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今日は何の日?■ホンダ初の小型車は空冷エンジンのホンダ1300

1969(昭和44)年4月15日、ホンダ初の小型車「ホンダ1300」が発表(発売は、5月末)された。ユニークなDDAC(二重空冷)を採用したホンダ1300は、高性能を発揮した一方で、複雑なシステムのためにフロントヘビーなって上手くハンドリング操作できない、ヒーターの効きが悪いといった課題が浮き彫りになった。
ホンダ初の小型乗用車1300シリーズ
1967年3月にデビューした空冷4ストロークエンジン搭載の「ホンダN360」の大ヒットによって、軽自動車で確固たる地位を築いたホンダが次に目指したのが、小型乗用車市場への参入だった。

ホンダは、1968年の東京モーターショーで初の小型車「ホンダ1300」シリーズのセダンとクーペを公表。まず翌1969年4月のこの日、セダンの標準仕様「ホンダ77」、および高性能仕様「ホンダ99」が発表され、翌月末から販売が始まった。
ホンダ77は、最高出力100ps/最大トルク10.95kgmを発揮する1.3L 直4 SOHCシングルキャブ仕様、ホンダ99は115ps/12.05kgmの同エンジンの4キャブ仕様で、最高速度は77で175km/h、99が185km/hと1.3L車としては圧倒的な動力性能を誇った。

注目されたのは、搭載されたのがF1用エンジンの技術を活用したドライサンプ方式のオイル潤滑を使った空冷式エンジンであること。当時、軽自動車にはまだ空冷エンジンが採用されていたが、一般的な小型車が冷却性能を確保するために水冷式に変更されていたなか、あえて空冷システムを選択したのは、創業者である本田宗一郎氏の強い思い入れがあったのだ。

軽量コンパクトで低コストがメリットの空冷式だが、冷却性能やエンジン騒音面で水冷式より不利であることは避けられない。これらの課題を克服するためにホンダの開発陣が考案したのが、ユニークなDDAC(デュオ・ダイナ・エアクーリングシステム:二重空冷)だった。
車両価格は、ホンダ77が56.6万~64.3万円(ホンダ77)/65.1万~71.8万円(ホンダ99)。当時の大卒初任給は3.4万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約383万~435万円/440万~486万円に相当する。
本田宗一郎氏がこだわった空冷エンジン

バイクで創業した本田宗一郎氏には、バイクが空冷だったこともあり、空冷エンジンに強いこだわりがあったようだ。開発陣が水冷エンジンの良さを推奨しても本田氏は聞き入れず、社内で起こった空冷派の本田氏 vs. 水冷派の開発陣による確執は、本田氏の有名なエピソードのひとつになっている。

そこで苦肉の策として開発されたのがDDACだった。これは、通常の走行風に加えて、エンジンのシリンダーヘッドとシリンダーブロックの中に、水冷エンジンのウォータージャケットのような通路を設け、その通路にファンによって空気を強制的に送って冷却する方式だ。ホンダのF1マシンと同じようなシステムで、水冷エンジン並みの冷却効率をアピールした。
しかし、DDACを採用したホンダ1300は、空冷システムが複雑になりすぎてエンジンが重くなり、特にフロントヘビーとなることで極端なアンダーステアが発生し上手くハンドリングできない、ヒーターの効きが悪い、室内空間が狭いといった、大衆車としては致命的とも言える課題を抱えることになり、販売は期待したように伸びなかった。
水冷エンジンに方向転換
セダンに続いて1970年2月には、「1300クーペ」もデビュー。セダン同様、シングルキャブの「クーペ7」と4キャブの高性能仕様「クーペ9」で構成された。


ホンダが得意とするスポーティなモデルの1300クーペだったが、セダン同様人気を獲得することはできず、このホンダ1300シリーズの不人気と排ガス規制対応の困難さから、ついに本田氏は空冷エンジンの生産を断念することを決断した。


早速1972年10月に、水冷エンジンを搭載した「ホンダ145」を発売。最高出力80s/最大トルク12.0kgmを発揮するキャブ仕様、90ps/12.5kgmの4キャブ仕様の1.4L 直4 SOHCエンジンを搭載し、課題であった扱いづらいハンドリング性能などが解消された。
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1970年代は、オイルショックと排ガス規制の強化がクルマの開発の大きな壁となって立ちはだかり、自動車業界にとっては大きな変革期となった。結果として、軽量コンパクトが強みだった空冷エンジンと2ストロークエンジンが完全に市場から淘汰された。ホンダの水冷エンジンへの方向転換は、やや遅れたが必然だったのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。


