「いつもそこにはシビックがあった」初代ホンダ・シビックRSの感動と最新11代目の出来の良さに思い出が駆け巡る

ホンダ・シビックが今年でデビュー50周年を迎え、その記念に、もてぎのホンダコレクションホールに動態展示されている、歴代モデルの一気乗り取材会が行なわれた。初代から最新モデルまで歴代シビックを一気乗りできるという、空前絶後の体験に、モータージャーナリスト歴の長い瀨在仁志も感涙に咽んでいた。
TEXT:瀨在仁志(SEZAI Hitoshi) PHOTO:Honda Movie:Motor-Fan.jp

初代シビックからいままで、いつもシビックがあった

ずらりと並んだ歴代シビック。もてぎコレクションホールの協力なしにはできなかったであろう貴重な機会だった。感謝。

半世紀を迎えたシビック同様に、その話を受けた私、瀬在仁志もクルマを運転し始めて、すでに40年を越えている。高校生の頃はバイクを乗り回し、4輪の免許を取ったあかつきには卒業式にクルマを乗りつけて、青春映画のように卒業証書を片手にそのまま湘南へドライブ! と夢見ていたものである。

そんな高校時代に街中で初めて見たホンダのニューモデルが、今回幸運にも乗ることができた初代シビックだった。当時すでにデビューから2、3年近く経っていたはずだが、そのプリッとしたリヤ周りとカドを丸めた2ボックススタイルのボディは、角張ったセダンが主流だったなかでひときわ目を惹いた。

当時2ボックススタイルのクルマと言えば海外の映画に出てくるミニクーパーくらいしか思い浮かばなかったが、前後のHマークを見る限りホンダのクルマに間違いはない。かといってよく似たホンダ・ライフははるかにコンパクト。サイズ的には明らかにカローラやサニーなどと同クラスなのに、トランクのない、ホンダライフの親玉みたいなスタイルはじつに斬新だった。

しかも、その中身を外から覗いてみると、明るく広々とした室内、左右に伸びるインパネ上には、ちょこんとメーターパネルが載せられていた。たとえて言うなら、バイクのメーターを必要最小限のスペースに配置したような感じ。

いま思えば、広い室内と機能優先のデザインから生まれたこの初代シビックこそ、ホンダがこだわる『マン・マキシマム/メカ・ミニマム』哲学を端的に表していて、まさに世界のホンダへの飛躍となった1台だったのだ。

初代シビックRS(サイコーの笑顔で試乗中の瀨在氏)

そんな貴重な、クルマに今回40年ぶりに触れることになった。
RSモデルはいまで言うタイプRで、フロントウインドに沿って湾曲したインパネ中央には、さらに追加のメーターをレイアウト。開放感と視認性に優れたドライビングポジションは、初めてドライブしたとき同様に新鮮だ。

当時、このモデルのドライブが叶ったのは、街中で見かけてからさらに2年後。
クルマほしさに学校帰りと休日返上でバイトに明け暮れ、ようやく頭金が用意できた19歳の秋。友人が乗ってきたクルマが奇しくもこの初代シビック。RSではなかったけど軽いボディとビュンビュン回るエンジンで、バイクに乗るような気楽さで夜通しドライブの強行に出た。

志賀高原に着くころは夜も明け始めて、落ち葉が敷き詰めるワインディングはちょっぴり湿っていて、ほかのクルマの通行も皆無。
「ここは俺に任せろ!」と、何の根拠もないままハンドルを握ったが、バイト先でドライブするダットサントラックとはワケが違った。コーナーで踏めばノーズは外へ出ていくし、戻せば内側に入り込む。あとで知ったがFF特有の『タックイン』の洗礼をこれでもか、とばかりに受けた。

その経験が後の、初レースでの大きな経験となって、いまに続く。

2代目シビック・カントリー(1980年)

3代目以降のシビックのおもひで

やはり思い出深いのは3代目「ワンダーシビック」だ。
3代目シビックと満面の笑みを浮かべる瀨在仁志氏

そう、初代シビックで始めてワインディングでFFの走りを教えられ、貯まったバイトのお金はすぐに底をつき、ようやく念願のレース参加の夢が叶ったのが、そこから10年後。
幸運にも雪道での走りを見ていたホンダの人から声をかけられ、乗ることができたのが、3代目のこれまたシビック。

10年も経つとクルマの進化は大きく、低重心で接地感がアップした走りによって、タックインは穏やかになり、パワーは軽い吹け上がりはそのままに、低速域から力強さが凝縮されていて、乗りやすさは格段に進歩した。

引き続き、4代目シビックでは耐久レースに参加し、4輪ダブルウイッシュボーンの安定感に驚かされ、高速コーナーでも安心して踏んでいけた。その後型式がEF3からEF9へとアップデートされると、いよいよVTECエンジンを搭載する。


従来のZC型ほどトルク感は感じられなかったものの、2000rpmくらいは上まで回る高回転高出力との出会いに圧倒された。5800rpm位でハイカム側に切り替わると、エンジンサウンドが高音質へとガラリと変わり、フルバランスのレース仕様ではじつに9500rpm近くまでパワーが持続し、しかもそこに達するまでの時間が早い。バイクやF1の技術が生かされ、エンジンのホンダ、いう印象を決定づけさせられる体験だった。

4代目シビック(1987年)愛称は「グランド・シビック」

そして5代目スポーツシビック

5代目シビック「スポーツシビック」

シビックはさらに進化し、5代目のEG6では当初からVTEC搭載を踏まえてボディ剛性感をアップしてデビュー。
高回転高出力はそのままに、旋回トラクションと回頭性がさらに向上したことでコーナリング通過速度は、どのクルマにも負けないほど完成度を高めた。

幸いこのクルマによっていまのスーパー耐久、当時のN1耐久でクラス表彰台の真ん中に立てたのも、この優れたパッケージングによるところが大きかった。

今回試乗した5代目シビックは、まさにその記念すべき思い出の1台。

タコメーターを見てもノーマルにもかかわらず8000rpm回転弱まで許容し、これをベースにフルバランスと吸排気系を交換することによって、9000rpmオーバーまで使えたことが信じてもらえるはず。

6代目シビック「ミラクルシビック」

6代目以降は大きく、重くなっていき元気なエンジンを持ってしても軽快さは薄れつつも、ボディが格段に強固となったこととホイールベースの延長によって、超高速域での走りを得意とした。北海道の鷹栖テストコースで鍛え上がられた結果に違いない。

その後は残念ながら、世界市場に向けて、各地域のニーズに対応するクルマ作りへとシフトされ、7代目以降は記憶に薄い。

7代目シビック (2000年)
8代目シビック(2005年)

9代目ではタイプRが日本デビューし、走りのシビックが復活。10代目シビックタイプRでは縁があって再びスーパー耐久に参加できたが、今回改めて歴代モデルと自分を重ね合わせてみると、いつもそこにはシビックがあった。

9代目シビック

シビックは自分のクルマ人生に欠かすことができない1台で、シビックの歴史がそのまま自分の活動の支えであったことがよくわかった。そして、いよいよ11代目にもタイプRが一層の磨きをかけてラインアップに加わる。

近年のシビックは世界戦略車としての立場から紆余曲折も垣間見えたが、やはりシビックには走りが良く似合う。
11代目の完成度の高さは、正に走りのシビック復権を強く感じるし、出来も良い。それを元にした、タイプRはさらに、シビックやホンダを牽引するモデルになることに違いない。

9代目シビック タイプR(2015年)

大きくはなってしまったものの、その走りの良さと、伸びのあるインパネ周り、優れたパッケージングをみると、11代目にして原点回帰。歴代シビックの思いが全て凝縮されているように思った。自分を始め、シビックやホンダファンが再び、このステアリングを握って走る楽しさと、ホンダの魅力を再認識できたら、きっと閉塞感のあるクルマ社会も変わるはず。

ホンダらしさの象徴として更なるシビックの活躍に期待したい。

キーワードで検索する

著者プロフィール

瀨在 仁志 近影

瀨在 仁志

子どものころからモータースポーツをこよなく愛し、学生時代にはカート、その後国内外のラリーやレースに…