一連の開発サイクルをひとつの拠点で完結するトヨタテクニカルセンター下山
自動車メーカーの最深部であり、通常はメディアであっても足を踏み入れることが許されない「研究開発の現場」。その壁を破り、異例のメディア向け取材ツアーを開催したのが「Toyota Technical Center Shimoyama(トヨタテクニカルセンター下山。以下、TTC-S)」だ。

TTC-Sは、2024年3月に全面運用を開始した、レクサスとGRの研究開発拠点である。愛知県豊田市と岡崎市にまたがる約650万平方mの敷地では、約3000名のメンバーがワンチームとなって開発に従事している。
「ワンチーム」という言葉は仕事の現場でもよく使われるが、TTC-Sの場合、それは単なるスローガンにとどまらない。現場を訪れて印象的だったのは、デザイン・設計・評価・整備といった各部門の距離の近さだ。一連の開発サイクルがひとつの拠点内で完結できる体制が整えられている。そのキモとなっているのが、西エリアに設けられた車両開発棟である。

車両開発棟はひとつの建物に整備フロア(1階)、企画・設計部門フロア(2階)、デザイン部門フロア(3階)が収まっている。東エリアにある高速評価路や特性評価路、中央エリアにあるニュルブルクリンクを参考に設計された全長約5.3kmの第3周回路からもほど近い。したがって、テストドライバーがコースを走り、不具合があったらガレージで直し、そのデータを開発部隊にフィードバックして改良を行ない、その成果をそのクルマに反映させ、再びコースへ送り出すといったサイクルを短時間で繰り返すことが可能なのだ。

最大40台が収容可能という1階の整備フロアに足を踏み入れてみると、テスト走行を終えたばかりの新型ミッドシップ4WD「GRヤリスMコンセプト」をドライバーや開発スタッフが取り囲み、インプレッションの確認やデータの検証が行なわれていた。まるでサーキットのピットを思わせる光景だ。こうした開発体制は、モータースポーツで培った実戦経験がものづくりの現場に根付いている証でもある。
また、同フロアの一角では既存のクルマの車体を延長して、後輪を4輪にした開発車両がリフトアップされていた。ジャパンモビリティショー2025出展のレクサスLSコンセプトは6輪で話題を呼んだが、それを「コンセプトカーとしての提案」にとどめるのではなく、商品化へ向けてまずは6輪化したクルマを走らせてみよう、という目的でつくられたものだとか。こうした実験的な試みの場としても、TTC-Sは活用されている。


開発メンバーに開かれたデザイン部門フロア
この日の取材ツアーではさらに、3階のデザイン部門フロアも公開された。未来の商品を形にするデザイン部門への立ち入りが許されることは極めて珍しい。それはメディアだけではなく従業員も同様で、以前は従業員であっても申請が必要な最高機密領域だったが、TTC-Sでは開発に関わるメンバーなら誰もが入れて、デザイナーと会話し、議論できる場として設計されているという。

取材ツアーの冒頭、レクサスデザイン部の須賀厚一部長は次のように語った。
「レクサスは人を中心に考えるブランドとして、GRはドライバーファーストの『もっといいクルマづくり』をしています。こうした人を大切にした考え方は、このデザイン開発の現場でも同じで、今でもクルマづくりの中心にいるのは人です」
AIが多大な役割を果たす現代にあっても、クルマづくりの核心に位置するのは常に「人」にほかならない。現場では、人間の感性やクリエイティビティ、そして研ぎ澄まされた職人の技を何よりも大切にしながら、デザイナー、フィジカルモデラー、デジタルモデラーといった多様な専門人材の力を結集したモノづくりが実践されているという。
デザイン部門フロアは中央のデジタル系開発エリアを挟んで、左右にモデル製作のスペースが配される。デザイン開発中のモデルとの距離を十分に確保できる広さが印象的だ。デザインや造形を評価する際には、モデルのすぐ近くで細部を見るだけでなく、一定の距離まで引いて全体の佇まい、面の流れ、プロポーションを把握する必要がある。一般的には、これほどのスペースがあれば、より多くの人員や作業台を詰め込み、空間を効率的に使おうとするのが当然だ。しかし、経営側が「デザインの評価には距離が重要である」ということを十二分に理解できているからこそ、1台あたりが占めるエリアに十分な余裕が与えられ、そのための設備を整えることができたのだろう。
「現地現物」の精神を象徴するクレイモデル製作
ある定盤の上にはフルスケールのクレイモデルが置かれ、モデラーが作業を行なっていた。これはトヨタがDNAとして受け継ぐ「現地現物」の精神の象徴でもある。
「現在は進化したコンピューターの仮想空間で正確に形状を確認することも可能ですが、クルマの大きさや立体感から感じる迫力、光の当たり方や面の美しさなど、実物でしか分からないことがいっぱいあります。そうしたことを、この本物の形のクレイモデルを使って現地現物のデザイン開発を進めています」と須賀部長は語った。
コンピューター上でも正確な形状確認は可能だが、実物大のクレイモデルの存在は今でも重要だ。立体としての迫力、光の当たり方、面の美しさ、全体の佇まいを確認するのにはリアルに勝るものはない。クレイモデルは、デザイナーの2Dスケッチを3Dの実体へ翻訳する場である。フィジカルモデラーは「こういう形にしたい」「こういう面にしたい」という意図形を解釈し、職人のスキルと感性で実体化する。





開発の効率を引き上げるために最新のデジタルツールもフル活用されている。そのひとつが、デジタルとリアルを融合させるシースルー型のMR(Mixed Reality:複合現実)デバイスだ。目の前には物理的な対象がない状態でも、ヘッドセットを通した視界では車両のリアルなデジタルデータが現実空間に重ねて原寸表示される。
この技術のキモは、塗装済みモデルを作る前に、色・形状・存在感を検討できる点にある。塗装されたクレイモデルを制作するには時間がかかるため、デジタル上で色や仕様の組み合わせを変えながら、最適な見え方を探索する。これにより試作回数を削減、開発期間の短縮を実現するというわけだ。


デザイナーとモデラーの作業効率を高める空間設計
モデルルームの天井照明は、面発光とライン発光の両方に対応している。面発光は車体全体を均質に照らし、色調や全体の見え方を確認するのに有効だ。一方、ライン発光は車体表面に映り込む線の乱れを見ることで、ボディの抑揚や曲面の歪み、面の流れを把握しやすくする。TTC-Sのモデルルームでは目的に応じて両方の評価が可能となっている。また、ラインの光がサイドまで回り込む構成になっているのも特徴で、車体側面に光を映り込ませることで、ボディの立体感や曲面の変化を読み取ることもできる。



モデルルームのすぐ脇には、CMF(カラー/マテリアル/フィニッシュ)チームの専用ルームが設けられているほか、デザイナーやCADオペレーターがモデルのそばで作業できるスペースも用意されている。デザイナーが自席で作業しながら必要に応じてすぐモデルを見に行ったり、モデルの脇でスケッチを描いたり、具体的な指示を出したりできる環境は、デザインの精度や作業効率を高めるのに効果的だ。また、フロア全体を2階部分から見渡すこともできる。少し高いところから見下ろすことで、通常の目線では見えにくい面のつながり、ボリュームの構成、全体の存在感が把握しやすくなる。


屋外検討場も充分なスペースだ。外光(直接光)で、それも距離をとってモデルをじっくりと見ることができる環境は、デザイン評価においてきわめて重要な要素だ。遠く離れてもブランドが認識できるか、競合車と違って見えるか、クルマとしての佇まいがどう見えるか。それらをしっかりと確認できる条件が、TTC-Sでは整えられている。


地域との共生も掲げるTTC-S。豊田市と連携した防災訓練も実施
なお、今回のTTC-Sへの移動に関しては、名古屋空港からエアロトヨタ社のヘリコプターに乗ることとなった。これは単なる演出ではなく、トヨタが現在進める「空のモビリティ」実証の一環であり、同日は豊田市と連携した防災訓練も実施された。TTC-Sが位置するのは、南海トラフ地震や激甚化する風水害によって集落が孤立するリスクが高い地域でもある。今回の訓練はその地域課題に応えるもので、同市と連携し、災害時の物資運搬を想定したヘリコプター活用の検証として行われた。


「人中心」の現場から未来のレクサス&GRが生まれる
今回、取材が許されたのはTTC-Sのごく一部に過ぎないが、それでもその規模と設備には圧倒させられた。しかし、TTC-Sが重視しているのは施設そのものではない。プレゼンテーションでは「『人』がつくる、デザインの現場」というフレーズが画面に映し出されたが、やはり大切なのは「人」なのだ。いかにデザイナーの感性やクリエイティビティ、職人の技を引き出すことができるか。そうしたものづくりにかける精神が、TTC-Sの根底には息づいているのである。











