世界初公開の舞台は、なぜモントリオールだったのか?
2013年1月17日。カナダのモントリオール・モーターショーで、ホンダは一台の小さなコンセプトカーを世界初公開した。
「Honda GEAR Concept」である。

背の低いボンネットと比較的直立したキャビンを組み合わせた、シンプルな2BOXスタイル。短いオーバーハング、水平基調のフロントマスク、余計なキャラクターラインを抑えたボディサイド。どこか初代シビックを思わせる親しみやすさがありながら、決して懐古趣味ではない。

ホンダらしい、軽快で機能的なコンパクトカーの提案だった。しかし、このGEARには不思議なところがある。まず、世界初公開の舞台がモントリオールだったことだ。
当時、北米の主要モーターショーといえば、やはりデトロイトである。2013年のデトロイト・モーターショーは、モントリオールとほぼ同時期に開催されていた。





ホンダはデトロイトで「Urban SUV Concept」を発表している。こちらは後のヴェゼル/HR-Vにつながるモデルだった。
一方、GEARはモントリオールで発表された。
さらに、その後の足取りがよくわからない。
少なくとも確認できる主要モーターショーの記録では、GEARがジュネーブや東京、上海などを巡回した形跡は見当たらない。だから、GEARを生で見たことのある人は少ないだろう。世界初公開と銘打ちながら、世界中の人々に実車を披露する機会は極めて限られていたようなのだ。
コンセプトカーには、量産車を予告する役割だけでなく、ブランドの未来を世の中に印象づける役割もある。
そう考えると、GEARの扱いはずいぶん異例に思える。
しかも、GEARは決して評価の低いコンセプトカーではなかった。
米国のWIREDは「This Car Could Make Honda Relevant Again」という見出しで紹介し、Jalopnikは「The Honda GEAR Is The Subcompact Honda Has To Build」と評した。
ホンダはこのクルマを作るべきだ、という声まで上がっていたのである。それなのに、GEARは姿を消してしまった。
なぜだろうか。
ピストバイクから生まれた、シンプルで個性的なHonda

GEARの発表資料を読むと、ホンダがこのクルマで何を提案しようとしていたのかが見えてくる。
キーワードは「Simple」「Utilitarian」「Customizable」「Connected」「Affordable」。
シンプルで実用的。自分好みにカスタマイズでき、外の世界とつながり、しかも手頃な価格で手に入る。
そしてデザインの着想源となったのが「fixed-gear bicycle」、いわゆるピストバイクだった。
ピストバイクは、もともと競技用自転車に由来する固定ギヤの自転車である。2000年代後半から2010年代初頭にかけて、北米の都市部ではストリートカルチャーやファッションとも結びついた存在になっていた。
シンプルな構造の自転車を、自分好みのパーツやカラーで仕上げる。GEARが提案したカスタマイズの楽しさは、そうした文化を自動車に持ち込もうとするものだった。
ここで興味深いのは、GEARが単なる小型車のデザインスタディではなかったことである。
ホンダが狙っていたのは、特定の世代の価値観だった。
それが「Gen-Y」である。
Gen-X、Gen-Y、Gen-Z。自動車メーカーが追いかけた世代とは?
Gen-YとはGeneration Yの略で、現在では一般に「ミレニアル世代」と呼ばれている。世代を区切る年に厳密な国際標準はないが、米国のピュー・リサーチセンターが用いる区分を参考にすると、次のようになる。
| 世代 | 出生年の目安 | 2013年時点の年齢 |
| Baby Boomers | 1946~1964年 | 49~67歳 |
| Generation X | 1965~1980年 | 33~48歳 |
| Generation Y(Millennials) | 1981~1996年 | 17~32歳 |
| Generation Z | 1997年以降 | おおむね16歳以下 |
つまり、GEARが登場した2013年、Gen-Yは10代後半から30代前半。これから自動車メーカーの主要顧客になる世代だった。
この世代は、インターネットや携帯電話の普及とともに成長した。成人する頃にはスマートフォンやSNSも急速に広がっていた。
もちろん、ひとつの世代を単純な特徴で括ることはできない。しかし当時の企業のマーケティングでは、こうした新しい生活文化とGen-Yを結びつける考え方が広く使われていた。
ホンダがGEARに与えた「Young」「Urban」「Connected」「Customizable」というキーワードは、当時の自動車メーカーが思い描いていたGen-Y像をよく表している。
若く、都市に住み、デジタル機器を使いこなし、自分らしいライフスタイルを大切にする。
GEARは、そんな人々に向けたHondaだったのである。
ホンダにはすでにフィット(Jazz)があった。それでもGEARを作った理由
ここで、ひとつ疑問が浮かぶ。
ホンダにはすでにフィット(JAZZ)があったではないか。
フィットは2001年に登場し、センタータンクレイアウトによる優れたパッケージング、広い室内空間、低燃費、使いやすさで世界的な成功を収めていた。
2013年3月には、日本国内だけでフィット・シリーズの累計販売台数が200万台を突破している。

しかもGEARが登場した2013年は、3代目フィットへのモデルチェンジの年でもあった。新型フィットは同年9月に日本で発売されている。
では、ホンダはなぜGEARという別のコンパクトカーを考えたのだろうか。
GEARの発表時、Honda R&D AmericasのデザインディレクターだったDave Marek氏は、当時のサブコンパクトカーについて、実用的だが退屈なものか、楽しくても実用性に乏しく高価なものか、そのどちらかになりがちだと指摘している。
GEARは、その二者択一をなくす提案だった。
実用的でありながら楽しい。個性的でありながら手頃。カスタマイズもでき、コネクテッド機能も備える。
フィットが幅広い顧客に使いやすいコンパクトカーを目指していたのに対し、GEARは若い都市生活者の価値観へ明確に焦点を合わせていた。
つまりGEARは、フィットの後継車を予告したというより、フィットとは違う価値を持ったホンダのコンパクトカーを考える試みだったのではないか。
そして重要なのは、当時のホンダが決して販売不振に苦しんでいたわけではないことである。
2012年の米国におけるAmerican Hondaの販売台数は約142万台。前年比24%増という好調な数字を記録していた。
ホンダには売れるクルマがあった。それでも、次の世代の顧客がホンダに何を求めるのかを考える必要があったのだろう。
不夜城からGEARへ。ホンダが考えてきた「若者のためのクルマ」
実はホンダには、GEARより前にも、若者文化を大胆に取り込んだコンセプトカーがあった。1999年の東京モーターショーに登場した「不夜城(Fuya-Jo)」である。
背の高い独特のプロポーションを持つ4人乗りのコンセプトカーで、クラブやDJブースを思わせるインテリアが特徴だった。
半ば立った姿勢で乗るセミスタンディングシート、DJのターンテーブルをイメージしたステアリング、ミキサーを思わせる操作パネル。
Hondaはこの不夜城を、スケートボード感覚で街を駆けるクルマとして提案していた。
不夜城とGEARでは、デザインもパッケージングもまったく異なる。しかし、自動車以外の若者文化を出発点に、新しいホンダを考えるという発想は共通している。
不夜城がクラブミュージックやストリートカルチャーを取り込んだのに対し、GEARはピストバイクに象徴される都市生活者の文化を取り込んだ。
ホンダは以前から、こうした挑戦的なコンセプトカーを作ってきたのである。
GEARを生んだのは、L.A.のAdvanced Design Studioだった

GEARをデザインしたのは、Honda R&D AmericasのLos Angeles Advanced Design Studioである。このスタジオは、次世代のHondaやAcuraに向けた先行コンセプト開発を担う拠点だった。
2012年11月には、パサデナからロサンゼルスのダウンタウンへ移転している。GEARの公開は、そのわずか2カ月後だった。
都市の生活文化や消費者の価値観を観察し、将来のクルマのあり方を考える。そうした役割を持つスタジオが、若い都市生活者向けのGEARを作ったというのは、いかにも自然な話である。

しかもGEARには、先行する作品があった。2009年のロサンゼルス・モーターショーで発表された「Honda P-NUT Concept」である。
P-NUTはPersonal-Neo Urban Transportの略。こちらもHonda R&D Americasの先行デザイン部門による都市型コンパクトの提案だった。
P-NUTは3人乗りの未来的なパッケージングを持つコンセプトカーで、GEARとは外観も構成も大きく異なる。
しかし、都市生活と、そのための新しい小型車を考えるというテーマは共通している。
2009年のP-NUT、2013年のGEAR。
ホンダの北米先行デザイン部門では、都市生活者に向けた小さなホンダの可能性を継続して研究していたように見える。
ただし、GEARが具体的にどのような社内プロジェクトとして始まり、なぜモントリオールで発表されることになったのかは、まだ明らかになっていない。
ホンダの公式名称が「GEAR Concept Study Model」であったことも、このクルマの性格を考えるうえで重要だろう。量産予定は示されず、ボディサイズもパワートレーンも公表されなかった。
将来の商品計画を発表するというより、ひとつのデザイン思想を提示するためのモデルだった可能性が高い。
トヨタは10年前から「若者向け」の実験をしていた。Scionである
さて、ここでホンダから少し離れて、トヨタの話をしたい。
GEARが登場した2013年、北米市場にはトヨタの「Scion(サイオン)」というブランドがあった。
Scionは2003年に米国でスタートした、若い顧客を獲得するためのブランドである。当時のトヨタは、品質や信頼性では高く評価されていた一方で、若い世代との接点を広げる必要があると考えていた。
そこで、トヨタブランドとは別にScionを立ち上げた。


最初に登場したのは、コンパクトカーのxAと、箱型の個性的なデザインを持つxB。その後、スポーツクーペのtC、都市型コンパクトのxD、小型車のiQ、スポーツカーのFR-Sなどが加わっていく。
Scionが重視したのは、単に小さくて安いクルマを売ることではなかった。
個性的なデザイン、カスタマイズ、音楽やアートなどの若者文化との接点。そして従来とは異なる販売方法やマーケティング。
トヨタ自身、後にScionを若年層向けの商品やビジネス手法を試す「実験室」だったと説明している。
ここでGEARのキーワードを思い出してほしい。
Young、Urban、Customizable、Connected、Affordable。
驚くほどScionの考え方と重なっている。実際、GEARが発表された直後、米国のWIREDはそのカスタマイズ性をScionの取り組みになぞらえていた。
もちろん、ホンダがGEARをScionへの対抗車として開発したという公式な説明は確認できない。しかし、両社が同じ北米市場で、同じような問題を考えていたことは興味深い。
「若い世代に、自分たちのクルマをどう選んでもらうか?」
トヨタはScionという独立したブランドを作った。
一方、ホンダのAdvanced Design Studioは、GEARというコンセプトカーでひとつの答えを示した。
ところが2016年、Scionはブランドは終了する

GEARが発表されてから3年後の2016年2月。トヨタはScionブランドを終了し、TOYOTAブランドへ統合すると発表した。
2003年の誕生から13年だった。
では、Scionは失敗だったのだろうか。話はそれほど単純ではない。
トヨタの公式発表によれば、Scionの累計販売台数は100万台を超え、購入者の70%がトヨタにとって新規顧客だった。また購入者の半数は35歳未満で、平均購入年齢は36歳。業界でもっとも若い顧客層を持つブランドだったという。
若い顧客をトヨタに呼び込むという当初の目的は、一定の成果を上げていたわけである。しかし、販売台数はピーク時から減少していた。そしてトヨタは、若い世代の消費者について興味深い説明をしている。
若い購入者は、運転して楽しく、格好のいいクルマを求めている。しかし同時に、以前より実用性を重視するようになり、親の世代と同じようにトヨタの品質、信頼性、耐久性を評価するようになったというのである。
一方、TOYOTAブランド自体も変化していた。デザインや走行性能を重視したモデルが増え、若い顧客に訴える商品がTOYOTAブランドから登場するようになっていた。
そうなれば、若者向けに別のブランドを維持する必要性は薄れていく。ScionのFR-SはToyota 86へ、iAやiMもTOYOTAブランドへ移行した。Scionが追いかけていた若い顧客が消えたわけではない。
若い世代には、若者専用のブランドが必要だという前提が、以前ほど成り立たなくなっていたのである。
Scionを終了したトヨタは、今度は「Gen-Z」のクルマを考えていた
ところが、話はここで終わらない。
2016年2月にScionブランドの終了を発表したトヨタは、そのわずか2カ月後、今度は「Generation Z」に向けたコンセプトカーを発表している。

「Toyota uBox Concept」である。
2016年4月、トヨタは米国クレムソン大学との共同研究によって開発したuBoxを公開した。興味深いことに、トヨタの公式発表のタイトルには、はっきりと「Gen-Z Focused Concept」と書かれていた。
Gen-Yの次はGen-Zというわけだ。
uBoxは、GEARとはまったく違う姿をしていた。背の高い箱型ボディに、大きく開くドア。室内は用途に応じて自由に変更でき、仕事場にも趣味のための空間にもなる。

さらに、3Dプリンターで製作した内装部品によるカスタマイズを想定し、そのデータをオンラインで共有するという構想まで盛り込まれていた。
GEARがピストバイクという都市のストリートカルチャーから着想を得ていたのに対し、uBoxが重視したのは、デジタル技術を使った自己表現や、仕事と遊びを柔軟に組み合わせるライフスタイルだった。
ただし、uBoxはトヨタと大学による研究プロジェクトであり、Scionの後継車として開発されたわけではない。
それでも、Scionという若者向けブランドを終了した同じ年に、トヨタが次の世代のためのクルマを研究していたという事実は面白い。
そして、さらに7年後の2023年。日産はジャパンモビリティショーで「Hyper Punk」というコンセプトカーを発表する。
こちらが想定したのは、コンテンツクリエイターやインフルエンサー、アーティストである。AIを使って車外の景色をデジタルアートに変換し、クルマを移動する創作空間にするという提案だった。

Hyper PunkはGen-Z専用車と明示されたものではない。しかし、若いデジタル世代を意識したコンセプトとして、GEARやuBoxと並べると興味深い。
2013年のGEAR、2016年のuBox、2023年のHyper Punk。
この3台を眺めると、ひとつの変化が見えてくる。
Gen-Yの時代、自動車メーカーは「若者が欲しがるクルマ」を考えていた。ところがGen-Zの時代になると、「若者がクルマを使って何をするのか」を考えるようになったのではないか。
もちろん、わずか3台のコンセプトカーで自動車業界全体の変化を説明することはできない。
しかも、カスタマイズやコネクテッドという発想はGEARの時点ですでに存在していた。両者の違いは明確な断絶というより、何に重点を置くかという変化なのだろう。
それでも、GEARが生まれた2013年からの10年間で、自動車メーカーが若い世代に提示するクルマの価値が変化してきたことは感じられる。
Honda GEAR Conceptは、結局どうなったのか?
GEARは量産されなかった。
そして、少なくとも現在確認できる資料では、特定の量産ホンダ車へ直接発展したという事実も見つからない。
2017年にはホンダがUrban EV Conceptを発表し、2019年にはHonda eとして量産化している。
GEARとUrban EVには、小さな2BOXボディやシンプルな造形、都市生活者に向けた提案という共通点がある。
しかし、両車の間に直接的な開発上のつながりがあったことを示す資料は確認できない。外観やコンセプトが似ているからといって、GEARがHonda eになったと考えるのは早計だろう。
では、GEARは何も残さなかったのか。
そうは思わない。
GEARがモントリオールに姿を現した2013年、自動車メーカーは「Gen-Y」という新しい世代をどうクルマに振り向かせるか、真剣に考えていた。
HondaのL.A. Advanced Design Studioが提示した答えのひとつがGEARだった。
そしてトヨタは、同じ課題にScionというブランドを作って取り組んでいた。
その後、Scionは終了した。しかし、若い世代に向けたクルマの研究まで終わったわけではない。トヨタはuBoxでGen-Zに問いかけ、日産はHyper Punkでデジタル時代のクリエイターに向けたクルマを考えた。
自動車メーカーが「若者」を追いかけることは、今も昔も変わらない。ただし、若者の暮らしも、クルマに求めるものも変化していく。
GEARがなぜモントリオールだけで公開され、その後ほとんど姿を見せなかったのか。その理由は、残念ながらまだわからない。
ホンダが量産化を検討した末に断念したという証拠もない。そもそも商品化を目的としたコンセプトカーではなかった可能性もある。
それでも、GEARが人々の記憶に残る機会をほとんど与えられなかったことは、やはり惜しい。
コンセプトカーは必ずしも量産車の未来を予告するものではない。ときには、メーカーがその時代に何を考えていたのかを伝える存在でもある。
Honda GEAR Conceptは、未来の量産車にはならなかった。しかし、2013年の自動車メーカーが思い描いていた「未来の若者像」を、いまに伝えるタイムカプセルのような一台だったのである。
ハイパーパンクはどこへ行った?──新型ジュークEVに見る“デザインの継承” | Motor Fan|自動車情報のモーターファン
Honda eはなぜ売れなかったのか?アーバンEVコンセプトが示した理想と現実 | Motor Fan|自動車情報のモーターファン
![by Car Styling [カースタイリング]](https://motor-fan.jp/wp-content/uploads/2025/04/carstyling-jp_logo.png)