

日産Be-1
ヤレを感じさせないシート。
日産Be-1
専用デザインのドアライナー。

エンジンや足周りなどはベースになったマーチと共用しているため、今でも部品の入手にそれほどの苦労はないそうだ。これまでにキャブレターのオーバーホール、エアコンのガスを補充することなど手はかけたけれど、トラブルらしいトラブルはない。それというのも橋本さんの愛情ゆえで年数や走行距離をエンジンルームからも感じさせないほど、手入れが行き届いている。

こんなBe-1が存在するなら改めて欲しくなる人もいることだろう。残念ながら橋本さんに手放すつもりは一切ないそうだ。

日産Be-1
消耗部品は定期的に交換する。
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著者プロフィール

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増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…