連載
クルマ名付け学BUGATTI VEYRON
「ヴェイロン」はレーシングドライバーの名前

2005年に生産を開始した「ブガッティ ヴェイロン16.4」。8.0リッターW16エンジンに4基のターボチャージャーを組み合わせ、最高出力1001PS、最高速度407km/hという驚異的な性能を実現したクルマである。世界最速の量産スポーツカーとして登場し、後にその記録を塗り替えていく。
ヴェイロンという車名は、レーシングドライバーのピエール・ヴェイロン(Pierre Veyron)に由来する。1903年にフランスで生まれたヴェイロンは、1920年代末からモータースポーツに参戦した人物である。1930年には「ジュネーブ・グランプリ」の1500ccクラスで優勝。ドライビングだけでなくクルマに対する知識も評価され、1932年にエットーレ・ブガッティ(Ettore Bugatti)によって迎え入れられた。
学生時代に工学を学んだヴェイロンは、単なる「速いドライバー」ではなかった。ブガッティではテストドライバーや開発エンジニアとしても活動した。レースで得た感覚を車両開発にフィードバックする、レーシングドライバーとエンジニア、両方の資質を備えた人物だった。
1939年、ル・マン24時間レースを制覇

ピエール・ヴェイロンのキャリアを象徴する出来事が、1939年のル・マン24時間レース。流線形ボディの「ブガッティ タイプ57C タンク」をドライブし、248周、約3354kmを走破し2位に3周の差をつけて総合優勝を果たした。この大会は第二次世界大戦前に開催された最後のル・マンとなり、ブガッティにとっても戦前のモータースポーツ活動を象徴する勝利となった。
半世紀以上を経てブガッティが新たな超高性能車を開発することになった際、その名前として選ばれたのが、このピエール・ヴェイロンの姓だったのである。彼がブガッティの歴史においてレースとエンジニアリングの世界を結びつけた存在だったこと、および、新しい「ヴェイロン」がブガッティの過去と未来をつなぐ存在であることを重ね合わせたモデル名と言える。
「Veyron」の名が初めて登場したのは1999年

ヴェイロンの開発は、当時フォルクスワーゲングループを率いていたフェルディナント・ピエヒのもとで進められた。1998年にブガッティの商標権を取得したフォルクスワーゲンは、まず「EB 118」、続いて「EB 218」「EB 18/3 Chiron」とコンセプトカーを次々に発表。
そして1999年の東京モーターショーで公開された4番目のデザインスタディモデルが、「EB 18/4 Veyron」だった。ここで初めて、新世代のブガッティに「Veyron」の名が登場した。「EB」は創業者エットーレ・ブガッティのイニシャル。「EB 18/4」の「18」は18気筒エンジンを、「4」は4番目のコンセプトモデルであることを示していた。
翌2000年には、量産化に向けてエンジンを18気筒からW16へ変更した「EB 16.4 Veyron」が登場。その「16.4」という名称が、のちの市販型「Veyron 16.4」にも引き継がれた。2001年には量産化が正式に決定され、2005年から市販型「Veyron 16.4」の生産が始まった。
その名は世界最高速記録にも刻まれた

2010年に登場した「Super Sport」は最高出力を1200PSまで高め、フォルクスワーゲンのテストコースで最高速に挑戦。時速431kmを記録し、量産車の最高速度としてギネス世界記録に認定された。そのほか、オープンモデルの「Grand Sport」やSuper Sportのオープン仕様である「Grand Sport Vitesse」と4つのバリエーションが造られた。
ピエール・ヴェイロンが1939年のル・マンでブガッティを勝利へ導いてから約60年。その名は、400km/hを大きく超えるロードカーとともに、再び自動車の歴史に刻まれることになったのである。
