復活したレーシングZ432-R! マニアの執念で完成させた’70年代当時の姿に感服【100人でS20を語ろう!】

ツーリングカーレースが大いに盛り上がった1960〜70年代のレースシーン。ハコスカGT-Rの50勝以上という記録が圧倒的だが、それ以上に長く活躍したのがS30フェアレディZ。その当時はワークスカーではなくプライベーターによる参戦で、当時の車両はほぼ残っていない。ところがここに当時の姿を取り戻したフェアレディZ432-Rがある。どのような経緯なのか、オーナーからお話を聞いた。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
甦ったフェアレディZ432-Rレーシング。

初代S30フェアレディZは発売直後からレースに参戦している。当初はワークスカーによる参戦もあり、使われた車両はS30のトップグレードであるZ432。通常のZと異なりプリンス開発による2リッター直列6気筒DOHCエンジンを採用するモデルで、レース車両は鉄板を薄いものとしたZ432-Rが用いられた。このZ432-Rは後に在庫車へナンバーを取り付け少数が販売されたので残存している個体がある。

ところがワークスカーは座間にある日産ヘリテージコレクションのラリーカーのほか、筆者自身確認したイギリスに残る同ラリーカーだけ。サーキットレースに使われた個体はほぼ残っていないが、プライベーターによる参戦車両が見つかっている。今回紹介するのがそれで、三栄書房時代の2011年に刊行した「旧車人VOL.2」で再生前の姿を掲載している。

当時の貴重なレースオプションパーツだけで再生された。

当時の取材では石村靖雄選手が参戦していた個体と特定され、当初はZ432-Rとして活躍していた。ただ、知られているようにフェアレディZのレース車は240Z発売後は240Zへ切り替わる。ところがそれらの車両は軽量化されたボディを持つZ432-RへL24型エンジンを載せ換えたもの。石村選手のZ432-Rも72年6月から240Zとしてエントリー。同年10月にはGノーズと呼ばれるエアロダイナノーズを備えて240ZGへエントリー名を切り替えている。さらに73年になるとL26型へ排気量を上げたモデルとして260ZGで参戦を続けた。

参戦当初載せられていたS20型エンジン。

だが石村選手は76年からGCレースに専念するため、Z432-Rはお蔵入りしてしまう。80年前後に放出されて、別にドライバーによりクラシックカーレースへ参戦。この個体が巡り巡って長野県にお住まいの現オーナーである寺島繁さんの手元にきたのだ。

取材した2011年時点でエンジンレス・ZGスタイルとされ、内装にはシビック用のダッシュボードが移植してあった。ところが寺島さんは執念の人で、Z432-Rレーシング入手前からこの個体の存在を知り「いつかは」と決意。車両が手元にない頃から当時のレーシングカーに装着されていたパーツを発掘しては入手してきた。

エアクリーナーには富士のレース村と呼ばれた中でも名門であるスリーテックのロゴ。
シュラウドなどは新たに作り直されている。

2011年時点で揃っていなかった当初のエンジンも苦労の末に発掘している。当時の性能を取り戻すため、石村選手のメカニック担当だった人物まで特定できたからこそ可能だった。完全オーバーホールとともにレースオプションパーツをふんだんに用いてZ432-Rレーシングの姿を取り戻したのだ。まさに執念としか例えようがないエピソードなのだ。

オーバーフェンダーは当時のレースオプションパーツだ。

ちなみにZ432-R用だけでなく、日産のレースオプションパーツには複数のオーバーフェンダーが存在する。以前の取材時すでに寺島さんは240ZG用を含め5種類ものオーバーフェンダーを入手していた。そのため現在装着されているものは参戦当初と同じ形状とされている。これはリヤスポイラーについてもいえることで、これも複数あるコレクションの中から適切なものを選んで装着している。8スポークのホイールは数多く流通している社外品ではもちろんなく、当時の日産レースオプションのもの。どこまでもこだわりが貫かれている。

参戦時にドライバーが見ていたのと同じインテリアを再現。
イグニッションスイッチがシフトレバー後ろに位置するのが特徴。
シートもZ432-R用フルバケットで4点式ハーネスにつくダットさんロゴも当時のまま。

入手時にシビック用となっていたダッシュボードはZ432-Rのものへ入れ替えたのは当然としても、困るのは計器類やステアリングホイール、シフトレバーなどだろう。ところが現車を見れば、ほぼ完璧に近い仕様へ再現されている。参戦当時のステアリングやシフトノブがどうだったのかまでは不明ながら、現在はZ432初期型に採用されたスポークに穴が開いていないステアリングや市販Z432のシフトノブが装着されている。

レースオプションの革巻きシフトノブも所有されているが、このクルマで車検を取得し公道で乗っているというから、あえて市販車のものにしているのだろう。ちなみにZ432-Rのレース車両はスカイラインGT-Rに比べてエンジン・ミッションの搭載方法の違いから振動が激しかった。元ワークスドライバーである北野 元さんに聞いたお話で、レースが終わる頃には左手の平の皮が剥けてしまったそうだ。

レース車両ではボディ各所に軽量化の様が見てとれる。
ボンネットにはレース参戦時に貼られるステッカーが残る。

これだけ貴重な当時のレーシングカーなのに、前述したよう寺島さんはナンバーを取得して日頃からドライブを楽しまれている。クルマとして作られた以上、走らせなければ意味はない。こんな楽しみ方ができるとは、なんと幸せなことだろう。改めて寺島さんの執念の努力に感服した次第だ。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…