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Goodwood Festival of Speed
「奇跡に近い」幸運が必要
グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードを取材してきた。今年はホンダが久しぶりに登場。第1期F1の「RA272」を持ち込み、現役F1ドライバーの角田裕毅選手がこれをドライブするというので、現地で見守ってきた。
RA272がデモ走行する様子は、ツインリンクもてぎ(現在はモビリティリゾートもてぎ)などで何度か見たことがある。天下のホンダが威信を賭けてレストアした個体だから、普通に走って当然という目でこれまで見てきたが、今回、レストアを担当するエンジニアやメカニックの方々に話を聞いて、およそ60年前のF1マシンはエンジンをかけるだけでも「奇跡に近い」幸運が必要であることがよくわかった。
ホンダは、できる限りオリジナルに近い形でRA272を後世に残そうとしている。ただ走らせるだけなら、補機類などをこっそり最新のものに交換したほうが、きっとエンジンもかかりやすくて都合がいいだろう。でも、RA272を作り上げた先人たちの、血の滲むような努力を思い起こせば、そんなことはできるはずもない。もちろん、点火プラグなどの消耗品は現代の技術で作り直したものだけれども、それさえ、可能な限り当時のスペックを忠実に再現しようとしている。だからこそ、エンジンがかかるだけでも「奇跡に近い」ことなのだ。
そして私は、それが大げさなたとえ話でもなければ、なにかの比喩でもないことを、現場で目の当たりにしてきた。
いまも官能的なエグゾーストノートを奏でて
角田選手の搭乗を翌日に控えた土曜日、長年にわたりホンダ・コレクションホール所蔵車のテストを担当してきた宮城光さんがステアリングを握ってヒルクライムに参加しようとしていたとき、それまで何の問題もなく始動できていた1.5リッターV12エンジンが突如として不機嫌になり、なにをどうやってもかからなくなった。スタート時間が刻々と迫るなか、メカニックたちは丁寧に作業手順を見直して何度も始動を試み、ついには押し掛けまで試したが、結局、エンジンはかからずじまい。それでもエンジンを始動させようとしてメカニックたちは懸命に作業を続けたのだが、「そこにいては運営に支障が出る」という理由で別の場所に移動することをオフィシャルから命じられてしまう。
そこでも、メカニックたちは奇跡が起きることを願って、何度も作業を繰り返した。照りつける日差しのもと、メカニックの額からRA272の純白のボディに汗がしたたる。普段であれば、彼らの手で瞬時に汗は拭い去られるところだが、そんな余裕はない。それでも彼らは諦めることなく、粘り強く作業を続けた。気がつけば、それを熱心に見つめる観客の人垣ができるほどだった。
どれだけ時間が経っただろう。時計のように精密なV12エンジンがなにかのきっかけで「クォン、クォン!」と息を吹き返した。メカニックたちはそれに安堵する暇もなく、宮城さんが乗ったRA272を送り出す。その様子を見ていた観客たちから、誰からともなく暖かい拍手が送られる。いま目の前で起きたことが奇跡に近いくらい貴重であることを、彼らは敏感に感じ取ったのかもしれない。もしくは、いまも官能的なエグゾーストノートを奏でるV12エンジンを60年近くも前に作り上げた技術者たちに向けた、それは賛美の拍手だったのかもしれない。
それに比べると角田選手が搭乗した翌日のデモ走行は拍子抜けするくらい順調だった。変わらなかったのは、前日と同じように、現代のレーシングカーでは望み得ないくらいピュアでストレートなエグゾーストノートを南イギリスの丘陵地帯に響き渡らせたことくらいだった。
通りがかったジャッキー・イクスが
ここまで偉そうに語ってきたけれど、私がフェスティバル・オブ・スピードを取材したのは、これが3回目。1回目は、やはりホンダが大挙して参加した2005年で、そこからやや間が空いた昨年が2度目、そして今年が3度目という次第である。
そんな私にどうこういう資格はないのだけれど、ここにやってくると、モータースポーツの歴史の重みというものを否応なく思い知らされる。
ヒルクライムのスタート地点で私がル・マン24時間最多ウィナーのトム・クリステンセンと話していると、そこにアウディ時代のチームメイトであるリナルド・カペッロがやってきた。ほどなく同じル・マンつながりでデレック・ベルが近づいてくる。そこに通りがかったジャッキー・イクスを彼らが目ざとく見つけて声をかけると、即席の記念撮影が始まった。写真には元NASCARドライバーのカイル・ペティが混じっているが、ル・マンではクリステンセン9勝、イクス6勝、ベル5勝、カペッロ3勝を挙げているので、このメンバーだけで23勝!である。これは、歴史的な邂逅といっても過言ではない。
始まった“ばかり”の比較的新しいイベント
角田選手がコクピットに収まった翌日は、スタート地点に置かれたRA272を元F1ドライバーのファン-パブロ・モントーヤが目ざとく見つけ、熱心に見つめていたが、やがてフレッド・ヴェスティ(メルセデスF1のリザーブドライバー)やオリヴァー・ベアマン(フェラーリF1のリザーブドライバー)などの若手が恐る恐る近づいてきたほか、最後には大御所ジャッキー・スチュワートが現れるといった具合。歴史上の登場人物が現役の若手ドライバーと何気なく言葉を交わす様子は、なんとも新鮮だった。
いや、ドライバーだけではない。地元イギリスのマクラーレンやロールス・ロイスは大きなブースを構えてゲストを歓待するいっぽう、フェラーリやアストンマーティンも目立たないようにホスピタリティスペースを構え、フェスティバル・オブ・スピードを見守る上顧客たちを丁寧にもてなしていた。
今年はジャガー・ランドローバー・グループが、近年掲げるハウス・オブ・ブランド(端的にいえばブランドの集合体)のコンセプトを巨大なパビリオンで示していたほか、ベントレーやランボルギーニも継続して参加している。
フェスティバル・オブ・スピード自体は、1993年に始まった“ばかり”の、比較的新しいイベントだ。しかし、様々なブランドやドライバーなどが自動車文化を継承するため、そこに集まり、交流を温めている。彼らは毎年のようにやってきて、懐かしく過去を振り返り、未来に向けた期待を語る。おそらく、こうやって伝統は紡ぎ出されていくのだろう。
小規模でもいいから継続的に参加を
ひるがえって、アジアの新興勢力はどうか? 彼らにとっても、自分たちが箔をつけるうえでフェスティバル・オブ・スピードは重要な存在で、時おり、思い出したように姿を見せては消えていく。ただし、そうした「イベントを利用する」という姿勢では、伝統を作り出すことは難しいし、歴史の一員として名を残すこともできない。この重要性にもしも気づいていたら、彼らも継続的に参加したはずだ。
私は、ホンダを含めた日本メーカーに対しても、これに近い印象を抱いている。たしかに、ホンダは今年、その足跡をしっかりとグッドウッドに残した。しかし、たまに姿を見せるだけではダメだ。せっかく、今年はF1初参戦60周年を祝ったのだから、これを契機に今後は小規模でもいいから継続的に参加して欲しい。そうすれば、いつの日かホンダも歴史あるブランドとしてヨーロッパの自動車界に認めてもらえることだろう。
PHOTO/大谷達也(Tatsuya OTANI)