一方、同時にリリースされた兄弟車のオールズモビル用はどの様なスペックだったのだろうか? オールズモビル用のオールアルミ215は基本的にはビュイックの設計を踏襲していたが、ディテールに多少の違いがあった。エンジンの外形サイズはほぼ同じだったが乾燥重量は320lbs(約150kg)とわずかに重かった。これはシリンダーヘッドのデザインが異なっていたことが理由であり、オールズモビル仕様のヘッドは燃焼室がビュイックより大きなウェッジ燃焼室となっており、排気バルブ径もわずかに大きかった。さらにシリンダーヘッドをシリンダーブロックに固定するボルトがビュイックではそれぞれのシリンダーに対して5本だったのに対してオールズモビル仕様は6本となっていた。すなわちより強力なチューンを想定していたということである。なおクランクシャフトとコンロッドのデザインは両者共通だったものの、ピストンの形状やロッカーアームやプッシュロッド等バルブ周りのデザインも異なっていた。総じてオールズモビルの方が高出力対応だったと言って良い。
ただし市販状態でのスペックは特に高性能だったというわけでは無く、初期型のベーシックグレード用2バレルキャブレター仕様の場合圧縮比8.75:1で最高出力は155hp/4800rpm、最大トルクは220lbs-ft/2400rpm。4バレルキャブレター仕様で圧縮比10.25:1、最高出力185hp/4800rpm、最大トルク230llbs-ft/3200rpm。圧縮比を10.75:1に高めた仕様では195hp/4800rpm、235lbs-ft/3200rpmを発生していた。すなわちシリンダーヘッドのディテールデザイン的には高出力対応だったのにも拘らずビュイックよりむしろわずかに低出力だった。しかしこれらのスペックには理由があった。オールズモビルにはビュイックには無かった最強仕様が控えていたのである。
オールズモビル初のコンパクトカーだったF-85にとって2年目となった1962年型において、兄弟車だったビュイックには存在しなかった最強モデルがオールズモビルのみに追加された。それが最上級モデルだったカトラスのスペシャルハイパフォーマンスパッケージだった「ジェットファイア」である。このモデルに搭載されていた215ユニットは量産市販車としては世界で2例目となるターボチャージャーが装備されていた。その名は「ターボロケットV8」である。ちなみに1例目はジェットファイアの数週間前に発売が開始されていた同じGM製のシボレー・コルベア・スパイダーだった。一方、ジェットファイアのターボエンジンにはコルベアのターボエンジンには無かったあるデバイスが装着されていた。それは水/メタノールによるチャージクールシステムである。
オールズモビル215のターボ仕様は以下の通りだった。まずターボチャージャーユニットはギャレットエアリサーチが専用品として開発したウェイストゲートバルブ付きのT5が装着された。キャブレターはシングルバレルが1基。エンジンの外観を見るとターボチャージャーの装着位置はエンジンの上部のVバンクの間。一見しただけでは駆動タービンに接続されていたのは正面から見て向かって左バンクからのマニホールドのみであり、あたかも右バンク側の排気マニホールドが接続されていない様にも見えたがもちろんそんなことは無く、右バンクからの排気ガスはマニホールドを経てエンジン後部から左バンク側へと導かれそこからターボチャージャー本体へと接続されていた。駆動タービンの右側にはコンプレッサータービンがあり、さらにその先には長めのマニホールドを介してシンプルなシングルバレルキャブレターとエアクリーナーが接続されていた。すなわち吸気の流れはエアクリーナー→キャブレター→ターボチャージャー→エンジンという流れだった。まず混合気を作ってそれを加圧するという流れは後年のターボエンジンではほとんど使われることが無かった仕様である。そしてこのシステムのキャブレター部の下流に装着されていたのが水/メタノールによるチャージクール(吸気冷却)システムだった。
一般にターボエンジンその他の過給エンジンにおける吸気冷却はインタークーラーが担っているということは多くの人が認識している事実である。しかし排気ガス駆動や機械駆動のスーパーチャージャーが航空機エンジンに対する高高度での出力低下を防ぐための補機だった時代には、インタークーラー以外に液体もしくは気体の冷却材をコンプレッサーによる断熱圧縮の結果高温下した吸気に対して直接噴射するデバイスが考案され実際に使用されていた。この分野での先駆者だったのは第二次世界大戦中のドイツ空軍であり、1942年半ば以降に使われ始めたのが亜酸化窒素をスーパーチャージャーで過給された吸気内に噴射するGM1と呼ばれた冷却/燃焼強化デバイスだった。亜酸化窒素は加圧液化された状態でボンベに充填され必要に応じて使用されたわけだが、気化した時点でその温度はマイナス90℃前後と極低温だったことに加えて総分子量の1/3が酸素だったことから気化分解の過程で強力な冷却と燃焼そのものを強化する効果があった。問題はボンベが大きく重くかつ搭載容量に限界があったことであり、その後により扱い易いものとして考案されたのが冷却液を常温でタンクに積み込むことができるMW50というシステムだった。これはメチルアルコールと水を1:1の割合で混合し必要に応じて高温化した吸気マニホールド内に噴射するシステムであり、GM1の様な酸素による燃焼強化効果は無かったもののメタノールと水が持つ気化熱による冷却効果と気化した水蒸気による圧力アップという理論はシンプルでありシステムも遙かに軽便だった。そしてドイツ空軍ではこれらを適宜使い分けていた。
これらの中で後者の水とメタノールの混合物噴射は戦線で対峙していた連合国側の航空機エンジニアも周知の技術であったことから、第二次世界大戦中盤以降は枢軸側と連合側の双方で使われるメジャーな航空機エンジン用技術となった。ちなみにわが日本でも陸海軍航空隊の機体で利用されている。アメリカではこれら水/メタノール噴射装置のことをADI(アンチ・デトネーション・インジェクションの略)と呼んでおり、1944年頃にはほとんどの過給機付航空機エンジンに採用されるメジャーな技術となっていた。そして第二次世界大戦終了後にこれらの過給機用補機システムに注目したのが、エンジンの高度なチューンを模索していたドラッグレースや最高速トライアル用ホットロッドのチューナー達でありADIはそのまま、そしてGM1はNOS(ナイトラスオキサイドシステム)として後にアフターマーケットチューニングシステムとして商品化もされた。これらは全て1950年代にアメリカでのホットロッドチューナーの間で行われた技術革新だった。こうした歴史を踏まえた上での市販ターボチャージャー付エンジンで採用された水/メタノールによるチャージクーラーだったというわけである。