脱炭素のためのマルチパスウェイ、そこで大きな役割を期待される水素
水素が注目される理由が、この半年で一つ増えた。
2026年2月末、イランがホルムズ海峡を封鎖した。原油輸入の9割超を中東に依存する日本にとって、これは他人事では済まない。日本政府は3月に国家備蓄原油の放出を決定し、4月末にはブレント原油が一時1バレル126ドル台まで高騰した。8月末現在もホルムズ海峡の通航は大きく制限されている。
これまで水素は、主に脱炭素やGX(グリーントランスフォーメーション)の文脈で語られてきた。しかし今、水素はエネルギー安全保障の選択肢としての役割にも大きな期待が集まっているのだ。
また、日本自動車工業会(自工会)が水素の普及に取り組むのには、日本が優位性を持つ技術を海外展開することによる産業競争力の確保、という狙いもある。
優位性を持つ技術とされているのは、つくる領域の水電解、はこぶ・ためる領域の液化水素関連技術、つかう領域のFCセルと水素モビリティの三つ。いずれも国内メーカーが高い技術力を培ってきた分野だ。

2026年8月28日、福島県で「水素大動脈構想実現に向けた地域準備会」が開かれた。水素大動脈構想とは、日本の主要な物流ルート(幹線道路)において水素燃料電池トラック(以下、FCトラック)を走らせることで、持続可能な水素需要を創出し、水素社会の社会実装を加速させるための官民連携の取り組みだ。

JH2Aは早期に水素社会を構築するための業界横断的かつオープンな組織
地域準備会の主催は水素バリューチェーン推進協議会(JH2A)。JH2Aは、業界の枠を超えて水素サプライチェーン(供給網)全体を俯瞰し、早期の水素社会実現を目指すために設立された、水素関連の業界団体である。理事会員は27社・団体。旭化成、岩谷産業、ENEOS、川崎重工業、関西電力、クボタ、神戸製鋼所、住友商事、千代田化工建設、東芝、トヨタ自動車、エア・リキード、豊田通商、パナソニック、丸紅、三菱化工機、三菱ガス化学などが並ぶ。

JH2Aの設立の背景には、水素の需要創出、技術革新によるコスト削減、事業者に対する資金供給という三つの課題があった。これらを解決するには、横断的な団体が必要だという判断である。
共同会長は3名。岩谷産業 代表取締役会長の牧野明次氏、三井住友フィナンシャルグループ 名誉顧問の國部毅氏、そしてトヨタ自動車 副会長の佐藤恒治氏が務める。

水素社会実現に向けた重点取り組み①「水素1%調達宣言」
JH2Aが重点取り組みとして掲げるのは二つ。需要の拡大を担う「水素1%調達宣言」と、社会実装の加速を担う「水素大動脈構想」である。

水素1%調達宣言は、会員企業が輸送・燃料・原料の調達のうち1%以上を追加的に水素または水素利用サービスへ切り替える取り組みで、経済産業省と共同で進めている。7月22日現在で65社・団体が宣言した。
内訳を見ると、輸送分野での宣言が33件と突出している。社用車や公用車の1%をFCVに切り替える、自社物流車両の1%を水素トラックに切り替える、自社施設のフォークリフトの1%を水素仕様にする、社内タクシー利用の1%以上を水素タクシーとする、といった内容だ。

2026年5月28日には、高市総理に対し、水素議連とともに政策提言「水素の社会実装と我が国水素産業の持続的成長を目指して」を手交(文書などを直接手渡しすること)している。そして7月に閣議決定された日本成長戦略には、水素大動脈構想が盛り込まれた。

水素社会実現に向けた重点取り組み②「水素大動脈構想」
水素大動脈構想は、幹線道路への水素トラックの集中導入と水素ステーション整備によってモビリティ分野で水素需要を創出し、それを他産業へ波及させる取り組みだ。

重点地域は福島、東京、神奈川、愛知、兵庫、福岡の6地域。ここに商用車向けステーションを30カ所程度整備する。自工会は構想の実現に向けて、今後10年間の具体的な目標を以下のとおり設定している。
- 水素大型トラックの導入: 1500台相当(年間水素消費量 7500トン相当)
- 水素ステーションの増設:新たに30基を整備
- 水素価格の目標:1kgあたり1000円を基準に設定
こうした目標の基盤となる数字が、1ステーションあたり年間250トンという水素消費量だ。水素大型トラック換算で50台分にあたり、これだけの需要があればステーション事業として経済合理性が見えてくるという。
水素大動脈構想をはじめとして、水素の活用にあたってモビリティ分野が先行する理由は、価格差にある。既存燃料を水素に置き換える際、成立しうる水素価格帯を分野別に比較すると、乗用車と商用車が最も高い水準にある。ガソリンや軽油は元々の単価が高く、水素との差が相対的に小さいからだ。
基幹産業であるモビリティ分野が先頭となって水素消費量を積み上げれば、その結果として水素価格が下がる。価格が下がれば、発電、化学、製鉄など他産業への展開が進む、という目論見である。

水素大動脈構想のロードマップは2段階に分かれる。フェーズ1は2030年まで。福島(東北)を起点に、東京(首都圏)、愛知(中部)、兵庫(関西)、福岡(九州)の各モデルを立ち上げ、まず福島〜東京間で大動脈を始動させる。この段階で水素トラック500台、ステーション10カ所。フェーズ2は2030年から2035年まで。フェーズ1で築いた需要を拡充し、1500台・30カ所に到達させる見込みだ。

水素大型トラックに対応する本宮インターチェンジ水素ステーション
地域準備会では、水素大型トラックに対応する本宮インターチェンジ水素ステーションの視察も行なわれた。ここは東北自動車道 本宮ICから1.5km、福島市と郡山市のほぼ中間にあたり、近隣には大手フリート事業者のSSやコンビニ各社の配送センターが集まる。いわば東北の物流玄関口と言える地点で、運営は産業ガス大手の日本エア・リキードが担っている。


本宮IC水素STの特徴は四つある。
第一は「いつきても充填できる安心感」だ。主要設備を2系統備えて冗長性を確保し、24時間365日の営業を実現している。2024年5月15日の開業以来、一日も休まず営業を続けており、連続営業日数は836日(8月28日の取材日時点)に達する。

第二は駐車スペース。敷地面積6600平方メートルは、一般的な乗用車向けステーションの約4倍。大型トラックの動線を考慮した広さである。実際に足を運んで踏み入れると、その余裕ある敷地に驚かされた。

第三は、隣接するエネクスフリート社のサービスステーション設備の活用。大型車両向け洗車機やドライバーの休憩設備を利用できるほか、大型トラックの対応に慣れたスタッフがサービスを提供する安心感がある。

第四が充填能力の強化。大型トラックと小型トラックの同時充填や、連続した充填作業が可能であり、複数台の車両利用を想定した実用性の高い運用能力が確保されている。

これらの特徴により、本宮IC水素STは従来型のサービスステーションにおける軽油の給油に近い利用体験の提供を実現しているというわけだ。
水素輸送の効率化とコスト削減への取り組み
日本エア・リキードでは、水素輸送の効率化とコスト削減にも取り組んでいる。
ポイントとなるのはトレーラーの積載量だ。国内で主に使われている圧縮水素トレーラーは、19.6MPaで210kgしか積めない。積載量が小さければ輸送回数が増え、そのまま運送費に跳ね返る。
そこで浮上したのが、MEGC(Multiple Element Gas Container)という新しい形式だ。貨物コンテナのなかに複数の容器を並べて収めた構造で、積載量は30MPaで850kg、64MPaのタイプなら1330kgに達する。

年間36トンを運ぶ場合で比べると、従来の210kg積みトレーラは年180回の輸送で1800万円かかる。これが30MPaのMEGCなら年43回、430万円で済む。輸送費が4分の1以下になる計算だ。

ただし、日本でMEGCを使うには規制の壁があるという。欧州はMEGCを「容器と配管、弁、フレームがひとまとまりになった一つの機器」として検査する仕組みを持つ。日本にはその考え方がなく、容器を一本ずつ検査し、一本ごとに元弁を付けることが義務づけられている。貨物コンテナに固定して使う前提の容器規格も存在しない。欧州の合理化された設計を、そのまま持ち込めないのだ。

そこで日本エア・リキードはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の委託を受けて、MEGCの国内実証を2027年度から本宮IC水素STで実施。安全性を裏づけるデータの取得を目指す。
本宮IC水素STの駐機スペースには、すでに実証用トレーラーのためのスペースが用意されていた。既存トレーラー用の3台分に対して、実証用トレーラーは1台分で済む(下の写真で、空きスペースになっているのが実証用トレーラーのためのスペース)。必要な駐車面積の違いを見比べてみると、MEGCの効率の良さがよくわかる。MEGCの活用が本格化して、水素輸送の大容量化とコスト削減が実現すれば、少なからず水素普及を後押しする材料となりそうだ。

自動車メーカー、国・地方行政、物流業者、ステーション事業者の連動が重要
JH2Aでは、水素社会実現に向けたロードマップにおいて最も重要な点として、「実証」から「実装」へ移行するために、自動車メーカー、国・地方行政、物流業者、ステーション事業者という4つの歯車を同時に回すことを挙げている。関係者が同じ方向を向き、需要・供給・政策・利用現場を連動させる必要があるという考え方だ。

地域準備会に出席した経済産業省 資源エネルギー庁 省エネルギー・新エネルギー部 水素・アンモニア課の笠井康広課長も、車両メーカー、ステーション事業者、荷主・物流事業者が互いの動きを待つ「三すくみ」の打破が必要だと指摘した。
車両メーカーは需要とインフラの見通しが立たず量産の投資判断に踏み切れない。しかも開発中の車両の仕様や台数は機密情報にあたるため、需要を取りまとめる自治体にすら伝えにくい。ステーション事業者は確実な需要が見えなければ新設を決められず、水素の調達価格を下げる手立てが限られる現状では販売価格の見通しすら示せない。荷主や物流事業者は、ステーションがいつどこにでき、どんな車両がいくらで手に入り、水素代がいくらかかるのか分からなければ、導入台数も時期も約束できない。
「車両価格が高い」→「水素が高く使うのがためらわれる(需要が生まれない)」→「水素ステーションができない」→「消費量が増えないため水素価格も下がらない」という負のスパイラルだ。

こうした状況に対して、国はFCV導入支援、水素ステーションへの支援、福島・東京間の運行管理高度化に向けた実証支援を行ってきたことを説明。今後は重点地域と幹線を中心に、水素供給量の拡大とコスト低減の双方に取り組む必要があるとの認識を示した。

日野自動車は2030年に2バリエーションの新FC大型トラックを納車予定
では、自動車メーカーの取り組みはどんな状況なのだろうか。日野自動車の開発本部 大畑光一 本部長・CTOの説明によると、日野では2023年5月からFC大型トラック「プロフィア Z FCV」の走行実証モデル5台を投入し、2025年10月からは量産モデルの製造を開始したという。
計画台数は100台。そのうち、GI基金(グリーンイノベーション基金)を活用した車両は、計画していた50台すべてを受注済み。受注先は16事業者で、本年度から順次登録され、そのうち福島方面のルートでは8事業者13台の運行が予定されている。また、2028年モデルとして水素重点地域に配置する50台についても、すでに商談を開始しているという。


現行モデルのプロフィア Z FCVは高床で、積載重量11t、荷室寸法は8900×2455mm、航続距離650kmというスペック。架装はドライバンとウイングバンに対応する。
これに対して次期モデルは低床化し、二つの方向で開発を進めるという。一つはディーゼル車並みの荷室寸法を目指す積載量重視モデル、もう一つは航続可能距離の改善を狙う航続距離重視モデルだ。また、架装は冷蔵冷凍などにも広げる。納車目標は2030年頃。ユーザーから挙がった積載量と航続距離という二つの課題に、別々のモデルで応える構えである。

福島県は公用車の1%以上をFCVへ切り替える意向を表明
前述したとおり、今回の準備地域会は福島県で開催された。水素大動脈構想における6か所の重点地域の中で、福島が地域準備会の先陣を切ったのは偶然ではない。
福島には東北自動車道、磐越自動車道、常磐自動車道、東北中央自動車道が走り、一定規模の輸送量と道路網を備えることから燃料電池商用車の需要が見込まれる地域として「燃料電池商用車の導入促進に関する重点地域」に指定されている。

また、東日本大震災と原発事故を経験した福島は、復興の基本理念に「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を掲げている。2040年頃を目途に、県内エネルギー需要量の100%以上に相当する量を再生可能エネルギーで賄うことを目指しているのだが、その中で、水素を再エネの導入を支える柱と位置づけている。天候によって発電量が変動する再エネを水素に変換・貯蔵すれば、系統電力の調整力として機能するという狙いだ。県内には福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)もあり、世界有数規模の水電解装置を使い、再エネ由来の水素製造を実証してきた。

そんな福島でも、水素社会の実現は道半ばだ。FCV(燃料電池自動車)の県内普及台数は2026年7月末時点で487台。東北では最多だが、伸び率は減少傾向にある。水素ステーションも足りていない。令和7年度の目標12基に対し、現状は6基。県は令和12年度までに定置式ステーション20基の整備を掲げているが、現状はその3割にとどまる。需要規模の制限による投資余力の不足、ディーゼル車と同等のコスト水準実現、県内ニーズに適合した車両の提供、冬期の航続距離確保…現場からは、なかなかFCVの導入が進まない理由がいくつも届いているという。

ただ、福島がこれだけ課題を語れるのは、先行してきたからでもある。2020年4月にいわき市で東北初の燃料電池バスが営業路線に入り、2022年6月には浪江町と双葉町で燃料電池移動販売車が世界初の運用を開始。燃料電池スクールバス、営業バン、クラウンFCEVベースのパトカーはいずれも国内初だ。FCトラックは2023年2月から郡山市といわき市を中心に27台が走っている。

福島県の内堀雅雄知事は、水素社会の″トップランナー”であるがゆえの課題も実感しており、その解決に注力することを表明。その一環として水素1%調達宣言に賛同し、県公用車の1%以上をFCVへ切り替える意向を地域準備会の場で明かした。

ステーション事業者と物流事業者が抱える課題と今後の取り組み
水素大動脈構想は、その実現に向けて具体化の段階に入る。今後は9月3日にモビリティ分野ワーキンググループの第1回が控えている。WGが「決める場」ならば、地域準備会は「議論する場」。取り組みを振り返って現場のリアルな課題を抽出し、具体的な成果創出を促す。そこで拾い上げた地域の課題を、国レベルのアクションへ昇華させる、というのが地域準備会の役割だ。
そんな位置付けもあって、当日は地域準備会に参加したステーション事業者と物流事業者からの声も多く届けられた。

国内で最も多くの水素ステーションを運営する岩谷産業からは、水素本部 水素ステーション部の中島康広部長が出席。中島部長は、需要があるところに積極的にステーションを建設すると語ったうえで、車両の導入計画や運行ルート、行政の支援スキームといった需要側の情報を早く共有してほしいと求めた。ステーション事業者が投資を決められない理由が需要の不透明さにある以上、情報が先に動かなければ設備は増やせない、というわけだ。
ヤマト運輸 輸送オペレーション企画部の川口翔平部長は、2023年5月から約2年間、東京・群馬線などで水素トラックの実証を重ねてきた経験を踏まえ、もう実証実験ではなく実現に力を入れるフェーズに変わったとの認識を示した。
日本郵便 郵便・物流ネットワーク部の柳澤吉宣専門役は、2022年度に小型FCV5台を導入して東京での配送に使ってきたうえで、2026年度には大型FCトラック5台を導入し、東京〜富山間の郵便幹線輸送に投入する計画を明らかにした。課題として挙げたのコストで、いつまでも補助金に頼るわけにはいかず、かといってディーゼル車との価格差をそのまま運賃に転嫁するのも難しい、と率直に語った。
日本通運 安全・品質・業務推進部の八重樫次長は、2022年度からGI基金に参画し、2023年8月から順次導入した大型FCVを、現在は東京都湾岸エリアを中心に20台運行している。水素大動脈構想向けの車両もすでに発注済みだという。成田〜東京間の貸切輸送に投入し、東京から東部の顧客へ折り返す際に本宮IC水素STで「経路充填」を行う計画を示した。
福島の取り組みをベースに動脈とのつながりを強化して次のフェーズへ
東京都の吉村産業労働局長は、12月に予定されている次回の地域準備会を東京で開催する意向を示した。福島が地方都市のモデルを、東京が大都市の需要を担う。両者がつながらなければ大動脈は成立しない。

JH2A共同会長の佐藤恒治氏は、水素大動脈構想の社会実装に向けた具体的な一歩を踏み出せたことは大きな成果であるとしたうえで、各事業者や自治体が個別にぶつかっている壁を、言い訳ではなく行動宣言に転換することの重要性を強調。これまで福島県が取り組んできた「30万都市を基準とした水素社会の構築」という既存のモデルを、水素大動脈構想によって東京、神奈川、愛知、福岡といった他の地域とつなぎ合わせることで、福島モデル2.0が始まると語った。

そして、水素大動脈を人間の身体に置き換えて「心臓から送り出される血液を大動脈で安定させて、体の隅々にまで届けていく。そういう基盤をみんなで作っていこう。その思いが共有されたのではないかと思います」と語り、地域準備会を締めくくった。
